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ブログ/2013-05-19

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映画リンカーンを観てきました

スピルバーグの名前につられて

 久しぶりに映画を見てきました。タイトルは「リンカーン」です。「ジュラシックパーク」や「未知との遭遇」で有名な監督です。監督の名前につられて観に行ったというわけです。

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 リンカーンの名前は、歴史上の人物としてあまりにも有名です。私がアメリカに出張で行ったときも、米国議会の近くにあるリンカーンの像を拝ませて頂いたことがあります。彼が生きていたのは、1809年2月12日から1865年4月15日ですから、江戸末期から明治維新にかけて生きていた人物なんですね。明治元年が1868年ですから、明治3年に亡くなったというわけです。
 当時のアメリカ議会の様子がかなり克明に再現されているようですが、日本が未だちょんまげを結っていた時代に、民主党や共和党といった政党が存在し、議会が機能していたんですから驚きです。日本は徳川300年、太平の眠りの只中にいたその頃のお話です。

ちょっと盛り上がりに欠けるかも 

 さて映画の方ですが、ドラマは南北戦争の大勢がほぼ北軍に有利になっている時点から始まります。戦争終結の前に「合衆国憲法修正第13条」つまり「憲法上の奴隷制禁止条項」を下院が可決しておくことが政治的課題になっていたという、その一点に絞ってドラマが進行するのです。その可決をめぐって、民主党と共和党が綱引きを演じるというわけです。

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 このように多数派工作の行方が映画の焦点ですから、記録映画的には優秀なんでしょうが、娯楽的には少し退屈かなというところがあります。視聴中に思わずコックリしてしまったらしく、隣の家内からツンツンされてしまいました。私たちは、歴史上の偉大な人物ですから、常に公明正大、決して人から後ろ指を指されるようなことはしなかったのだろうと思っていました。しかし、議会を運営し、何事かを為さんとする以上、常に多数派工作はつきものです。今の日本の政治と何ら変わりはありません。民主主義というものは、常に多数決によって決するのが大原則ですからね。つまり、政治というものは「きれい事だけでは済まない」ということを実感させてくれる映画でもありました。

■映画「リンカーン」のオフィシャルサイトはこちらから→リンカーン

田原総一郎氏の映画評論を

 最後に、田原総一郎さんが「ぐるなび」に載せた文章をここで転載させて頂きます。

「人民の、人民による、人民のための政治」
という名言で知られるリンカーンは、
アメリカでもっとも愛された
大統領のひとりと言われる。
彼が活躍した時代、
日本はちょうど幕末で、
長い鎖国を解き、開国しつつあった。

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その頃、アメリカは南北戦争の最中にあった。
「奴隷制」存続を主張する
アメリカの南部11州が合衆国を脱退、
合衆国にとどまった北部23州との間で
戦争となっていたのだ。

リンカーンの最大の業績は、
この「奴隷解放」である。
その実現のためにリンカーンは、
奴隷制廃止を提案した米国憲法修正第13条を
議会で通過させなければならなかった。
だが、議員の多くは
南北戦争の終結が先だと考え、
「憲法改正」に反対したのだ。
そこで、この反対派の切り崩しに
リンカーンは精力を傾ける。
議員たちをそれぞれ持ち上げたかと思うと、
次は相手の弱みを見つけて脅す。
説得とは一筋縄ではいかないものなのだ。

僕はこの映画を観ながら、
ひとりの政治家を思い浮かべた。
竹下登さんだ。
昭和最後の総理大臣である。
彼のいちばんの業績は
消費税の導入だろう。
リンカーンが議員一人ひとりに、
さまざまな言葉を駆使して
翻意を迫るさまは、僕の知る竹下さんに
そっくりだったのだ。

政治は綺麗ごとではない。
覚悟をもって何ごとかを
成し遂げようとするならば、
時には悪者にもならねばならない。
リンカーンは結局、凶弾に倒れた。
竹下さんはもう亡くなってしまったが、
もし生きていたら、こう話してみたかった。
「竹下さん、リンカーンのやり方は
あなたと同じでしたよ」と。



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