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ブログ/2013-06-23

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孫の7歳の誕生祝に行ってきました

スープの冷めない距離感が大事

 私には孫が2人います。今日は、上の孫が7歳になるというので、その誕生祝に行ってきました。と言っても、隣町の久喜市に住んでいるので、車で10分もあれば行けるところです。いわゆるスープの冷めない距離というやつでしょうか。このスープの冷めない距離という距離感が最高にいいんですね。世の中には、子供は近い方がいい、できれば同居したいといって、二世帯住宅にしたり、同じ敷地に二軒分の家を建てたりする人がいますが、私には到底信じられません。

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 二世帯住宅ということになれば、食事なども一緒ということも多いことでしょう。孫は、大人の気遣いなんて気にも留めませんから、朝から晩まで老夫婦の方に入り浸ってということになりかねません。年寄りの立場からすれば、子供に怪我をさせたりしては相済まないので、ひと時も孫から目を離せないということになります。これは、「自分の時間を持てない」ということを意味します。
 私は、そんな生活は真っ平ご免です。朝から晩まで孫につきまとわれるような生活は、自由を束縛された囚人のようなものだと思っています。スープの冷めない距離にいれば、自分の都合のいい時に行けばいいし、面倒と思えば行かなければいい。誰かが病気になったりすれば、呼び出されることもありますが、まあその程度はお互い様です。
 田舎で獲れた野菜があれば、帰りがけに車で配達をしてくる。向こうで余り物ができた時には、こちらがもらう。この距離感が最高にいいですね。

夜の飲み会のためお泊り

 夜は、一杯飲むことになっていたので、車で帰ることができず、一泊することになりました。肝臓を患い、丸々1ヶ月以上も入院した娘婿も、ようやく少しずつ酒が飲めるようになっていました。

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 久し振りに、孫の7歳の誕生祝と快気祝いを兼ねたような格好で、飲むことになりました。型通り、バースデーケーキに蝋燭をともし、孫が吹き消しました。それが右の写真です。私も、子供が小さい頃に、このような行事をした記憶があります。
 私自身は、子供の頃、誕生祝などしてもらった記憶など、一切ありません。貧乏人の子沢山の典型で、誕生祝いだの入学祝い、卒業祝い、七五三など、全く無縁の生活でした。あの時代は、どこの家もそうだったのかもしれません。私は、親と一緒に、花見や観光地に遊びに行ったという記憶は一度もありません。そのころの親は、生きるだけで精いっぱいで、とてもそんな余裕はなかったということでしょうね。

ガッチリしている幼稚園

 したたか飲んで、夜も更けたころ、睡魔が襲ってきて、いつの間にか眠ってしまったようです。朝気持ちよく目覚めることができました。
 そこに孫が幼稚園から持ってきたアルバムがありました。装填のがっしりした立派なものです。何気なく値段を聞いてびっくりです。1万円だそうです。ギョエー・・・!アルバム帳1冊で1万円。娘が言うには、これだけじゃなくて、幼稚園で撮ったビデオ、CDになったものが6000円、〆て1万6千円だそうです。

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 親としては、立派な装填で、しかも、中身を見るとどうしても欲しくなるような写真が一杯。確かに、親としては、見てしまうと要らないとは言えないようなアルバムなんですね。しかも、園のしっかりしているのは、専門業者にのみ撮影をさせ、父兄には撮影を禁止するんだそうです。それなら売れるはずですよね。
 このアルバム帳の中には、全員の「将来なりたいもの」というような欄もあり、つらつら読んでみると、男の子なら「電車の運転手」「サッカー選手」、女の子なら、「お菓子屋さん」「お花屋さん」のようなものが多かったですね。私の孫も「電車の運転手」と書いてありました。一人くらい、国会議員とか、総理大臣とかないものかと思いましたが、全くありません。
 僕の子供の頃は、「末は博士か大臣か」というような言葉がありましたが、今の子供には、そのような発想はないようです。そういえば「選良」という言葉も、もう死語になってしまったようですね。

「スチュワーデスになりたい」といったクラスメート

 自分の子供の頃を思い出してみました。「なりたい職業」なんて何もなかったですね。そんなもの具体的に想像できなかったんだと思います。要するに、「もっと腹いっぱい食いたい」、「雨の漏らない家に住みたい」、「暖かい布団に寝たい」、そういう考えの方が先行していたのかもしれません。それとも、単なるアホだったのかもしれません。

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 そんな中、私の小学高学年の頃、クラスメートの女の子が、将来自分がなりたい職業として「スチュワーデス」と言ったんです。君島幸子と言います。彼女は大変頭の良い子でしたが、早逝しました。その当時、飛行機に乗るなんていうことは夢のまた夢の時代です。その時代に、将来の職業として「スチュワーデスになりたい」、と言ったのはすごいと思います。余りに跳んだ発言だったので、今でもよく覚えています。
 その後、私が高校に入学した後、池田という校長が、何かの挨拶のとき、飛行機でアメリカに行った時の話をしたことがありました。「飛行機に乗った際、窓際に置いたコップの水がこぼれないんだ。それ位揺れない乗り物なんだ」と言ったことがあります。「へ~、空を飛んでいるのに、水がこぼれない。飛行機というものはそんなに揺れない乗り物なんだ・・・」と、妙に感心したことを今でもよく覚えています。昭和36年当時、飛行機というものは、まだまだ「高嶺の花」の時代だったということですね。飛行機と聞いただけで、反射的に「一度乗ってみたい」という憧れと高揚感を感じたものです。



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