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ブログ/2013-12-24

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お呼ばれでクリスマス会

 今日は、クリスマスということで、娘の家からお呼ばれされました。娘が近くにいるというのは、いいものですね。無論、私は、無神論者ですから、神様なんて信じていません。でも、クリスマス会という名の「飲み会」だと思ってますので、全くこだわりはありません。

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 そもそも日本人ほど、宗教的な行事に無関心、無頓着な民族はいないでしょう。幼少時には、神社で七五三を祝ったり、長じては、教会で結婚式をあげたりバレンタインチョコを贈ったり、亡くなったら、お坊さんを呼び、一応神妙な顔をして、読経をあげてもらう。それでも何の違和感もないっていうんですから、一神教の信者からすれば、「日本人ノ頭の構造ハ、イッタイドウナッテイルノアルカ?」と、信じがたいことでしょう。
 最近では、アメリカで流行っていたハロウインパーティなんてものもが、日本でも結構人気が出てきたようです。元々は悪霊を追い出す宗教的な行事とされているようですが、日本人の手にかかったら、宗教的な意味合いはものの見事、毒気を抜くように消されてしまいます。それでいいんだと思います。要するに、お祭り。飲んで騒いで、楽しく過ごせる名目があればいい。日本人は、よく言えば何でも受け入れる寛容さと、どんな宗教でも受け入れてしまう無節操さを併せ持った民族なんだと思います。これは宗教を受け入れるのとは根本的に違います。日本人は、宗教的な「行事」を受け入れているのであって、宗教そのものを受け入れているのではないからです。
 それでも、日本人は、完全に無宗教かというと、必ずしもそうではありません。神社やお寺に行くと、一応、手を合わせてお参りをするんですから、精神的なよりどころとしては、神様や仏様、それに祖先に対する尊崇の念を常に心の中に持っているのではないでしょうか。

孫の成長は早い!

 それにしても、孫の成長の速さには、驚くばかりです。ついこの前まであちこちの公園で遊ばせていたと思っていたのに、もう小学1年生。段々ジジとババはお呼びじゃなくなりつつあります。下の孫娘も、ついこの前生まれたばかりと思っていたのに、一人歩きをし、表情も豊かになってきました。孫が小学校に行くようになったら、もうそろそろ我々の世代は退場を迫られているのかもしれません。

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 この孫娘も、今はかわいい盛りで、「じいじ」だの「ばあば」なんて言ってすり寄ってくれますが、年頃になったら、「いやらしい」だの「不潔」だの「くさい」だのと言われるようになるんでしょうね。もっとも、その頃まで生きていればの話ですが。
 孫たちの顔を見ていると、つい「この子が成人するまで生きているだろうか」とか、「多分、お嫁さんやお婿さんを見られないだろうな」なんて思ってしまいます。人生70年も生きていると、そろそろ自分の退場の時期を考えるようになるものです。寿命のカウントダウンが始まっているわけですから、当然ですね。

手造り料理を堪能

 クリスマスということで、沢山料理も出てきました。もちろん娘の料理が中心ですが、小学一年の孫が作ったという料理が、3皿もあるというのでびっくりしました。もっとも孫が作るものですから、手の込んだものができるわけではありません。クッキーの上に小さなチーズをのせ、その上に半分に切ったミニトマトを乗せるという程度の代物です。

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 でも、言われるまでは、子供が作ったなんて全く気付きませんでした。本当に子供の成長というのは、早いものだと思います。私の小学1年の頃を思いだしてみても、「料理をした」という記憶は全くありません。ただひたすら遊び呆けていたような気がします。
 もっとも、私の小学1年の頃は、「料理」という概念はほとんどなかったような気がします。なぜなら私の記憶では、小学校に上がる前までの食事は、ほぼ毎日「雑炊」だったような気がします。要するに、ご飯がなかったわけですね。そのため、分量を増やすため、大根の葉っぱだの野菜の葉を混ぜ込んで、水を加えて煮込んだわけです。米は雑炊にすると、分量も増えますから、経済的だったんですね。食事時になると、母親から「みんなを呼んできて」と言われると、兄弟に「ゾウスイダゾ~」と声かけをしたものでした。今もそうですが、清らかで純真で、人を疑うということを知らない子供でしたから、食事=雑炊だと思っていたんですね。でも、今はほんの少し、世俗にまみれてしまいました。

初めて食べたカツ丼の味

 そういう時代でしたから、初めて東京に出てきたときに食べたカツ丼の味。衝撃でした。世の中にはこんなにうまいものがあったのか、これが率直な感想でした。雑炊を一番のご馳走と思っていた世代ですから、当然ですよね。当時も今も、カツ丼のどんぶりの模様は殆ど変わっていないようですが、あれには頬ずりしたいような郷愁を感じます。つまり、右上の写真のようなカツ丼を、右下のような雰囲気のお店で食べた、ということです。

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 このような感想を持っているのは、私だけと思っていましたが、作家の五木寛之氏も同じような感想を持っていることを知り、思わずニヤリとしてしまいました。氏は、学生時代、日暮里あたりの製本屋でアルバイトをしていたときのことを「新老人の思想 もう甘えるわけにはいかない」(幻冬舎新書)という著書の中で、次のように述べています。

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途中で、製本屋さんの奥さんが、お茶と弁当を出してくれた。
 そのとき出前で運ばれてきたのが、熱々のカツ丼だった。一口食べて、こんなに旨いものが世の中にあったのか!と思った。
 丼の底の飯粒の一粒まできれいに食べて、半ば茫然自失していた。
「よし、いつかはオレも・・・」
 朝昼晩カツ丼を食べられるようなブルジョア階級になってやるぞ、と固く心に誓ったのだから笑止である。
 それから60年。その気になればいつでもカツ丼を食べられるところまできた。しかし、この数年、カツ丼を食べたのは一度か、二度くらいのものだ。
 今のカツ丼より昔のものの方が旨いというわけでもあるまい。要するに、飢えているかいないかの問題だろう。人は慣れると山海の珍味にも感激しなくなるものだ。もう一度、カツ丼を涙しながら食べるような時代に戻したいとは思わない。しかし、最近この国は少し贅沢すぎるのではないか、とひそかに考えるときがある。


 私も、今はそれほどカツ丼に感激しなくなりましたが、「固く心に誓った」というその気持ちだけは十分に理解できます。

全員集合で記念写真

 クリスマス会ということで、先ずは、孫の司会進行でスケジュールは進みました。孫は、予め、綿密に進行予定表を作り、テーブルの上に置いておいたんですが、母親が散らかっているものを片付けたときに、一緒に片付けられてしまったんですね。
 孫は、半べそをかきながら、「スケジュール表がない」と言ってしきりに捜すんですが、見当たらない。そのうち、全員で家捜しを始め、やっとの事で見つけ出しました。不機嫌だった孫もやっと気を取り直し、司会進行をしてくれました。

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 ジジとババは、ひたすら司会進行に従っていればいいんですから、楽なものです。写真は、孫達が用意してくれたサンタの帽子と白髭で正装したところです。



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