時事寸評 書評コーナー

welcome to shimada's homepage

ブログ/2014-10-19

Top / ブログ / 2014-10-19

浅草河童橋に行ってきました

 久し振りに浅草に行ってきました。浅草は、東武線1本で行けますから、比較的安直に行ける場所なんです。でも、なぜかここ数年、浅草からは足が遠のいていました。

画像の説明

 今日は日曜日とて、買い物に行こうということになりました。11月の幸手商工祭りの際、綿あめのお店を出すので、そこで使用する幟や風船を買おうというわけです。
 店舗用品を専門的に販売するのが河童橋というわけです。終点の浅草まで行き、そこから歩くというのも1つのルートです。しかし、駅からの距離は、ちょっと遠い。一番近いのは、日比谷線の入谷駅。上野の一つ手前です。北千住で乗り換え、入谷駅から歩くこと5,6分。目指す河童橋に到着です。
 プラプラと歩いていたら、道の奥にスカイツリーがバッチリ見える場所がありました。おのぼりさんなので、つい1枚パチリと撮ったのがこの写真です。

寂れが目立つ河童橋

 個人商店主などを相手にする河童橋の各お店。今日は日曜日ということでしょうか。休んでいる店が多く、何だか活気がない。10年ほど前にも来たことがありますが、もっと活気があったような気がします。

P1030311 - コピー

 商店主などが仕入れに来たり、お店開業用の備品一式を販売するところですから、ここは関東一円の商店の栄枯盛衰を映す鏡のような存在でもあります。日本経済の低迷を映し、その結果、活気がないということでしょうか。
 綿あめの店に必要なのれんや幟、景品で出すゴム風船、それにNPO法人として販売する予定の非常災害用缶詰を販売するための宣伝用看板などを購入しました。

帰りは浅草経由で

 帰途は、浅草駅からと思い、浅草駅方面に向かいました。そうしたら、浅草駅周辺は大変な賑わいです。どこからこんなに人が湧いてきたのかと思う位、人人人の洪水です。
 よく見ると、東南アジア系の観光客でしょうか。それに西欧系の外人さんも1割程度交じっています。今放送中のNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」ではありませんが、外人が珍しく、キョロキョロ」してしまいました。幸手辺りでは、こんなに外人さんを見かけることはないからです。

P1030313 - コピー

 それにしても、この浅草の活気はどこから生じたんでしょうか。私も現役サラリーマンの時代、浅草には何度か足を運んだことがあります。その当時は、銀座や六本木、新宿、渋谷など、東京の賑わいはこれらの繁華街に集中していたものです。
 ところが、今は、浅草が一番ナウイ場所になっているようです。東京の下町の雰囲気が残っている、ということでしょうか。確かに今多くの人を集めている街というのは、近代的なビルの並んでいるところではなく、古民家など、江戸の雰囲気を残しているようなところが、活気がありますね。埼玉県の川越、千葉県の香取などはその典型でしょう。古き良き時代への懐古、郷愁なんでしょう。

人力車とパフォーマーの街

 それにしても大きな変化は、人力車の増大です。昔の浅草にも人力車はありましたが、これほどではありませんでした。とにかくどこに行っても人力車の姿が見られるほどに増えています。
 また、奇抜な格好のパフォーマーもあちこちで見ることができました。

画像の説明

 こういう光景はどこかで見たような気がするな~、と思っていたら、思い出しました。昔の子供の時代です。私の子供の時代ですから、既に60年ほど昔の話です。 
 その頃は、田舎にもいろんな大道芸人がやってきたものです。黒コゲになった万年筆の塊を見せ、「自分の働いていた万年筆工場が火事で焼けてしまった。社長はお金を払うことができないから、この焼け焦げた万年筆の塊を退職金代わりにくれたんだ」というような口上を述べ、同情を買うという趣向です。
 また、砕いた硝子の破片を飲んで見せるなんていう芸人もいました。今なら、父兄が騒いで止めさせるでしょうね。何でも親が干渉して子供に危ないことはさせないように、というのが最近の風潮です。要するに、今は超過保護の時代なんです。

過保護と言えば

 過保護という言葉で思い出しました。私の子供の頃は、いつも小刀をポケットに入れていました。もちろん喧嘩をするのためではありません。付近に生えている木や竹を切ったりする必要があるからです。

画像の説明

 竹の生えているところに行けば、竹を切り、竹トンボを作ったりします。竹馬を作るとなれば、竹を切っただけでなく、足を乗せる部分を固定させるために小刀は必需品です。何か遊びをする際には、小刀の出番が非常に多かったんですね。当時の子供は、皆、同じように小刀をポケットに入れていました。
 小刀を持っているから喧嘩をするなんていう発想。それは今の親の感覚です。でも、今の親も、子供の頃は持っていた筈なんですけどね~。
 親の目から見て、危ないところにすべて柵をしたり蓋をしてしまう。これって本当に子供のためになるんでしょうか。柵のない川に行けば、流されることもあるでしょう。でも、大体は岸にたどり着きます。そこで、危険を実感するんです。小刀だって、携帯することによりその危険性も分かるし、手の器用さも養われる。鉛筆一本削れず、危険性にも鈍感になる。スマホやゲームにのめり込み、「人を殺してみたい」なんていう感覚、そちらの方がよほど危険で不気味なんじゃないでしょうかね~。

a:717 t:1 y:0



コメント


認証コード(6701)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional