時事寸評 書評コーナー

welcome to shimada's homepage

ブログ/2015-01-05

Top / ブログ / 2015-01-05

賑やかな年末年始でした

 またしても、新しい年を迎えてしまいました。年齢を重ねるに従い、新年を迎えるのは、気が滅入るようになってきました。特に、70歳も越すようになると、いつ「お迎え」が来てもおかしくない訳ですから当然と言えば当然です。

画像の説明

 テレビなどを見ると、高齢者が高速道路を逆走して、事故を起こした、なんてニュースを見ます。「ああ、おれもいつか逆走するようになるのかな」なんて、思ったりします。
 とまあ、そんな暗い話をしても始まりません。今はとにかく元気です。体の不調を感じることは全くありません。胃腸は快調ですし、目や肩、足、腰が痛いなんてことも全くありません。特に私は、若い頃から「肩こり」や「冷え」という現象を全く知らないんです。そもそも肩こりとは、どういう現象をいうのか、一度経験してみたいものです。また、冷えとは、どういう症状を言うのか、全く想像がつかないんです。
 若い女性なんかが「肩がこる」とか「冷えて寝られない」なんて言うのを聞くと、どういうことなんだろうと、不思議に思っていたものです。「冷えて寝られないならば、湯たんぽ代わりに僕が一緒に寝てあげるのに」、なんていつも思ったりしたものです。

娘と息子の家族が来てくれました

 それはともかく、今年も娘と息子の家族が年末から年始にかけ、我が家に来てくれました。恒例の年中行事です。年納めは焼肉で祝いました。といっても、テレビで紅白歌合戦を見ながら、飲んで騒いで、そこに焼き肉があったというだけなんですけどね。紅白と言っても、私は、誰が出て何を歌っていたかなんて記憶、全くありません。
 でもこういう風に、我が家で年末年始を祝うようになったのは、それほど古いことではありません。というのも、私の両親や妻の両親が健在な頃は、毎年交互に両家を訪問していましたから、自分の家で年末年始を迎えるということがなかったんです。
 それが、それぞれの親が1人減り、2人減りで、行っても盛り上がらなくなり、いつの間にか、自分の家でやるように変わってきたんですね。

画像の説明

 特に、私のようにお酒の好きな人間は、賑やかなことが大好き。一家の主が酒が飲めないと、どうも足が向かない。妻の父、つまり義父は酒瓶を抱えて生まれ、酒の産湯で体を洗ったのではないかというくらいに、根っからのお酒人間でした。素面の時は、何が面白いのか、と言うような顔をしていますが、一度お酒が入ったら、財布場空っぽになる位の大判振る舞いをします。
 私は、元々は謹厳実直を絵に描いたような真面目青年でしたから、初めてお正月に訪ねた時は、かなり面食らいました。なんせ、朝は、「朝飯前」に軽く一杯。昼もお酒を少々、当然、夜は本格的に宴会です。気が弱く、断れない性格が災いし、義父の勧めるままに、毎食時、お酒を飲みまくりました。
 まあ当時は、何と言っても若さがありました。2,3日なら少々飲んでも、1日休肝日を作れば回復したものです。でも、3日連続となると、流石にいくら若いといってもついて行けません。そいう時は、午前中に大阪市内や京都見物と称して、昼食をボイコットしていたんです。妻の実家は、大阪と京都を結ぶ阪急沿線の総持寺というところにありました。大阪と京都のほぼ中間ですね。ですからどちらに出るにも30分程度で行けたんです。
 

酒は鍛えれば強くなるもの

 私の拙い経験によれば、「酒は鍛えれば強くなる」ものだと思います。というのは、私は学生の頃、真面目で勉強が大好き(^_^*)、しかも純情、初心(うぶと読みます。)ときてましたから、お酒はあまり飲まなかったんです。と言うよりは、正直に言えば「先立つもの」がそれを許さなかったんですね。
 そのため、鍛えられていなかったので、結婚してからも、ビール瓶1本が飲み干せず、いつも半分くらい残していたんです。貧乏所帯なのに半分も残すんでは余りに勿体ない。そこで明晰な頭脳を駆使して考えました。飲み残しのビールにキャップを付けることにしたんです。
 随分といろいろなキャップを試しました。恐らく10個くらいはとっかえひっかえ買ってきたんではないでしょうか。これもダメ、あれもダメ。いろいろ試しても、翌日はすっかり気が抜けてしまって、とても飲めた代物ではないんです。味に鈍感な私でもとても飲めない。
 業を煮やし、妻が配達してくれる酒屋のおっちゃんに尋ねたそうです。「ビール瓶の半分位のビールはありませんか」と。そしたら酒屋さん曰く。「そういう人は飲まない方がいいです」。至言です。いや、身も蓋もないとはこのことです。でも、世の中変わりましたね。今は大瓶の半分位のビール、つまり350ml缶が、飛ぶように売れるようになりましたからね。需要はあったんですよ。先見の明があったんですね。
 もっとも、今の私は、そんな半分のビールなんて必要なくなってしまいましたから、皮肉なものです。

私の父は酒嫌い

 ところで、私の父は一切酒を飲みませんでした。8人兄弟で、太平洋戦争時は、軍人として、朝鮮や満洲などにいたようです。獣医として働いていたようですが、実際には、馬の蹄鉄打ちの仕事などが多かったようです。戦後、正式に獣医の資格を取り、那須で獣医を開業していました。
 その父が、家で酒を口にしたのを見たことがありません。多分、外でも飲んでいなかったと思います。もっとも、「家では浮気の気配がチラともなくても、外ではしっかりと」、ということも多いそうですから、人間の社会だけは分かりません。
 父が、酒を口にしなかったのは、父の父、つまり私の祖父が大酒飲みで、しかも酒癖も悪く、家族が嫌な思いをすることが多かったためということのようです。私も、生前の祖父の酒癖の悪さを何度か見ていましたから、間違いはないでしょう。父は、その姿を見て、「俺は絶対に酒を飲まない」と固く誓ったんだそうです。反面教師というわけですね。

画像の説明

 そういう父でしたから、正月などで帰省しても、私が一人で飲んでいるような感じで、さっぱり楽しくなかったんですね。
 この父の弟、つまり私の叔父も、お酒を一滴も飲みません。叔父はシベリア抑留の経験があり、今も93歳で元気に暮らしています。この叔父は、私が那須に農作業のために帰る都度、顔を出してくれるんです。それはいいんですが、座敷に上がってコタツに座っていると、私の横に置いてある一升瓶をジーッと見つめるんです。そして、必ずと言っていいほど「お前はまだこんなもの飲んでいるのか?」と聞くんです。その度に「グサッ」とくるんですね。
 何だか放蕩息子にでもなったような気分で、あまりいい気分ではありません。今は随分なれて、馬耳東風で聞き流せるようになりました。
 もっとも、この叔父が酒を飲まなくなった理由が奮っているんです。「俺はこれまで、一度だけ酒を飲んだことがある。世の中にこんなにうまいものがあるのか。こんなうまいものを飲み始めたら、必ず身を持ち崩す。そう思ったから一切飲まないことに決めた。」と言うんです。
 私だったら、きっと「こんなにうまいものがあったのか。これまでの人生を損した。これからはその分を取り返すように飲まなくちゃ。」と思った筈です。人間というのは、同じ物の見ても、それに対する反応は180度違うものなんですね。

家庭用カラオケは詐欺だ

画像の説明

 ところで、最近、妻がカラオケデビューをしました。70の手習いというところでしょうか。これまでは、私がいくら誘っても絶対にカラオケには行かなかったのにです。事務所でNPO法人の仲間達と飲んだり駄弁ったりしているうちに、酒も多少は飲むようになり、自然と皆とカラオケの店にもついて行くようになったんです。
 カラオケ店に行くと、一曲ばかり歌っているというわけにもいかず、複数曲を覚えたい。そのためには、家で少し練習をしたい、という気になったようです。
 「テレビで宣伝しているカラオケ一番を買おうよ」なんて言い始めたんです。私は、家でのカラオケなんてまっぴら御免と思っています。そもそもカラオケというのは、近所迷惑も顧みず、大音量のスピーカーで遠慮会釈なく歌うもの。それがカラオケの醍醐味というものです。防音装置のない、一般家庭でカラオケを歌うとなれば、近所迷惑もいいところです。雨戸を閉めきり、身を縮め、声をひそめて歌うなんて、カラオケではありません。声が漏れて、「隣のご主人、最近ボケてきたと思ったら、とうとう本格的に気が狂ったのかしら。あんな声を聞かされたら、糠味噌だって腐っちゃうわ。よくまああんな声で歌う気になるわね~。」なんて言われたら、たまったものではありません。
 ですから私は全く興味を示さなかったんです。それなのに、妻は、テレビで宣伝している「カラオケ一番」セットを、通販で買い込んでしまったんです。小林旭なんかが宣伝しているあれです。

画像の説明

 案の定、現物が届いてびっくり仰天。ひっくり返りました。300曲がまるまるタダ、なんていうから、その曲目一覧を見てみました。そしたらほとんどが民謡とか、校歌、幼稚園生向けの歌、それに軍歌まで入っているんです。それでも申し訳程度に、何曲かは、「矢切の渡し」とか「昔の名前で出ています」なんて、昔のヒット曲がチラホラ入ってはいます。これで足りなかったら、1曲200円で、別途買い足して欲しい、というわけです。これって、私に言わせれば、ほぼ詐欺、いや正真正銘の詐欺と言ってもよいでしょう。
 テレビのコマーシャルでは、何千曲が入っているかのように歌の本をチラチラ見せています。でも耳を澄まして、よ~く聞いていると、それらがセットでついているとは言っていないんです。これらの「本の中に入っている何千曲の中から選ぶことができる」と言ってるだけなんですね。「買って欲しい」なんて言わないんです。「選ぶことができます」という言い方ですね。金を出して買うことができるんだったら、「選ぶことができます」なんて言って、歌本をピラピラ見せるなってことです。これこそ巧妙な詐欺師の古典的な手口です。
 

新年はいつものように幸手観音にお参り

P1030490 - コピー

 新年は、例年通り、幸手観音でお参りしました。わざわざ大きな神社やお寺には行かないんです。時々、アニメの聖地となった鷲宮神社なんかに行くこともありますが、付き合い上行くだけです。
 地元のお寺で、参拝客がいなくなった頃に出かけていく。それで十分です。若い人なら、お互い腕でも組みながら出かけていくのも楽しいでしょうが、もうそういう歳でもありませんしね~。
 家に戻ったら、3歳の孫娘が、いつものように、新聞広告をちぎり始めました。すぐにゴミの山ができますが、この年齢の子にとっては、きっと砂遊びと同じ感覚なんでしょうね。え~い、いくらでも散らかせ~!
 
 

 
 
 

a:813 t:1 y:0



コメント


認証コード(4123)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional