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ブログ/2015-02-21

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3市町を徒歩でめぐってきました

 うららかな春の陽気に誘われて、幸手市を振り出しに、茨城県の五霞町、そして埼玉県の久喜市栗橋町を巡ってきました。もちろん、徒歩です。

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 最初のスタート時は、権現堂公園の水仙を見てこようということだったんです。ところが、途中で買ってきた昼食弁当を権現堂公園で食べているうちに、もう少し歩いてみるか、ということになったんです。
 もう少し歩くということは、後ろに見える橋を越えるということです。実は、この橋、渡るのは初めてです。というのは、自宅から、この公園まで徒歩で往復するとほぼ1万歩になるので、これまでは橋を渡って更に歩くなんて元気が出なかったんです。
 でも、今日はやけに天気がいい。これならもう少し歩けるだろう、ということで足を伸ばすことにしたんですね。

権現堂公園とは

 先ずは、権現堂公園の概要の説明をしておきましょう。図でご覧いただけますように、1号公園と4号公園の表記があります。権現堂公園の桜堤は、4号公園という位置づけなんですね。2号公園と3号公園がどこにあるのか、私にも分かりません。1号と4号公園の間にある「権現堂公園」と記載された辺りに、2号と3号公園があるのかもしれません。しかし、現在は、造成工事中で、とても公園と言えるような雰囲気ではありません。

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 この4号公園、すなわち権現堂桜堤は、関東の桜の名所として最近、つとに有名になりました。約1,000本のソメイヨシノが1kmにわたって咲き誇り、堤の周辺の菜の花とのコントラストは本当に見事です。観光バスも沢山来るようになり、桜の時期は、花見客でごった返します。テレビ取材も多くなりました。
 また、6月には色とりどりの紫陽花(アジサイ)、9月には真っ赤に染まる曼珠沙華(彼岸花)、1月には白い可憐な水仙が見ごろを迎えます。要するに、 1年を通して花を楽しむことができるというわけです。

嘗ての権現堂は

 実は、今のような賑わいを見せるようになったのは、それほど古いことではありません。昭和52年ですから、今から38年前、私がここ幸手に引っ越してきた当時は、この権現堂桜堤も地味な公園でした。今は、ロープで仕切られ、立ち入りができなくなりましたが、嘗ては、堤の斜面でお弁当を食べたりしていたんです。
 その後、県立公園として本格的な整備が始まってから、趣が変わってきたんですね。嘗ては西側にあった菜の花畑を東側に移し、東斜面を中心に桜を中心に景観の整備を行ったんです。
 上の写真に写っている、モニュメントのような橋の鉄塔も最近完成したものです。橋の先には、陰気臭い工業団地があるだけという印象でした。

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 でも、最近は、かなり整備も進み、工業団地側も奇麗に整備が進められている雰囲気だったんです。「雰囲気だった」というのは、私たちも、橋を渡ったことがなかったからです。
 近くで見ると、この工業団地、昔はくすんだいかにもみすぼらしい外壁でした。でも今は、外壁塗装をしたらしく、綺麗に上塗りされていました。県から景観整備に協力して欲しい、とか頼まれたんでしょうね。

そとのはしの渡り初め

 今日初めてこの橋を渡りました。多くの方が既に渡っている橋ですが、私どもにとっては、初体験です。私は嘗て本四公団に籍を置いていたことがあり、因島大橋や大鳴門橋の渡り初めの前に、職員として渡ったことがありますが、渡り初めなんて久しぶりのことです。
 橋の名前が銘盤に刻まれていました。「そとのはし」と平仮名で書いてありました。そとのはしがあるなら、どこか近くに「うちのはし」があるに違いない、位に思っていました。でも「そとのはし」の漢字は「外野橋」と表記するんだそうです。ということは、「外野」は、地名なのかも知れません。
 この外野橋を渡りきると、新たな駐車場とともに、公園も整備されつつあり、工事の真っ最中でした。今年4月にはオープン予定だそうです。権現堂公園が、もっともっと大きくなるんですね。今年の花見時には、こちら側も、一層花見客で賑わうことになるでしょう。

橋を渡ると広大な調整池が展開

 外野橋を渡り、しばらく歩くと、大きな調整池のパノラマが展開していました。こんな大きな池を回りきれるだろうか、と一瞬心配になりましたが、意を決して池の周りを一巡りすることにしました。この調整池は、今でもカヌーなどの競技に使用されているらしく、水中にプールのレーンのような標識が施されていました。

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 真っ先に目に飛び込んできたのは、大噴水です。おお、こんなところで一人寂しく水しぶきをあげているのか、と同情せざるを得ませんでした。
 この調整池の一部には工業団地が展開しており、若干興ざめの感も否めません。しかし、もともとは工業団地としての開発が先行し、公園としての整備は後追いですから文句は言えません。養鶏場があるところに後から住宅を建て、「臭いから出て行け」と文句を言うようなものです。
 工業団地の一角を過ぎると、突然、築山が登場し、その上に東屋(あずまや)が鎮座していました。しかも、築山の下にある数本の梅のうち、一本が丁度見頃で、思わずパチリと撮ってしまいました。
 この周辺は嘗て土地改良事業によって整備がなされたようで、これ見よがしの大きな記念碑が建立されていました。その碑に、ここは茨城県五霞村であるとの表記がなされていました。そうです、ここはもう茨城県だったんです。いつの間にか、埼玉県から茨城県まで歩いてきたということになります。

五霞村から埼玉県栗橋町へ

 調整池の周辺を、のんびりブラブラ歩きながらやっとたどり着いた橋に、「ふなとはし」の銘盤が施されていました。近くの案内板で、ここが埼玉県栗橋町であることが分かりました。この栗橋町、平成の大合併により、現在は、久喜市栗橋町となっています。
 ご丁寧に、橋の銘盤のうえに、「帆掛け舟」の彫像まで設えられていました。多分、江戸時代、この船を使って、江戸に米などを搬送していたのでしょう。

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 内水面輸送ですね。私は、いつもこういう内水面輸送の話を聞くと、疑問に思うことがあります。下り、つまり江戸に向かう時は、水の流れに逆らわずに行けばいいだけですから何も問題がありません。
 疑問に思うのは、「帰りはどうしたんだ?」 ということです。今なら、トラックか何かで一気に逆送できますが、そんなエンジンのない時代の話です。風の力だけで、船が上流まで本当に逆走できたのでしょうか。出来なかったとすれば、どういう方法で船を上流まで戻したのでしょうか。誰か教えて!?

調整池の周囲は桜並木

 今日初めて知ったことですが、この調整池の周辺には、延々と桜が植えられていたんですね。驚きました。これだけ長い距離を桜で整備したなんて、先人たちの偉業に脱帽です。

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 今年のお花見は、観光客でにぎわう権現堂公園よりも、この調整池周辺でお花見ができる、と確信しました。桜の木の下で、お花見をしながら、広大な調整池と遠くの噴水、それに対岸の桜並木を遠望しながら、善良な市民がちびりちびりと日本酒を飲む。おお、何とすばらしい日本的な風景ではないでしょうか。

最後は水仙を鑑賞して帰路に

 再び権現堂桜堤に戻り、水仙を鑑賞しました。水仙が植栽されているのは、範囲が狭く、余り見栄えがしません。まあ、これは「おまけ」みたいなものですね。何もないよりはまし、ということでしょう。

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 やはり、というか、当然というか、観光客は殆んどなく、地元の人と思しき人たちが、ちらほらと来ている程度でした。

今日の歩数は

 家に帰りつき、歩数計を確認しました。17,567歩でした。私は軽く2万歩は歩いたものと思っていましたが、案に相違して、2万歩を切っていました。いやはや、1日2万歩も歩く人、本当に凄いんですね~。

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 2万歩という話で思い出しました。曽野綾子さんと近藤誠さんの対談「野垂れ死にの覚悟」という本の中に、「一日一万歩で体を壊す」という項目がありました。近藤誠さんは慶應義塾大学の放射線科のお医者さんで、「患者よがんと闘うな」という著作で有名になった方です。最近も、結構健康本で話題の人です。
 私は48歳の時にこの本と出合い、以来、人間ドッグ、健康診断は一切受けないことに決めたんです。非常に説得力があり、共感したからです。もちろん、近藤先生は人間ドッグも健康診断も一切受けないし、自分の血圧がいくつか、なんてことも一切知らないそうです。お医者さんでありながら、ここまで徹底している人は、本当に稀有ですね。信念の人と言ってもいいでしょう。
<私は「同じ死ぬならガンで死にたい」という思いを抱いています。その想いを綴った「ガンで死にたい」は、このHP左の「ガンで死にたい」をクリックしてくださいね。>

 この近藤先生が、こんなことを言ってます。「歩くことはいいんですけど。ただ、それは目的化している感じがします。歩いて楽しいわけじゃなくてね。僕の友人は、太っているからダイエットしたいって、はりきって歩いてたらヒザの骨を痛めて、かえって動けなくなっちゃった。本末転倒ですよね。」なんて語っています。
 私の知人にも同じような人がいます。85歳くらいだと思います。1日1万歩と決めて歩いていたら、膝を悪くしてしまったというんです。高齢になったら、労わりつつ歩く程度でいいのではないでしょうか。
 無理に歩いて運動不足を補おうというのではなく、家事や畑仕事など、日常生活の中で気づかないうちに体を使っていた、というのが一番いいということなんでしょうね。
 今日のように、ポカポカ陽気の中で、気ままに歩いた場合には、1万7千歩でも全く疲れませんでした。楽しく歩けば疲れないんですね。もちろんジジババ同士でなく、恋人同士で歩いたら、もっともっと楽しくて、疲れなんて吹っ飛んでしまうと思いますけどね~・・・。

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