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ブログ/2015-06-21

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映画「愛を積むひと」を見てきました

映画は酒タバコと同じ

 映画を見るのは本当に久しぶりです。映画は、見始めると癖になります。予告編などを見ていると、つい「今度はあれを見たい、これも見たい」と思うようになるからです。習慣のようになってしまうんですね。

愛を積むひと

 「久しぶりに見た」、ということは、最近、映画から遠ざかっていたということです。映画を見ることになったのは、妻に促されたからです。「愛を積むひと、面白そうだから見に行こう」と言うんです。
 私も、このところ仕事の方は暇をしているので、早速見に行くことになったというわけです。

座席はどう選ぶか

 シネプレックス幸手は、入館前に座席を予約する必要があります。ですから、どこが空いているか、隣に人がいるか、など事前にチェックできるんです。私は、両隣に人の来る心配のない、2人席を選びます。自分の隣に知らない人が来て、その人が男だったりすると、肘が出張ってきたりすると窮屈な思いをしなければなりません。綺麗な女性だったりすれば、嬉しいですが、その保証はありません。第一、確率的に極めて低いと断定できます。ですから、2人席が最適なんです。東京だったら、そんな贅沢が許されるはずもなく、「何抜かしてケツかんですか、いや、何を仰ってるんですか?」なんて聞かれるに決まっています。
 当館の2人席は、スクリーンに向かって両サイド(又は片側だけ)の端に配置されています。映画というのは、本来、中段の真ん中が最上席とされています。ですから、端っこの席は決していい席ではありません。シネプレックス幸手では、この最上級の席は、白い牛(多分)カバーで覆われています。座席も一回り大きなソファーです。見ただけで「特等席!」ということが分かります。「いつかあの席に座れるようになったらいいね」というのが、私たち夫婦の会話だったんです。
 ところが、今回、この特等席、なくなっていました。あら不思議、と思いました。でも、不思議でも何でもないんですね。私は、この映画館が発足して以来、何十回も通っていますが、この特等席に座っている人を見たことがないからです。「幸手には金持ちがいないのかな~」なんて、思っていたんです。もっとも「金持ちほどケチ」と言いますから、この論を前提にすれば、幸手にも少しは金持ちがいるのかもしれません。もっとも、私は「貧乏でケチ」という部族に属していますから、人様のことは言えないんですけどね。

嫌な予感

 さて、映画の始まる前、予告編が上映されている間にも、五月雨的に客が入ってきます。その時、2人連れのおばさんが上がって来るのが見えました。一瞬、嫌な予感がしたんです。おばさん2人=おしゃべり、と相場は決まっているからです。「このおばさん2人、どこに座るんだろう。まさか我々の後ろではないだろうな」と思ったんです。神にもすがる気持ち、とはこういうことです。
 ところが、何とこのおばさんの2人連れ、我々の後ろに座ってしまったんです。アチャ~、これはやばい!!と思いました。大体、この年頃のおばさん達は、自分たちのために世の中が回っている、と思ってますから、他人の迷惑なんぞ顧みません。

始まったヒソヒソ

画像の説明

 映画が始まりました。案の定、2人でヒソヒソ話が始まりました。映画の内容について、評論しているんでしょう。画面の展開に応じて、話す内容は変わっているんでしょうね。何を話しているのかまでは聞き取れません。「あら、やだ。馬鹿ね~、あれはこうよね~おかしいわよね~」とかなんとか言っているんでしょう。それでも、2人の良心に少しは期待しました。そのうちに話すのを止めてくれるのではないかということをです。
 ところが、期待は裏切られ続けます。30分たっても、40分たってもヒソヒソ話は続きます。さすがに堪忍袋の緒が切れました。後ろを振り返って、「静かにしてくれ!」と言ったんです。

暫らくは静かに

 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、暫らくは静かになりました。しかし、10分ほどすると、再び、ヒソヒソ話の再開です。前よりは、声のトーンは低くなりました。映画は話をしながら見なければつまらない、と心得ているようです。
 さすがに私も諦めました。空いている席に一人だけで逃げたんです。妻は、そのまま残りました。後で聞いてみると、「うるさい爺さんがいなくなったんで、あれからまた話し始めたわよ」なんて言ってました。
 こういう私語に対する寛容さというのは、男女で異なるものなのでしょうか。私は、社会のルールを守らない人間に対して、不寛容なのでしょうか。
 しかし、いくら話が好きだからといって、映画館の中ですることはないだろう。自分の家でやれよ、と思うんですが、そういう私は、狭量な人間なのでしょうか。

私が怒られた

 映画を見終わったあと、妻は、「注意をするときは、静かにしてもらえませんかと穏やかに言わなければいけない。あんなきつい言い方はよくない」と盛んに怒ってました。しかし、30分も40分も我慢した末の注意ですから、既に、頭にたっぷり血が昇っています。穏やかになんて、とても言えるものではありません。

画像の説明

 最近、高齢者の犯罪が増えているとか聞きます。年をとると、人間は、次第に枯れてきて穏やかになるものだ、というのが昔からの定説です。諦観、どうせすぐ死ぬんだというあきらめの心境でしょうか。でも、70を過ぎた私の実感では、高齢者ほど、頭に血が上りやすいのではないか、という気もします。
 私たちの小学生の時代、「道徳」という授業がありました。他人に迷惑をかけることは良くないこと、というのが道徳の基本でした。してよいことか悪いことかは、「他人に迷惑をかけているか否かで判断せよ」ということを学んだのです。偉人に学ぶ、公徳心や公共のものを大事にする、というようなことも学習したと思います。
 しかし、今は、道徳の時間なんてないそうですね。従って、他人に迷惑をかけるということがいけないことだ、というのが体に染みついていないのかもしれません。そのカルチャーギャップが、我々高齢者をイラつかせる原因になっているのかもしれません。
 また、高齢者は、現役を引退していますから、会社に迷惑が掛かる、自分の出世に影響するといった、ブレーキとなる社会的制約からも解放されています。それが高齢者の万引きや「すぐ切れる」現象に結びついているのかもしれません。現役のころ、「サラリーマンでなかったら、いますぐこいつをぶん殴ってやるんだが」なんて、何度思ったかしれません。そういった抑圧されていた時の反動が今来ているのかもしれません。

映画の内容は断片的

 という次第で、映画の内容は殆ど覚えていません。ヒソヒソ話が気になって仕方がなかったからです。映画のプロモーション風に言えば、次のようになります。

第二の人生を大自然に囲まれた美しい土地で豊かに暮らそうと、東京下町の工場をたたみ、北海道に移り住むことにした夫婦、篤史と良子。以前に外国人が住んでいたという瀟洒な家を手に入れ、良子は野菜やガーデン作り、家の内装などのアレンジなどささやかながらも豊かな生活を満喫していた。一方、仕事人間から仕事が無くなった途端、手持ち無沙汰で暇を持て余す毎日の篤史。見かねた良子は、長年の憧れでもあった家の周りの石塀作りを篤史に頼む。しかし、以前から患っていた心臓の病を悪化させ、良子がこの世を去ってしまう。悲しみにくれる篤史のもとに、ある日、良子より手紙が届く。驚く篤史。そして、次々と見つかる手紙に導かれるように・・・。(あとは映画館でご覧下さい)

 映画を見ながら、ひとつ思ったことがあります。佐藤浩市という俳優、いい男ですね~。一瞬、歳をとったらこういう男になりたいな~、なんて思ったんです。でも、よく考えてみたら、自分の方が遥かに歳をとっていたんですね。現実とは本当に厳しいものです・・・。


 あ、そうそう。映画の後で、映画館のすぐ近くにあるポルトガル&イタリア料理の店に行きました。よろしかったら、こちらのルポも見てくださいね。
◆ポルトガル&イタリア料理の店GIRO

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