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ブログ/2015-09-21

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シルバーウイークに那須に帰ってきました

なぜシルバーウイークなの

 私は、シルバーウイークなんて言葉、全く知りませんでした。でもテレビなんかでそう呼んでいるから多分シルバーウイークで正しい呼称なんでしょう。高齢者のための休み?それもおかしいですよね。高齢者は暇で暇で、死ぬほど暇なんですから、今更まとまったお休みを頂いても仕方がありません。

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 ならばシルバーウイークって何なの。どうもその意味は、秋の大型連休のことのようです。だったらどうしてシルバーなの?と疑問が湧きますよね。その意味は、「5月の大型連休(ゴールデンウイーク)に対して、シルバー(=銀)ウイーク」と名付けたんだそうです。
 5月が金だから秋は銀、いや~、芸がないですね~。余りにも貧弱な発想です。じゃ、お前にすばらしい発想があるのかと言われれば、特にありません。天高く馬肥ゆる秋の連休だから・・・馬秋ウイークかな。え?馬糞の臭いが漂ってくる?たしかに・・。

別荘なんて滅相もない

 な~んて話はともかくとして、3泊4日で那須の家に行ってきました。那須の家なんて言うと、別荘をイメージする方がいるかもしれません。決してそんな大それたものではありません。
 要するに、親父の住んでいた家と土地があるというだけなんです。この家と土地がある、というのが曲者なんです。
 田舎に家と土地があるとどうなるか。家にも土地にも税金がかかってくるということです。固定資産税に都市計画税です。もちろん、行った時に寝泊まりしますから、電気、ガス、水道は一応切るわけにはいきません。当然、使用量は僅かでも、基本料金はしっかりかかってきます。高見山じゃありませんが、本宅と別宅に「2倍、2倍!」の基本料金が必要になるということです。
 基本料金だけで済むならまだいい方です。2年ほど前には、水道料金として1月30万円以上徴収されたこともありました。びっくり仰天、腰を抜かしました。那須の冬は寒く、冬場の水道は凍結します。水道の元栓を締め忘れたらしく、春先に管内の氷が溶け、水道水が流れっぱなしになっていたようなんです。

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 水道局に泣きつき、嘘涙を流しながら、すがるようにお目こぼしをお願いしました。でも、結局、許してもらえず、泣く泣く30万以上の水道料金を払いました。その後数ヶ月は、生活費を切り詰め、きゅうりとナスとかぼちゃで凌ぎました。食べるものが少ないと出るものも少ないので、水道代は節約できました。
 この他、帰る度に高速代、ガソリン代がかかります。途中のSAで食事をしたり、隣家や親戚にその都度手土産も必要です。
 畑も1人では耕しきれないので、隣の農家にお願いし、トラクターでかきまわしてもらうんです。もちろん耕作目的ではありません。そうしないと草ボウボウになってしまうんです。この作業のための謝礼も必要です。住んでもいないのに、町内会の会費として毎年1万円も徴収されます。
 一度、草を生え放題にしておいたことがあります。そしたら雀の大群が押し寄せ、近所の農家から雀に稲を食われてしまうから何とかして欲しい、と苦情を言われたこともあります。この時、日本に雀が少なくなったというのが、嘘だと分かりました。雀なんて餌があれば、腐るほど寄ってくるんです。文字通り雲霞のごとくです。自然農法による栽培だなんて、呑気なことは言っていられないんです。

自家栽培の作物は一円にもならない

 一応、畑の一角に自分で直接栽培する土地は確保しています。150坪くらいでしょうか。わずか150坪と笑うなかれ、です。夏場は放置するとすぐに草が生い茂ります。里芋なんて、最初は成長のスピードが遅いですから、すぐに草の中に埋もれてしまいます。3週間ほど間を開けると、もうどこに植えたのか全くわからなくなってしまいます。草をかき分けかき分け、やっと探し出す始末です。小さな愛し子を見つけたようなものです。
周りの草を引き抜くと、その愛し子まで一緒についてきたりします。オノレ~!なんて言っても後の祭りです。

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 本当に膝くらいまで伸びた草を抜くのは、大変な苦労なんです。草を抜く、なんて生易しいものではありません。普通、草取りというのは、指先で「ちょんちょん」という感じで取りますが、我が家の場合、息を整え、腰を入れて引き抜かないと抜けないんです。
 こうして苦労して出来た作物も、自分で食べるよりも、ご近所にお裾分けしてしまう方が多いんです。しかも、他人様にあげるのに、できの悪い物や形の悪い物をあげるわけにはいきません。自ずとよくできたものからあげることになります。これが人間の見栄というものです。勢い、自分で食べるものは、大きくなり過ぎたり、形が悪くなったり、少ししなびたりしたものを食することになります。私の腕くらいに大きくなったキュウリを、キュウリもみにして食べるんです。要するに、何のために畑を作っているのか、ため息の出るような塩梅なんです。
 愚痴を言っても仕方がありません。田舎に家を持つというのはそういうことです。最近、天野隆という人が書いた「やってはいけない実家の相続」という本を読みました。まさにその通りで、心に滲みました。やってはいけない実家の相続をしてしまった、ということですね。

たまには女房孝行を

 こんな状態ですから、時々妻から「せっかく那須に来てもほとんど観光などできない」とか、「行く先が那須ばかりで他に行けない」と愚痴を言われるんです。

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 そこで、今回は、1泊だけ温泉宿に泊まることにしました。と言ってもこれまで何度も泊まったことがある「大鷹の湯」です。自宅から車で5分程度で、散歩がてらに歩いて行ける距離です。5ツ星源泉の湯ということでかなり有名な温泉です。泉質がいい、食事がいい、値段もまあまあで、家からも近い。4拍子揃っているので、愛用しているんです。
 ここは夕食時の生ビールが特に美味しい。他で飲むものよりも、一段と美味しく感じるのは気のせいでしょうか。現役の人なら、妻以外の人をそっと連れて行くのもいいかもしれません。いえ、私は決してそんな淫らなことはしたことがありませんよ。人から聞いた話です。

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 夕食は、一品ずつ運んでくれるフレンチ方式ですが、酒飲みはぐだぐだ言いながら飲むので、この方式では食事が早すぎます。ですから次の物をもってきて欲しい時にテーブル上のブザーで知らせるようにしています。次の品お願い、というわけです。
 朝食は右の写真でご覧いただけますように、バイキング方式です。地元那須の農産物が豊富にでてきます。納豆も私の家の近くの店で作ったものなので、とりわけ美味しいような気がするんです。宿泊客が余り多くないように見えても、朝食時になると結構泊まり客がゾロゾロ出てくるのでびっくりします。換言すれば、夜は静かに泊まれる宿ということでもあります。

道の駅伊王野に行ってきました

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 農作業ばかりでなく、たまにはどこか観光に行こうということになり、「東山道 道の駅伊王野(いおうの)」に行くことにしました。パンフレットに綺麗な写真が載っており、2連の水車や手打ちそばなどもある、ということなので、興味を持ったからです。おお、かなり牧歌的なところがある、と期待しました。
 結構遠かったです。車で40分ほどかかりました。私が田舎で素直にすくすく育っていた頃、獣医だった父が「伊王野に行ってくる」と言って、出かけていた頃を思い出しました。父はこんな遠いところまで往診に来ていたんですね~。お陰で息子もこんなに真面目で品よく育ったんですから、一応効果はあったということになります。この東山道と言うのは、嘗て、義経が奥州から鎌倉に馳せ参じた道です。

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 現地に到着すると、見渡す限り車だらけ人だらけ。駐車場が満杯なのはいいとして、周辺の道路にも車が溢れています。ガードマンらしき人も、もうお手上げ、という感じで「満車です」というだけで、何の案内もしてくれません。「見れば分かるだろう」という感じです。狭い空きスペースを見つけて、強引に停めました。
 何でこんな田舎にこんなに人が来るんだ~!と心底驚きました。シルバーウイーク期間中だから仕方がありませんね。本当は私のような70過ぎの高齢者は出歩いてはいけないんです。死ぬほど暇なんですから、平日の暇なときにこっそり来ればいいんです。

手打ちそば

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 ここまで来たからには、是非、手打ちそばを食べてみようということになりました。行列の最後尾を見つけ、並びました。でも、重篤な便秘に罹ったように、一向に前に進みません。途中、右手にショーウインドウがあり、その中でオジさんが2人、オバさんがひとり、3人で蕎麦をこねていました。
 毎日ああしてそば粉を捏ねているせいでしょうか。両手は抜けるように白くなっていました。手や爪の垢もつく間はないと思います。子供は泥遊びが好きです。大人でも、うどん粉や粘土を捏ねるのは、基本的に好きです。不肖私も、青雲(ローソクではありません)の志を抱いていたうら若き頃、「粘土を捏ねて焼き物でも焼けたらいいな」、なんて想像した時期もあります。その修業を続けていれば、今頃は「陶芸家・島田翁」なんて呼ばれていたかもしれません。

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 とまあ、そんな妄想をしているうちにやっと私たちの番になりました。券売機で食券を買い、いざ座席へ。向かい合って待つこと15分程。やっと手打ちそばのご到着です。
 それにしても、こんなこと言っては失礼ですが、食通でもあるまいに、たかが盛りそばを食べるために1時間半も費やすなんて、本当にどうかしてます。でも、こうして雲霞のごとく人が集まる場所で、食事をするということ自体、今は贅沢なことなのかもしれません。

水車と麦踏み

 この食堂のいいところは、2連の水車を見ながら食事ができるところです。下の写真でご覧のように、大変優雅ですね。

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 この水車、今は観光資源になっているようですが、私の子供時代は別に面白くもおかしくもない代物だったんです。なぜなら今でもよく覚えていますが、私の家では畑で小麦を栽培していました。当時は、この小麦を「おかぶ」と呼んでいました。このおかぶのせいで、冬場は毎朝、しかも早朝薄暗いうちに、父に叩き起こされました。兄弟5人(男ばかり5人です)、学校に行く前に「麦踏み」をさせられたんです。私は小学5年までしつこく寝小便をしていましたから、寝小便で濡れたパンツのまま作業するのは本当につらかったんです。寝小便がばれると父にこっぴどく怒られるので、いつも隠していたからです。でも学校に行く頃には、不思議と乾いていたものです。
 何で麦踏みなんかするのか。霜で麦が浮き上がってしまうからです。浮いてしまうと土から栄養が摂れません。そこで接地させるために足で踏んで押さえつけるんです。日が昇ってしまうと霜が溶けて土がどろどろになってしまうので、早朝に済ませる必要があったんです。子供が学校に行ってしまうと、父が自分ひとりでやらなければいけない。そこで、子供5人を早朝に叩き起こして作業させる必要があった、と言うわけです。

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 こうして収穫した麦は、少しずつ粉に挽いて、うどんやすいとんなどにして食べたんです。粉に挽くところが製粉所で、「臼井製粉」と言っていました。そこに水車があったんです。ですから、私のような年齢の者にとっては、水車なんて、珍しくもなんともない単なる実用品でしかなかったんです。
 でも、今は水車の設計や制作のできる技術者がいなくなり、設置するのはかあんり至難のようですね。その意味では、この伊王野の2連水車、貴重な文化遺産と言えるかもしれません。

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コメント

  • itumono -- 0nuki toyokatsu 2015-09-26 (土) 07:04:57

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