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ブログ/2015-11-06

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飲み仲間と会津旅行に行ってきました

7時半にバスで出発

 11月5日、6日と1泊2日で会津へ旅行に行ってきました。11名の団体旅行です。飲み仲間ですが、正確には「高齢者のカラオケ仲間」と言った方が正しいでしょうね。
 一番若い人で、65歳前後だと思います。女性の場合、年齢を聞けないので正確には分かりません。年齢不詳です。男性は、全員70歳以上、最高齢者は85歳です。自慢じゃありませんが、この仲間では、72歳の私が一番若いんです。ピチピチ跳ねるような若さです。

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 朝7時半、貸し切りのマイクロバスで出発です。総勢11人です。女性が6人、男性が5人、文字通りモテモテ状態です。バスが出発するや否や、幹事役のT氏が缶ビールの配布を始めました。高齢者が朝早くから酒なんか飲んでどうするんだと思いますが、このグループは、昔から、バス旅行をする時は出発と同時に酒を飲み、カラオケを歌う、というのがDNAにインプットされているんです。
 私は、生来、奥手で恥ずかしがり屋、そのうえ謙虚ときていますから、そんな早朝から酒だカラオケだと言われても、本当に困ってしまうんです。
 でも、今回は大丈夫です。この貸し切りバス、カラオケの設備がないんです。幹事役のT氏、数種類のおつまみなどを小分けにして、一人ずつに配布する気の配りようです。朝食を食べ、まだ30分も経っていないので、いくら飲めだのおつまみだのと言われても、酒好きの私でもなかなか酒がすすみません。それでも無理して一本飲み終わる頃にはほろ酔い気分になってきました。朝酒というのは、本当によく効きますね~。

きめ細かなトイレ休憩は必須

 高齢者につきものなのは、病気です。腰が痛いだの、膝が痛い。血圧が高くて、血糖値も高い。やれ頻尿だ、やれ入れ歯が合わないだの、高齢者の会話は、気が落ち込むようなものが多いものです。

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 御多聞にもれず、我々御一行様も、腰痛持ちやら頻尿持ちがおり、頻繁なトイレ休憩は必須条件です。何せ夜中に3回はトイレに起きるという者もおり、頻繁にトイレ休憩が必要なんです。本当は、便器を一個乗せていきたい位なものです。もちろん、急ぐ旅ではありませんから、何の問題もありません。
 腰痛持ちの人は、2人用の席で横になっていないと耐えられない、ということで、帰りの車中ではず~と横になっていました。最長老の85歳の先輩は、腰痛などはありませんが、皆と一緒の行動ができず、ひとり居残って待つなんて場面も度々ありました。それでも皆がこうして一緒に旅をしているのは、長年の深~い付き合いの証だからなんです。
 私自身は、腰痛やひざ痛など一切なく、歯も支障ありません。支障があるのは、かなり耳が遠くなってきたことと、物忘れでしょうか。脳細胞がかなり錆びついてきたんです。
 もっとも、このホームページの「→ガンで死にたい」でも書かせて頂きましたが、もう20年以上も健康診断や人間ドッグなど一切受けていないので、どこが悪いのか悪くないのか、一切分からないだけなんですけどね。今でも、少々の階段などものともしません。もちろん、冷え性や肩こり、花粉症なんてものがどんなものなのか、想像すらできません。この歳になると、健康というものは、本当に有難いものだとつくづく感じます。

野口英世記念館

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 最初の見学地は、野口英世記念館でした。明治大正期の不世出の研究者です。たしか黄熱病の研究に身を捧げ、結局、黄熱病で亡くなったということは、小学校の頃、伝記で読んだ記憶があります。伝記というもの、最近の子供達は読んでいるのでしょうか。伝記こそ、人生の啓発書・指南書として、是非とも多くの子供達に読んでほしいものです。
 小学校の頃の記憶にはありませんでしたが、彼は、3回もノーベル賞候補としてノミネートされていたんですね。彼がノーベル賞を取ったとすれば、日本初の受賞者ということになっていたことになります。

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 彼は幼少時に家の囲炉裏に転げ落ち、そこに掛けてあった鍋の熱湯を浴び、左手に大やけどを負ってしまったんですが、その囲炉裏なども記念館に再現されていました。伝記を読んだ時の挿画を思い出しました。医学の道を志すも、手のやけどが原因で不合格となり、自らナイフで手を切り裂いたなんていうことも、改めて思いだしました。
 そういう不遇の身が、彼を精神的に強くしたのでしょう。彼が家を出るとき、柱に深く刻みつけた「志を得ざれば再び此地を踏まず」の文字は、不退転の決意を示すものとして、私に新たな感動を呼び起こしました。

昼食はわっぱ飯

 昼食は、地元名物のわっぱ飯でした。漢字では輪箱飯と書くそうです。このわっぱは、杉や檜の薄い板を曲げて作られる木製の箱で、米びつや弁当箱として使われているそうです。秋田県大館市で制作される大館曲げわっぱは、昭和55年に伝統工芸品に指定されているそうです。

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 天然秋田杉の美しい木目を生かした曲げわっぱは、白木の香りが食欲をそそるそうです。杉がご飯の水分をほどよく吸収するため、冷めてもおいしさを損なわない。また、殺菌効果もあり、傷みにくい特性を持っているんだそうです。青森や静岡、長野や三重などでも製作されているそうですよ。
 それにしても昼食を食べた会場、300人は十分に収容可能じゃないかという位の大きな会場で、団体さん専用の食堂であることがひと目で分かりました。何だか、自分がベルトコンベヤーの上に乗せられ、「処理」されているようで、あまりいい気分ではありませんでしたけどね。

鶴ヶ城を見学

 その後、我々一行は、白虎隊で有名な鶴ヶ城に到着しました。このお城、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城し、まる一ヶ月城は落ちなかったんだそうです。その後、石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことです。取り壊すべきかどうか、住民の投票によって決めたということは、今回初めて知りました。
 この鶴ヶ城、実は、この名で呼ばれるのは地元だけで、全国的には、会津若松城と呼ばれているんだそうです。同名の城がほかにもあるからです。
 戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎隊のうち、20人が飯盛山に辿り着き、自害したという話は余りにも有名です。この飯盛山にたどり着くまでに通った「堰の洞門」というのを見学しましたが、この洞門、水が轟々と流れる小さなトンネルでした。屈強の大人でも、身の縮むような小さな洞門です。彼らは離れ離れにならないよう、2人ずつ手をつないでトンネルをくぐったそうです。

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 自害したのは、20人中19人ですが、これは飯沼貞吉という者が喉を突いたものの、生き残ってしまったからなんですね。彼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見が分かれ激論を交わしたそうです。
 いずれにせよ、負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことになる。それを望まなかった隊員らは、城が焼け落ちていないことを知りながらも、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したんだそうです。
 こんな話をガイドのお姉様に聞かされたんです。このガイドのお姉様、実は土産物店の店員だったんですね。バスを降りたところで、「ハイ、皆様こちらですよ~!」なんて案内するもんですから、幹事が事前にガイドの手配をしていたのかと思ったんです。
 でも、そんなことではなく、このお姉様が勝手にガイドをし、最後に土産物店に我々を連れ込んでいったんです。要するに、土産物店の巧妙な戦略だったんです。もっともそんな戦略がなくても、私は、若い頃から、女性、とりわけ若い女性に弱く、どこへでもすぐについていくタイプなので、こういう観光ガイドの手中にすぐに嵌ってしまうんですね。どうせお土産はどこかで買わなければいけないんですから、こういう風にうまく騙してくれるなら、騙され甲斐があるというものです。

宿は老舗の千代滝です

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 さて、一日の観光も終了し、夜はお待ちかねの温泉と食事です。泊まったのは東山温泉にある「千代滝」というホテルでした。一見して、かなり古そうな格式の感じられるホテルです。「会津盆地を望む展望露天風呂の宿」というのが謳い文句です。
 確かに、ここの露天風呂から眺める景色は、天下一品でした。正面に広がる会津盆地、夕焼けは見られませんでしたが、壮観でした。また、横手に広がる山肌は、一面が紅葉真っ盛りというほどに色づき、これまた壮観そのものでした。
 さて、本番の夕食です。どんちゃん騒ぎが待ってます。と思って行ったら、お座敷ではありますが、きちんとテーブルに座っての会食です。ヒエ~っと驚いてしましました。同時に、今夜の楽しみが半減したような気分になりました。

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 なぜって、椅子に座った状態では、あちこち動き回ることができません。私のような古い人間は、座敷に胡坐をかいて座る方が好きなんです。カラオケもいいですね。なぜなら酒と肴とカラオケで座が盛り上がり、あちこちで3,4人の溜まり場ができ、なかには踊りだす者がいたり、なんていう状態が酒席の醍醐味だと思っているからです。しかも今夜は、6人の美女軍団も揃っています。少々ひねてはいますが、無料ですから文句は言えません。
 でも、今夜の陣取りは、頑としてそれを許さないような雰囲気が感じられます。この予感は的中しました。カラオケはなし、酒も日本酒を飲むのは、わたし1人だけ。ほかの男性は、バスでの飲酒に加え、高齢のためあまり飲めず、焼酎のお湯割りを数杯飲む程度だったんです。さすがにこの時は、もう少し若い者を連れて来たほうがいいと思いましたが、後の祭りです。

お部屋で二次会

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 会食も終了し、部屋に戻りました。8時少し回った位だったでしょうか。男部屋で飲み直すのは恒例の行事です。酒を飲み、食事も済んだ後ですから、全員気分はハイの状態です。
 こういう場で、思い思いに好き勝手なことを言い合って、時間を過ごすわけですね。私は生来、根が真面目で内気、そのうえ無口(六口ではありません)ときてますから、ただひたすらほかの人の話に耳を傾けていることが多いんです。時々「一言多い」と言われる位しか話をしないで過ごすんですね。

旅行2日目です

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 さて、旅行の2日目。最初の訪問地は大内宿です。この大内宿、江戸時代の町並みを今に残す宿場です。下野(しもつけ、つまり栃木県のことです)街道と呼ばれた会津と日光を結ぶ街道の両脇には、茅葺き屋根の民家が並んで、江戸へ向かう大名や旅人の宿駅として重要な役割を果たしていたんですね。
 30軒以上の茅葺き屋根の民家が並ぶ様子は極めて珍しいそうです。このため、現在では、年間で100万人以上もの観光客が訪れるんだそうです。国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されているそうです。
 尋ねてみると、どの家も、お土産屋さんに変貌を遂げていました。テーブルにちゃっかり「美人専用」なんて札を置いている店もありました。女性陣は遠慮深く、持とうとしないので、代わりに私が 持ってパチリと一枚撮らせてもらいました。

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 昼食は、大内宿の一番奥に控えている蕎麦やさんで食べました。30人ほどが座れる座敷が引きも切らずお客が入ってきます。私の事務所とえらい違いです。観光地というのはかくも賑わうものかと、ただただ驚嘆するばかりです。
 朝食に欲張ってバイキングでお代わりまでしたので、お腹が一杯だったんです。でも、ここで食べた「冷やし宿場蕎麦」、美味しかったですね~。観光地に美味いものなしと言いますが、ここの蕎麦はお勧めできます。もっとも、私は、舌音痴で何を食べても美味しい方ですので、責任は持てません。

最後は塔のへつり

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 旅の最後は、塔のへつりの見学です。「塔のへつり」という名前は聞いたことがありましたが、それが何を意味するのか、全く知りませんでした。へつりというのは、会津方言で、川に迫った険しい断崖のことだそうです。漢字では、山冠に弗で「岪」と表記するそうです。
 対岸から眺める景観も荘厳ですが、つり橋を渡って、直にへつりを体感することもできます。足腰の丈夫な者は、皆、つり橋を渡りました。風雨に晒され、えぐり取られた自然の景観は、それだけで見る者を圧倒します。後ろに見えるつり橋を渡る時、ゆらゆら揺らしてあげたら、女性陣、大喜びで歓声を上げていました。

旅の締めくくりはカラオケで

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 出発地に戻り解散、となるところですが、このグループ、最後の仕上げは、カラオケ大会です。昨夜は、会食だけでいつものカラオケがなかったので、そのうっ憤晴らしという意味もあります。
 馴染みの居酒屋、花春がその舞台です。ところが、ここの店主の妻、つまりおかみさんが外階段から転げ落ち、現在、入院中とのことで、高吟放歌も慎まなければいけないところなんでしょう。
 でも、酒が入り、歌も歌いだせば、もうそんな気遣いはどこへやら、大賑わいのうちに良い子の夜の帳は降りていったのであります。
 
 
 

 

 

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