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ブログ/2016-10-01

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10月1日、幸手市制30周年記念行事に行ってきました

市から案内状

 幸手市から封筒が届きました。市政30周年の記念式典を行うから出席せよとのこと。
 とかく行事、式典などというものは、堅苦しくて嫌なので、最後まで迷ったんですが、「これも浮世の義理」と割り切り、行くことにしました。式典は、現役時代、いやというほど経験済みなので裏方の苦労は十分すぎるほどよく分かっています。分かっているだけに、それを見ていると、苦労が身につまされて余計に嫌になってしまうんです。

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 それにしても、幸手市になってから既に30年ですか・・・。私が善良な幸手市民になったのが昭和52年ですから、あれからすでに39年、約40年の歳月が流れたんですね。最初はこの「幸手」という文字が読めなくて、「こうて」なのか「こうしゅ」なのか、はたまた「ゆきて」なのか「さちて」なのか、なんて悩みました。いまは「さってに決まってんだろうが」なんて思いますが、勝手なものです。全国の人から見たら分かりにくいですよね。現在は、「その名の通り「幸せの手」だから「ハッピーハンド」なんてネーミングで売り出し、毎年、その年で一番有名になった人の手形をもらって、ちゃっかり市役所や市民体育館などに飾っています。「幸手市民のために是非ともご協力を」とか何とか言って、きっとタダで手形をもらったはずですから、さほどお金はかかっていない筈です。今年だったら伊調馨選手か大谷翔平投手あたりの手形かも知れません。
 私が引っ越してきた当時は、わが憂愁(!)な子供達はまだ幼稚園と小学生でした。それが、今では二人とも立派な中年のオヤジとオバサン。鏡に映った自分の顔は、既に締りもツヤもなく、金は増えないというのに、皺と白髪は勝手に増えてきます。梲(うだつ)も上がらないのに顔の筋肉は下がる一方です。青春の血湧き肉躍るあの若かりし頃の面影は、もうどこを探しても見つけることができません。近所の住人たちも、彼ら彼女たちの若いころを知っていますから、「あれほど若くてきれいだったのに、あんなになってしまって・・・」(誰とは言いません)なんて思うこともしばしばです。40年という歳月とは、そういう年月なのです。
 

今朝はアスカルの予約当番

 式典の受け付けは9時半からとのこと。私は、その前に式典会場となるアスカル幸手でヨガ教室の予約を取らなければなりません。毎月1日は、3か月先の予約開始となる日なんです。つまりもう来年1月の予約取りです。貧乏人は、朝早くから並んで予約をとらなければいけないんです。

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 毎月、私とヨガ担当者の2人が交代で予約をとっているんです。7時から並んで8時まで待ちぼうけ。8時になると、会館の事務員さんが玄関を開け、貧乏人を招き入れてくれます。そこで受付の番号札をもらって、いったん帰宅するんです。朝の7時という時間帯、今の季節は平気ですが、厳冬期にはシバレます。先頭の人は、6時前から並んでいるとか聞いてますが、私は高齢ゆえとてもそこまではできません。
 こうして並んで、8時に入館し受付を済ませ、いったん帰宅です。いつもならここで見逃した朝ドラをビデオで見るところですが、今日は背広に着替えです。式典に出るのにツンツルテンの服で出るわけにはいきません。最近は、2年に1回くらいしか背広を着る機会がありません。ネクタイの結び方も、次第にぎこちなくなってきました。
 9時前、再び会場に出向き、会場予約を完了させなければなりません。今日の番号札5番を握りしめ、やっとのことで予約が完了すると、時計は既に9時30分を指していました。
 ちょうどその時間帯から、本日の式典受付の開始です。私は、そのまま式典会場の方に横移動ということになったんです。

式典の始まりです

 予定通り、10時から式典が始まりました。型どおり、開式のことば、式辞や市議会議長の挨拶などというものが続くうち、次第に疲れが出てきました。「挨拶は早く終わらないかな~」「今日はどこに飲みに行こうかな~」「最近はうまいものを食ってないな~」なんて、呪文のように呟いていました。

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 続いて表彰式。そして受賞者代表謝辞あたりはまあいいとして、来賓祝辞などが始まると、思わず眠気が増幅してきます。来賓者は、大体お偉いさんと決まっています。県知事や国会議員、市会議員、はてはその代理人。「本日は本人が出席すべきところですが議会開会中のため、私が代わりに代読をさせて頂き・・・」なんていう挨拶を聞かされるこちらも、たまったものではありません。
 かくいう私も局長挨拶の代読を何度かやった経験があるので、人様の非難はできません。本音を言うとですね、あの代読の挨拶って、やった経験のある人は分かると思いますが、とっても気持ちがいいんです。一応局長の代理ですから、局長並みの待遇をしてくれるんです。県知事や市長なんかが隣に座ってますから、雑談もできるんです。雑談相手では、黄門様と呼ばれた渡部恒三議員なんかが強く印象に残ってますね。挨拶と言ったって、代読ですから巻紙を読むだけです。気分の悪かろうはずがありません。でも、何度かやるうちに空しくなります。
 今日の参列者、事前に根回しが十分に効いていたせいでしょうか、皆さん短いあいさつでホッとしました。こういうのを「優秀な裏方」というんです。都の職員とは大違いです。

幸手のお米大使

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 続いて、余興のようなものでしょうか。「お米大使セレモ二ー」なるものが行われました。会場の後ろの方から、米俵を担いだお米大使ゾマホンさんが登場したんです。このお米大使、れっきとしたアフリカベナン(バビブベボのべです)共和国の駐日特命全権大使なんですね。
 その特命全権大使が、米俵を担いで登場し、「幸手のお米は日本一美味しいです!新潟のコメは食べたことないけど幸手のコメが一番です。幸手の人はお人好しです、いや、いい人です。幸手に住みたいです!」なんてやるんですから、眠気の方は一気に吹き飛びました。彼が最初に来日した時は19年前、留学生としてやってきたんだそうです。当時、母国では、「日本はいまだにちょんまげを結い、刀を差している変な国」と教わっていたそうです。
 日本への留学の動機は、日本には天然資源が何もないのに先進国、ベナン共和国は資源は豊富なのに後進国、なぜなのか?という疑問だったそうです。彼が有名になったのは、たけしの「ここが変だよ日本人」とかいう番組でブレークしたんだそうです。その番組は、私も何度か見た記憶があります。サンコンさんと並んで、変な日本語を使うアフリカ人ということで、有名になったんですね。
 当日、右の写真のように、僅かばかりの「幸手のコシヒカリ」が配られました。写真では一升くらいあるように見えますが、夫婦二人で食べたら、一食分です。

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 コシヒカリは新潟県魚沼地方の名産品です。私の両親はその魚沼生まれですから、私もその縁で何度か魚沼の家にも行ったことがあります。その当時は、米は「はぜ掛け」といって、丸太をくみ上げたところに刈り取った稲をかけ天日干しをしていました。水も山から直接引いて、一日中、出しっぱなしでした。その水を大きな柄杓ですくい飲んだ時の冷たくて美味しかったこと。自然の水、清水ですから当然ですね。そういうところで食べた米は、確かに美味しかった。いま、「コシヒカリ」と名前のついた米を食べても、あまり美味しいと感じられないのはなぜでしょうか。念のため、今日頂いた米も、明日の朝、早速試食してみることにしましょう。

ゾマホン大使の「幸手市お米大使としてのメッセージ」は、→こちらから
ベナン共和国全権大使(ゾマホン大使)の信任状奉呈式の映像→こちらから
ゾマホン大使のインタビュー風景→こちらから

初めて聞いた市民歌

 式典の最後に、地元のママさんコーラスや小中学生達によって「市民歌」の斉唱が行われました。我々も起立を促され、全員での合唱になったんです。でも、初めて聞く歌ですから、とても歌うことなどできません。
 作詞作曲は石坂まさをという方だそうです。藤圭子の「圭子の夢は夜開く」という曲なんかも、彼の作詞だそうです。今度は「幸手の夢は夜開く」を是非作詞作曲してほしいものですね。
歌詞の中に「前を見るよな柄じゃない うしろむくよな柄じゃない よそ見してたら泣きを見た 夢は夜開く」なんて部分がありますが、こういうところは

東京に住むよな柄じゃない (^^♪
千住に住むよな柄でもない
よそ見してたら幸手にいた 
夢はよるしぼむ

なんて具合にして作曲してもらうと、宴会ソングになるかもしれません。
 ところで、市民歌の歌詞を見ると、1番に春、2番に夏、というように4番までに春夏秋冬を読み込んでいるんですね。初めて聞いた歌ではありますが、結構歌い易そうです。幸手市へのお願いです。Youtubeに幸手市の市民歌を、フルコーラスでアップしていただけないでしょうか。毎年暮れに「第九を歌う集い」なんかがあるじゃないですか。あの時に市民歌も歌ってもらい、それを録画撮りしてアップすればいいんですよ。
 今はYoutubeもかなり身近な存在になりました。そうすれば、一般市民でも歌える人がかなり増えると思います。
 なお、「防災幸手」で最初に鳴るオルゴール、改めて聞いてみると市民歌を使っていたんですね。知りませんでした。

帰りに幸手桜高校の演劇部がお待ちかね

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 式典を終わり、会場を出ると、幸手桜高校の演劇部の幟がたっていました。演劇部員7,8人でしょうか。笛や太鼓や鉦を鳴らしながら、チンドンパフォーマンスを披露していました。演劇部というよりは、そのままチンドン屋として市内を練り歩いた方が、市民に喜ばれるのではないでしょうか。
 この路上パフォーマー、いかにもイモっぽい女の子がいるのがいいんです。さくら大使のような女の子では面白くありません。また、振付けが実にすばらしい。チンドン屋はかくあるべし、というような強い信念が感じられます。
 背は高からず、顔も白からず、足も長からず細からず、ひたすらずんぐり系が市民感覚にピッタリで、親近感を覚えます。その昔、担ぎ屋のおばさんが幸手駅から東京方面に続々と乗り込んでいた伝統をしっかり受け継いでいます。あの担ぎ屋のおばさんが階段を一歩一歩上る時の足のたくましさ、今でも脳裏に強く焼き付いています。しっかり大地を踏みしめている、あの足です。あ、因みに私の娘もこの高校の卒業生です。
 この演劇部、嘗ては、秀逸な役者がいました。何をやっても1人だけとろく、その仕草が何とも滑稽でおかしかった。「こういう子はいじめの対象になってしまうかもしれないな~、ちゃんと卒業できるかな~、ご飯はちゃんと食べているのかな~」なんて、思わず親心で心配してしまうような生徒でした。2,3年後にはいなくなりましたから、きっと卒業できたんでしょう。名誉会員にしてほしかった。ああいう人物は、芸能界に入るとホンコンさんやゾマホンさんのように、意外に大ブレイクしたかもしれないのに残念です。
 
 
 

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