時事寸評 書評コーナー

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今度の選挙、自民党に投票します

今度の選挙、自民党に投票します

民主党には飽き飽き

 今度の選挙、皆さん結構迷っているんでしょうね。私も迷っている人間の1人です。でも、もう決めました。自民党です。なぜか、理由はいくつかあります。
 先ず、民主党政権には、もうこりごりです。マニフェストはもうボロボロ。今更言い訳は聞きたくありません。実績がすべてを如実に物語っています。その上、寄せ集めの集団。常に内紛内ゲバの繰り返し。鳩山何とかという元総理。私は、ダントツ史上最強のバカ総理だったと断言して憚りません。「総理をやったような人間が何時までも議員に居座り続け、影響力を及ぼすようなことはことをやってはいけない」などと格好のいいこと言っていたと思ったら、自分は引退宣言までしたのに、ちゃっかり引退発言を覆し、不規則発言を繰り返す。沖縄問題での発言のぶれや迷走ぶりなど、精神異常者の所業と言っても過言ではありませんでした。「自分を総理にしてくれたのは小沢さん」であって、国民ではないと言って憚らない総理でもありました。
 菅総理も、器の大きさの感じられない総理でした。政治主導とは、「役人を頭から押さえつけること」と勘違いし、高圧的に役人に威張り散らしていました。いくら総理が威張ってみても、実務・経験に乏しい政治家が官僚組織に敵うはずはありません。面従腹背をされたら、何も実現出来ません。1人の人間の能力には限界があるんです。そのことが分からず、何でも政治家が出来ると思い込んでしまった思慮のなさ。これが市民運動家出身の政治家の限界というものなのかも知れません。

野田総理にも責任

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 野田総理も、総理就任時のドジョウ演説と解散と引換えに定数是正法案の成立を迫った党首討論が光っている程度で、それ以外に余り光るものはありません。マニフェストになかった消費税引き上げにばかり力を入れてもらってもねえ。栃木弁で言えば、「ゆってだごどしねで、ゆわねがったごどばっかしされてもな~」という心境です。田中直紀防衛大臣や田中慶秋法務大臣、ひどかったですね~。
 佐藤正久議員の質問に対してなされた田中直紀防衛大臣の答弁をご覧ください。
「え~、ノドンに対しては、あ~、距離が、距離がですね、あの~、え~、いわゆる発射してですね、ミサイルの距離がですね、あ~、1000キロメーターの、お~、いわゆる、人工衛星と言ってますがミサイル、う~、称するミサイルであると認識をしておる所でございます」
 防衛大臣ですよ、防衛大臣。こんな珍答弁聞いて、国民の士気上がります?しかも、「高齢のため外して欲しい」と、異例の交代を求めた滝実前法務大臣を引っ張り出して再登板させました。「民主党には人がいないのかい!!」と言う以外に言葉がありません。更に更に、外務大臣として、あれほどの酷評を受けた田中真紀子を文部科学大臣に起用。そして早速の「殿、ご乱心」。毒舌で他人を酷評する舌鋒の鋭さ、その能力はもう何人の追随も許さない、超一流、芸術の域です。ですが、懐の深さと教養、政策の構想力、すべて何も感じとることが出来ません。毒舌を売りにした落語家にでもなった方が、本人にも国民にも幸せだったのではないでしょうか。
 唯一評価できるのは、外務省の秘書官に、自分の指輪がなくなった時、大騒ぎして探させたあの実行力、大したものでした。科技庁長官の折、ロケット打ち上げに成功したときは満面の笑みで記者会見をし、失敗したときはテレビカメラの前で役人を叱り飛ばし、役人にお詫びの記者会見をさせました。すばらしい!実にすばらしい包容力と胆力の政治家としみじみ感じ入りました。
 野田さんは、一個人としてみれば、心優しい人物なんでしょう。居酒屋のカウンターで酒でも酌み交わす分には絶好の相手かもしれません。しかし、こんなでき損ないの大臣を多用してきたという実績を見ると、総理の器ではありません。総理には、大臣に相応しい人物かどうか見極める位の観察力と、発令のためには周囲の意見も排する冷酷さとが必要です。輿石幹事長の意向に従っただけ、というなら指導力欠如、操り人形といわれても仕方がありません。
 まあ、民主党3人の総理の中では、まあまあの出来と言ってよいでしょうが、再度、民主党という政党にこれからの日本を託そうという気には到底なれません。明るい将来、元気な日本を思い描くことが全くできないからです。

第3極もバラバラ

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 他方、第3極と言われる橋下徹の平成維新の会。石原慎太郎の太陽の党と合流して日本維新の会になってしまいました。すっきりしていた主義主張を変えてまで暴走老人と一緒になる必要があったんでしょうか。「みんなの党」と合流するなら、政策的にも近く納得感があったんですけどねえ。個性の強い2人が一緒になれば、文字通り二頭立ての馬車。股裂き状態になり、どちらに進むのか分からなくなるのは必定です。
 石原慎太郎も、最初、都知事に当選した頃はそれなりに謙虚で輝いていましたが、二期、三期、四期と当選回数を重ねていく内に、次第に傲慢さが鼻につくようになりました。散々不良債権を積み上げてしまった東京都市銀行。自分の息子を「優秀な芸術家だから」と都の業務を請け負わせたり、何を今更のオリンピックを誘致しようとしたり。「殿、ご乱心か」と違和感をもった人も多いのではないでしょうか。任期途中で辞任し、一度は「太陽の党」を立ち上げ、「減税日本」と合流の共同記者会見まで開いたと思ったら、翌日にはばっさり切り捨てて合流を解消。返す刀で維新の会と合流し、その党首に。あっちにひっつき、こっちにくっつき、数を確保するためなら何でもやる、の立ち居振る舞い。「数は力」とは言いますが、余りにも見苦しいのではないでしょうか。政策よりも数、というのでは悲しすぎます。

もともと平成維新には期待せず

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 もっとも、私は、平成維新の会には元々期待をしていませんでした。なぜならば、仮に平成維新の会のままブームに乗って第一党になり、政権をとったとしても、所詮は、一年生議員の大集団。もの珍しそうに国会の中をキョロキョロする以外に取り柄はないでしょう。
 私達は、これまで何度も経験してきました。国会の中で新人議員が、殆ど活躍できなかった厳しい現実を。小泉チルドレンしかり、小沢チルドレンしかり、民主党新人議員しかり、その実績を見れば一目瞭然です。一時、ブームを巻き起こした河野洋平の日本新党にも期待しましたが、すぐに自民党と合流し、消滅してしまいました。
 立ち上がれ日本や太陽の党、更には河村氏の減税日本まで維新の会に合流したら、またまた百家争鳴。再び、民主党の愚を繰り返すことになるのは必定です。新人集団が、老獪な官僚組織を使いこなすことなど、絶対に出来ません。

消去法で自民党

 となると、残るのは自民党しかありません。自民党は、民主党に政権交代するまで長期政権にありましたが、余りにも長期に亘ったが故に、末期的症状を呈していました。制度疲労とはこういうことを言うのでしょう。総理も1年刻みで交代し、信頼を失っていました。小泉長期政権後、安倍総理ならと期待していたのに、たった1年で辞任。以後、2代の総理が皆1年刻みでした。首相公用車に漫画本をどさっと持ち込む、漢字の読めない麻生なんとかという総理もいました。踏襲をふしゅうと読み、未曾有をみぞうゆうなどと読まれると、いくら庶民的な宰相だと言われても国民の士気は下がります。決して漫画本を愛すること自体が悪いわけではありません。しかし、それは、確固とした信念、政策、教養、実行力を前提としての余技であって、それしかないかのような総理では困るんです。
 国民は、そんな自民党に愛想を尽かし、私を含め、民主党政権に希望の光を託したのでした。しかし、その結果は、ご存じのように惨憺たるものでした。
 

「景気浮揚」こそ政策の第1目標とすべき

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 では、今後、政権党に求められるべき指標とは何でしょうか。私は、何といっても「景気の浮揚」だと思います。20年に亘る長期デフレに国民の気持ちはうち塞がれています。デフレの行き過ぎ、円高の行き過ぎ、資産価値下落の行き過ぎ、株安の行き過ぎ、すべてが行きすぎているんです。
 こういった行き過ぎを是正するためには、景気の回復が必要不可欠です。景気の浮揚は、これらの行き過ぎを是正するだけでなく、国の財政問題、雇用問題、年金問題など、多くの問題を同時解決できる切り札なのです。なぜなら、景気の浮揚は、企業の活動を活発にすることを意味します。その結果、企業の収益が改善し、税収増をもたらします。当然、雇用は拡大し、サラリーマンの収入も増え、消費も刺激されます。金利上昇により、年金財政の収支も改善されます。もちろん物価の上昇など多少負の側面も伴いますが、緩やかな景気拡大はプラス効果の方が圧倒的に多いと断言してよいと思います。
 収入が増えても消費は刺激されない。家の中は、もう物で溢れている、なんてしたり顔で言う人もいます。何を言っているんでしょうか。経済的に苦しいからこそ、ちびちびと電気を節約したり、一円でも安い食品を買おうと必死に走り回っているんです。新聞のチラシを見て、古女房から朝一番に買いに行かされている亭主族の群れ、夜7時過ぎに、値下がり札がつけられるのを待ってさまよう亭主族の群れ。その哀れな集団を見て、それでも買うものがないなんて言えますか。
 収入が増え、将来も収入が増えそうだ、生活も向上しそうだという明るい将来像が描けるなら、人は心豊かになり、安心して消費活動に向かうんです。

第2の目標は安全保障政策を確立すべき

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 第2の目標は、「国家の安全保障政策の確立で」す。民族の独立のためには、「自分の国は自分で守る」という至極当たり前のことを実現する必要があります。幕末と明治期の日本人には「国家の最初の義務は国防だ」ということが分かっていましたが、今の日本人には余りにもこの意識が欠如しているように思われます。
 そのため、北方領土や竹島、尖閣列島など、本来は我が国の主張の方が正しいのに、周辺諸国からいいように浸食され、罵倒さえされています。ODAとしてこれまで3兆6,000億円も援助してきた隣の赤い国には国連常任理事国入りを反対され、しかも帝国主義国家よばわりさえされています。お礼を言われるどころか、日本製品の不買運動やら、日本企業の集団的破壊やらやりたい放題。後ろ足でさんざん泥水をかけられ、その上に「すべての責任は日本にある」といって憚らないあの赤い国。それでも我が国は、ODAの援助を止めるとは言わないお人好しの国家です。日本国民は反中デモもせず必死に耐えています。この理不尽な関係が、現実の国際社会です。
 韓国にも竹島などやりたい放題にされていますが、韓国の経済危機を救ったのは日本です。韓国は、アジア危機の折にIMFからドルを借りることによって立ち直りましたが、その見返りに厳しい緊縮政策を迫られました。そのことがトラウマとなり、二度とIMFからは借りないで済むようにと、日本、中国とスワップ協定を締結し、ドルを供給してもらっています。韓国は、その後、何度も通貨危機に陥っていますが、日本が通貨スワップを3兆5,000億円に拡大することにより、かろうじて危機を回避できています。これが現実です。その恩義も忘れ、竹島であからさまな挑発する李明博大統領の行動は許せません。
 戦争終結を宣言した後に、一方的に日ソ中立平和条約を破棄して侵攻してきたロシアの大統領も、北方領土にずかずかと土足で入り込み、あからさまに日本国民の感情を逆撫でしています。
 これら周辺3国の共通認識は、「日本は自分の国を自分で守れない国」、「守ろうとすらしない国」、「常にアメリカの傘の下で経済だけを発展させているコバンザメ国家」ということだと思います。長い間、国防をないがしろにしてきたツケが、一気に吹き出しています。
 私は、次の政権は、国防問題に真剣に取り組む政権でなければならないと思っています。もういい加減、「自分の方から戦争を仕掛けなければ、相手が責めてくることはない」、「周辺国はみな平和主義の国だ」というような、おとぎ話のような妄想は止めにしたいものです。

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 そういえば、その昔、「山が動いた」の台詞で有名な土井何とかという平和おばさんが、「武器も何も持たない丸裸の国に一体どこの国が攻めてくると言うんですか!」と大まじめに主張していたことがありました。丸裸どころか、戸締まりをきちんとしているのに、「俺の物は俺の物、他人の物も俺の物」と武装して土足で入り込んでくる傲慢な隣人を、「よくいらっしゃいました」と我が日本は歓迎しなければいけないのでしょうか。

第3の目標は原発推進をすべき

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 第3の目標は、「原発」を推進することです。原発への反発、アレルギーがあることは十分に承知しています。私も、福島第一原発から100Kmにある那須に父から譲り受けた畑を所有し、多少なりとも被害を受けた者の一人です。原発の怖さも認識しています。
 でも、長期的なエネルギーの確保という観点から、私は、原発は維持する必要があると考えています。確かに先進国でもドイツのように原発ゼロ宣言をしたところもあります。しかし、ドイツは、周辺諸国と陸続きで、現に複数の国と電力の相互融通をしあっている国であるという事情を考慮しなければなりません。しかも、フランスはドイツに電気を供給するために、新たに原発を作ろうとしています。日本はそれとは全く事情が異なります。仮に、海底ケーブルで韓国や中国から電力を供給してもらうことが可能だとして、安心して暮らせると思いますか。政治的な対立が恒常化している国に、自国の電力供給を依存したいと思いますか。
 そもそも原発問題は、原発そのものが悪いのではないのです。原発を絶対安全なものという「安全神話」を作り上げ、そのために徹底した安全対策を講じてこなかった国の原子力政策や電力会社の姿勢にこそ問題があるんです。人間が構築した物には必ず欠陥が伴います。全知全能の神でない限り当然です。だからこそ、欠陥をどうしたら防止できるか、最小に押さえることが出来るか、それを考えるのが人間というものです。原発があるから人間が死ぬのだ、原発さえなければ人間が死なずに済むのだ、というヒューマニズム溢れる議論は美しいですが、現実的ではありません。
 人間の作り出した自動車によって、我が国だけでも毎年3万人以上が犠牲になっています。10年で30万人以上が犠牲になっています。自転車事故ですら平成23年中に628人が亡くなっています。ならば、車に乗るのを止めますか?電車に乗るのを止めますか?自転車に乗るのを止めますか?
 繰り返します。原発は「絶対に安全」というものではありません。しかし、これを犠牲者を1人も出さずに運営する技術は、100%に近いレベルまで実現可能なのです。長い時間と金を費やし、多くの技術者を育ててきた、この財産を今ここですべて放棄することは余りにももったいないと思います。地震そのものを回避することはできませんが、地震による原発被害を最小限に抑え、致命的な被害を回避することなら十分に可能です。
 地震大国で確立した高度な技術と、日本への信頼をバックに、海外に安全な原子力技術を移転することに力を入れれば、大いに国益にも貢献するだけでなく、多くの零細国家に福音をもたらすことになると思います。私は、このような観点から、原発に前向きに取り組む政党を支持したいと思います。
 選挙を前にすると、必ず「脱○○」とか「卒○○」といった大衆迎合的な言葉が踊ります。我々国民も、もうそろそろこういったポピュリズムから脱却しようではありませんか。

第4の目標はTPP参加を促進すべき

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 TPP(環太平洋経済連携協定)については、これまで多くの議論がなされてきました。この協定は、農業や繊維、衣料品、政府調達、知的財産、投資、環境、紛争解決など、24の分野において、相互の垣根を外して経済連携を図ろうとするものです。余りにも範囲が広すぎて、殆どの人がその功罪を判断できないと思います。実は、私も正確に判断できません。多分、誰一人正確に判断のできる人はいないと思います。仮に判断ができたとしても、分野ごとに功罪相伴うわけですから、性質上、数量的な物差しで判断はできないのです。
 多分、農業分野は反対と言うでしょう。農業団体は、条件反射で、何か一つでも自由化をしようとすると、必ず反対します。全中や全農といった農業団体が、組合員を動員して、時代遅れのムシロ旗を立てて反対のシュプレヒコールを挙げるからです。しかし、これまで農協などが反対した農産物のその後の推移を見ていると、「反対する必要など全くなかった」というものばかりです。
 グレープフルーツの輸入自由化が問題になったとき、農業団体は、そんな大きなものが入ってきたら日本のミカン農家は壊滅すると言いました。しかし、自由化後もミカン農家は元気そのものです。サクランボの輸入自由化の時もそうでした。牛肉の自由化の時もそうでした。農業団体は、「壊滅」という言葉が大好きで「自由化」という言葉が大嫌いなんです。もうこれは条件反射と言ってもよいでしょう。
 これまでの経緯を見ていると、自由化することによって日本の農業は強くたくましくなっていると思います。反対ばかり唱え続けた農協の構成員は、70歳以上の第1世代が42%を占めるものの、「40歳未満の世代はたったの2%!!」にすぎません。つまり、若い農業者世代からは完全に見放された存在になってしまいました。いかに既存の農業団体が、後ろ向きの政策しかしてこなかったかの証でもあります。
 政府調達だの、法律分野など、多くの検討を要する分野がありますが、私は、自由な貿易を志向する国際間の取り決めには、何をさておいても、先ず、「真っ先に参加する」という大方針を決めるべきだと思っています。わが日本は、明治維新において国を開き、以後「自由貿易によって国の安定を保持する」という大方針を国是としてきた国です。自由貿易を促進しようというシステムに、率先参加するのは当然のことだと思います。
 TPPはどこか1ヶ国だけが損をする、というシステムではありません。参加しないで外から見ているよりは、先ず参加して、個別テーマごとに賛同する国を集め、いかに自国に有利な方向にもっていくか、それをするのが外交というものです。交渉をする前から負け犬根性では、有利な解決など期待することはできません。先ずは参加する。そのうえで、外交力で少しでも有利な結果を勝ち取っていく。私は、そのような気概のある政党に期待したいと思います。

■結局、自民党になりました

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 以上、私が述べたような目標を実現してくれそうな政党。少なくとも一番考え方が近い党はどこかと考えたときに、自民党と日本維新、みんなの党しか思い浮かびませんでした。日本維新やみんなの党に投票し、更に多党化を促進することになったんでは、国民は堪りません。合従連衡の醜い争いにはもう飽き飽きです。「決められる政治」でなければ国民は悲劇です。すっきり決めてほしい。嘗て、5人か6人の党員しかいない政党の福島何とかという党首がキャスチングボートを握り、大政党を振り回していたなんてことがありました。あんな異常な状態も、もう願い下げです。
 こんなことをつらつら考えた結果、自民党に一票を投じることが一番理に叶っていると考えたんです。でも、政権をとったあとの政権運営で、過去の過ちを繰り返すようであれば、再度、別の党を支持することになるかもしれません。私の一票は、元々基本的に誇り高き?浮動票なのですから。(H24・12・8記)

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