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神の懲罰発言、韓国語勉強に嫌気

神の懲罰発言、韓国語勉強に嫌気

言って良いことと悪いこと

 先日、元夫からのDV被害を恐れ、ひっそりと身を隠していた母と子が、餓死したというニュースが流れました。飽食の日本で、何という痛ましい出来事でしょう。このニュースに接して、こ母子を中傷したり、ヘラヘラ笑っているような人間がいたら人間のクズと言うべきでしょう。先天的な障害を持って生まれた人を、口に出してあざけり揶揄するような人間も、同じく人間のクズと言ってよいでしょう。

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 このように、物事には、「言って良いことと悪いこと」の区別が厳然として存在します。韓国の有力紙「中央日報」の論説委員、キム・ジンなる人物がコラムの中で広島・長崎への原爆投下を「神の懲罰」と発言しました。これこそ言ってはいけないことの最たるものでしょう。広島では当時の人口42万人に対し、5年以内に亡くなった方は約20万人、長崎でも人口24万に対して約14万人が亡くなっています。しかも、今なお多くの人が原爆の後遺症で苦しんでいます。多くの市民は非戦闘員でしたから、皆殺しの最たるものです。その状況をみて、天罰だというこの神経、並みのものではありません。

論説委員は単なる過激派ではない

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 もっとも、どこの国にも、ものの考え方に過激な人間はいます。東京でも、「韓国人をぶっ殺せ~」などと叫んでデモ行進をした者もいます。でもそれは、韓国では日常茶飯。日本の国旗や首相の写真を焼き捨てる韓国の国民と同列の過激集団です。ですが、民主主義国における大手新聞は、社会の木鐸として、いわば良識を代表するものの筈です。個人として過激な考え方、表現をする人物は、組織の中で淘汰され、社の良識を代表する論説委員には到底なれないものと考えるのが常識でしょう。

 しかし、今回は、写真でご覧のように、顔写真入りで、しかも論説委員という立場で、小さからぬ紙面で堂々と自説が展開されています。このような記事を掲載した場合、相手の国民感情をどれほど傷つけることになるのか、多少なりとも想像力が働く人間であれば、このような記事は掲載できないはずです。

表現の自由の問題ではない

 表現の自由は、民主主義国家では尊重されるべき基本的な権利ですから、規制しろと言うつもりはありません。しかし、「有力紙」というからには、日本の「読売、朝日、毎日」位の立ち位置にあるのではないでしょうか。日本のこれらの新聞の論説委員が、同様の発言をコラムに掲載した場合、「これは論説委員の個人的見解にすぎない」などという言い方で、韓国国民は本当に納得するでしょうか。論説委員というのは、その新聞社の「良識」を代表するはずです。いわば「社説」と同レベルの良識を備えているはずで、単なる個人的発言、と言ってほっかむりできるようなものではないと思います。それにも拘わらず、敢えて掲載したということであれば、韓国国民の間に、それを許す強い反日感情の土壌が存在するということでしょうか。

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 中央日報は、菅官房長官が抗議した事実や広島・長崎市長がコラムについて批判している内容を伝えたうえで、「キム・ジン論説委員の個人的見解であり、中央日報としての公式の立場ではない」と弁明しているようです。しかし、その論説委員に、大きな紙面を提供している以上、個人的見解という言い逃れは通用しません。

 だからこそ、外務省もこれに反応したんです。岸田外務大臣は次のように述べました。「唯一の被爆国である我が国として、原爆に関するこうした認識は断じて容認することはできない。日本政府および日本人はこのコラムに驚き、憤りを感じていることを、中央日報は重く受け止めてもらいたい」(岸田文雄外務大臣)。当然のコメントです。

削がれた韓国語勉強の意欲

 私は個人的には、韓国国民の多くはそれ程の反日ではない、と思っています。近くに親しく付き合っている韓国出身の人もいます。いつか韓国に行きたいという思いもあり、韓国語も勉強しています。
 しかし、今回のような出来事があると、何だか韓国に行きたいと思う気持ちもうすれ、韓国語を勉強しようという意欲も萎えざるを得ないのです。中央日報は多くの日本人の心を傷つけました。残念でなりません。

▶▶▶韓国ソウル大名誉教授が語る「反日韓国を徹底批判」
▶▶▶嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判(反日韓国批判2)

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