時事寸評 書評コーナー

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地元が反対したら何もできないのか

地元が反対したら何もできないのか

名護市長選移設反対派が勝利

 沖縄県名護市長選挙は、移設反対派の現職・稲嶺進氏が再選されました。早速、市長は、移設工事に関連する市長の許認可権をもとに、移設を阻止する旨を表明しました。市長には、資材置き場の許認可権や燃料タンクの設置許可権、特殊車両の市道許可の権限などがあり、こういった権限をフル稼働して、移設工事を妨害するということです。

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 市長の選挙権は、地元住民の意思だから、これを否定するつもりはありません。しかし、地元が嫌がることが何もできないのだという論理は、一件筋が通っているようですが、根本的なところで間違っていると思います。地元が嫌がるものは何でも拒否できるというなら、ゴミの焼却場や火葬場はもちろん、墓苑すらもできなくなってしまいます。もちろん、今問題になっている核燃料の焼却灰の中間処理施設も、もってのほかということになります。
 嘗て、東京都に美濃部亮吉という知事がいました。彼は、「たった1人でも反対する人がいたら、ゴミ焼却場は作りません」と宣言し、実際にも、1箇所もゴミ焼却場は作りませんでした。そしてそのような知事を「民主主義のお手本」であるかのように讃えた、某大新聞もありました。このような知事が、本当に地方行政のトップにふさわしい人物なのでしょうか。 確かに、ゴミの処理は、地方自治体の責任で処理すべきものだから、地元住民が、ゴミ処理場がなくてもよい、どんなに不衛生な住環境でも我慢する、というならそれでもいいでしょう。そうではなく、そういう施設は必要だが、自分のところにだけは作るな、というのは単なる住民エゴです。
 住民エゴを抑えてでも敢然として実行するのが、本当の為政者、地方行政のトップの役割だと思います。

 

外交と安全保障は地方自治ではない

 国の外交や安全保障、更には治安に関することは、ローカルの一自治体の住民投票によって決すべき事柄ではありません。ゴミ焼却場や火葬場の位置をどこに定めるかは、そこの自治体の判断で決めても構いませんが、国の安全保障、つまり国防に関する事柄まで地方自治体に任せるとしたら、とても国の安全を確保することはできないでしょう。
 誰も自衛隊基地や米軍基地が、身近に来ることを歓迎する人はいません。だからと言って、何も作らない、というのでは国の防衛は確保できません。だからこそ、地方自治法は、国と地方の役割は明確に区分しているんです。
 地方自治法第1条の2では、国の役割として、「国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施」は、国で行うことを明確に規定しているんです。
 他方、地方公共団体の役割としては、「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」と定めています。あくまでも「地域における行政」に限定されているんです。
 これが地方自治の基本です。要するに、地元が反対することは何もできない、というのが地方自治ではないということです。

マスコミにも責任

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 今回の選挙結果を受けて、マスコミの論調は、いかにも「民意」が反映されたかのように言います。古館一郎氏の「報道ステーション」やNHKの「時論公論」なども注意深く聞いていましたが、批判の矛先が国に向いているような気がしてなりません。
 その他民放各局も含め、「このような国の安全保障にかかわる問題を、当の自治体の判断に委ねているわけではない」という趣旨の発言は、皆無と言ってもよいでしょう。僅かに、読売新聞が、「  」の欄で、堂々と正論を書いていました。これは立派です。
 誰でも、地元の立場に立てば、ゴミ焼却場にしろ、火葬場にしろ、飛行場にしろ、来てほしいとは思わないでしょう。そういう施設は絶対に必要だが、自分のところにだけは造らないでほしい。人間というのはそういう自分勝手、利己的な生き物です。ですから、建設地となるべき当の自治体住民に賛否を問えば、反対が圧倒的に多くなるのは理の当然です。
 でも、過半数が反対したら、国家として必要なことでもやらなくていい、1人でも反対者がいたら絶対に作りません、などという人物は、単なる人気取りに過ぎません。私は絶対にそういう人間を信用しません。

公に奉仕する精神を失いつつある日本人

 私の父は獣医でした。戦後、まだ道路整備も十分でなく、砂利道が多かった那須の広野を、最初は自転車で、その後はオートバイで駆け巡り、牛や馬の治療に専念しました。犬や猫などは愛玩動物であり家畜ではない、と治療を頼まれても拒否するくらい頑な人でした。この父は、軍人上がりでしたから、幼い頃の父は厳格で、怖くて近寄ることも出来ませんでした。
 でもこの父には尊敬すべきところもありました。公共のことには全面的に協力する、という姿勢です。町の職員から「道路の拡幅をするので土地の一部を譲って欲しい」と頼まれたときも、一切注文をつけず、買収に応じていました。「住民として当たり前のことだ」という言葉を聞いたことがあります。その後も、別の場所の買収を依頼されたときも、全く同じ態度でした。

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 私は、この「公の仕事に協力するのは当たり前」という父の基本姿勢を、子供心にも、尊敬していました。私の心の中に、今でも、底流に「公共に協力する、公に奉仕する」という基本的な考え方が流れているのは、この父のお陰だと思っています。
 話が逸れてしまいましたが、今回の名護市の市長選。住民達の意思は、「国という公の仕事」よりも自分達の「地元の利己的な意思」の方が優先された結果が示されたものとして、残念でなりません。しかし、国は、この「地元住民の意思」を乗り越えてでも、国家としてやるべきことはやる、この基本姿勢を貫き通さなければなりません。
 他方で、沖縄に集中している米軍施設を本土でも引き受ける、という努力はもっと積極的に行うべきです。その意味で、橋下徹市長のオスプレイ飛行訓練引き受け発言は、実現の可能性はともかくとして、その心意気は十分に尊重されるべきものだと思います。
 

今の仮想敵は中国、韓国、北朝鮮

 自衛隊の基地や米軍基地をどうするかは、まさしく「国の安全」に関する根本問題ですから、国レベルで決すべきテーマです。ソ連が仮想敵であった時代では、北海道や青森県に重点的に自衛隊基地が設けられました。しかし、今、ロシアを仮想敵と考える国民は余りいないでしょう。

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 現実の脅威という観点から言えば、ずばり中国です。差し迫った脅威と言ってもよいでしょう。日々反日的な活動を展開し、中国とも意を通じハルピン駅頭に安重根の像まで建てさせた韓国も、仮想敵に近いと言ってもよいでしょう。文字通り歴史をねつ造し、アメリカにまで従軍慰安婦像を建てさせ、フランスでは国際漫画展の場で従軍慰安婦の漫画館まで作り、担当の大臣まで出席して国際問題化しようとしている韓国も、明白な仮想敵と断じて良いでしょう。昔だったらとっくに国交断絶ものでしょう。核兵器を保有する北朝鮮の動向も気がかりです。
 この3ヶ国に共通しているのは何か、分かりますか。それは、常に「他者が悪い。自分達が正義だ」と強硬に主張し続けることです。しかも、一方的かつ独善的な歴史観をもって、相手がそれを認めるまで絶対に譲らない。真実を探求しようという精神は微塵もない。「法と秩序」これがないのも、この3カ国には共通しています。日本はこんな国々が隣人なんですから本当に堪りません。
 「国家戦略」とは、そういう厚かましく、かつ、傲慢なものだ、と言われればそれまでです。しかし、このような考え方は、農耕民族として「和」の精神を尊び、隣人とも友好関係を保持しようとする日本国民の基本思想とは全く相容れないのです。
 地理的にこれほど近接しているのに、どうしてこれほどまで民族間に違いが生じるのか。それは、日本は、島国であるがゆえに外敵からの攻撃を受けにくい国家であった、という国の成り立ちにその原因があると思います。日本は外敵からの攻撃は、蒙古襲来くらいしか経験していませんしね。一方、中国や韓国、北朝鮮は、常に外敵によって攻撃・支配され、蹂躙されてきたという歴史があります。それ故に、民族そのものが卑屈になり、或いは攻撃性が強くなり、時には、常に自分を守るためにはどうすればいいのかという防衛本能がDNAが埋め込まれているのでしょう。親に苛められた子供は、性格が捻じれ、自分の子供に対しても苛めることが多いと言われています。これら3カ国のDNAは、「自分より強いものには決して攻撃しない。自分より弱い者、或いは、軟弱だと思う相手に対しては、居丈高になる」ということです。これが3国の共通項だと言ってもよいでしょう。

外交音痴の村山談話、河野談話

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 日本人には、隣人との友好関係を維持しようという姿勢が強いですから、時々外交関係でも大きな失敗を犯します。その典型例が、「村山談話」であり、「河野談話」です。
 時の政府は、「真実はともかくとして、日本が和の精神で恭順の意を示せば、以後、友好関係が築ける」と考えたんでしょう。連立政権として発足したばかりの村山政権は、村山談話なるものを出し、近隣諸国に謝罪しました。談話の中核となるものは、次のくだりです。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」(原文より)
 中国や韓国は、この言葉に飛びついたわけです。そのため、歴代の総理は常に、植民地支配をした侵略国家として、この村山談話を踏襲するか否かの踏み絵を踏まされ、謝罪、お詫びを言い続けなければならなかったのです。日本人的な感覚からすれば、一度お詫びをしたんだから何度も繰り返さなくてもいいではないか、ということになります。しかし、韓国の物の考え方は、「一度認めた以上、歴代内閣は発足する都度、何度でも謝罪を続けろ」という論法です。「あれは村山内閣という特別の事情で作られた連立内閣の意思であって、我が内閣は異なる見解をもつ」なんてことは、一切許容しないのです。

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 もう一つの大きな失敗は、従軍慰安婦の存在を認めた「河野談話」です。
河野談話は、次のようなものです。
「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。(中略) いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。(中略)われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。」

真実味の全くない河野談話

 この河野談話が、真実に基づくものであるならば、認めることにやぶさかではありません。しかし、この調査には多くの問題点があります。問題点どころか、余りにも杜撰すぎます。
 この調査は、当時の河野洋平官房長官が、韓国で元慰安婦16人から聞き取りをするという形で行われたものです。証言の事実関係はあいまいで、別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だったのです。しかも、軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、決め手は元慰安婦への聞き取り調査しかなかったのです。

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 しかも、韓国語がぺらぺらでもない河野官房長官が、通訳を介して現地で(!)、僅か5日間という短期間で行った調査です。しかも、日本側からの質問は一切許されなかったというのです。慰安婦と称される人達が一方的に話すだけ。こんな馬鹿な調査があるでしょうか。国を挙げて反日教育をしている韓国側からすれば、自分達に都合のいい証言をする者を集めたことでしょう。証人になれば、何らかの見返りがあることも吹き込んでいたかもしれません。
 しかも、この調査、「個人情報保護」などを理由に一切開示されていないのです。当時、内閣外政審議室審議官だった東良信氏は、自民党の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」との証言を行っているような代物です。
 この間の事情は、私が述べるよりも、現地韓国ほか関係者を調査した櫻井よしこさんの発言を聞いて頂く方が、はるかに説得力があるでしょう。こちら→櫻井よしこさんの調査結果
 大体このような外交上重要な調査を、当時の官房長官がのこのこと韓国に出向いて調査をしたなんて、笑わせませんか。敵の思うつぼ、飛んで火にいる夏の虫、とはこのことです。その上に個人情報を盾に一切内容を開示しない。
 その結果、元慰安婦像を韓国ばかりか、アメリカにまで作らせるという失態。一体河野洋平議員は、この責任をどのようにとってくれるのでしょうか。少なくとも、「あの調査は、全く信用に足るものではなかった。韓国政府の言うまま作為的に行われたものだった」位の事は言う責任があります。
 名護市長選挙から始まったこのテーマが、いつの間にか、外交問題に関する不満へと発展してしまったことをお詫びします。それだけ日本の外交に対する不満が強い、ということでもあります。
藤井厳喜氏も、韓国による従軍慰安婦問題の主張は不当であることを英語で発信しています。是非こちらも視聴してください。】→英語版による主張はこちらから

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