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情けないSTAP細胞騒動

情けないSTAP細胞騒動

人騒がせな小保方さん

 それにしても、理研の小保方さんの騒動、困ったものですね~。あの小保方さんの記者会見を聞いて、納得した人がどれほどいるのでしょうか。私は、科学の知識は殆どありませんので、この欄での発言は控えていましたが、それにしてもあの小保方発言、お粗末です。とても科学者の記者会見とは思えませんでした。それにハンカチで涙など拭われたのでは、質問する方が苛めているみたいでやりにくかったでしょうね。

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 科学者ならば、自分の研究成果にイチャモンがついた以上、科学の論理で切り返さなければいけません。涙など一切不要です。逆に、涙など流すと、涙でごまかすつもりかと思ってしまいます。
 自分の研究成果に対して、仮にも不正や捏造の疑惑がかかっているんです。科学者なら、科学的な反証を挙げるべきです。使用した写真が学生時代の博士論文に使用したものをそのまま転用していたなんて、どんな言い訳をしても通用しません。そういうのを児戯と言うんです。掲載するのは、科学の世界では世界最高レベルの研究成果を発表する「ネイチャー」誌です。それだけでも「科学を愚弄している」と言えるのではありませんか。こんな場面で「善意の誤解が悪意に取られ心外」だなんて、法律論争みたいなことを言っても仕方がありません。
 善意か悪意かは、法律の世界では重要な判断要素になりますが、真理を追求する科学の世界では、「善意でした」なんて言い訳は通用しません。

研究ノート

 科学者がその研究成果を「研究ノート」という形で、記録に残すのは、この世界では常識のようです。第三者の評価に耐え得るようにするためです。だとすれば、その成果である研究ノートを、なぜ理研の検証調査チームにすべて渡さなかったのでしょう。後になってから「他にまだあります」なんて、これも児戯です。5冊か6冊あるうち、2冊だけ渡したという行為には、その段階で何か作為も感じられます。それとも、余りにもお粗末な落書きノートのようなもので、それが公になったら、それだけで本人の知的レベルが疑われるようなものだったということでしょうか。

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「2冊以外にもある」と言うなら、せっかく記者会見を開いたんです。その場に持ってくるのが当然でしょう。「これこの通りあります」と掲げて見せればすべて済む話です。

第三者も成功している

 私以外にも実証実験に成功した人物がいる、しかし、その人の名前は言えない。理研もその人物を知っているはずです。彼女は、そう言いました。
 小保方さんは、個人情報の秘密と勘違いをしているんじゃないでしょうか。自分以外にも成功した人物がいるならば、極めて客観的な証拠になります。その大事な証拠をなぜ個人に迷惑がかかるなどと言って秘密にする必要があるのでしょうか。何だか「犯罪者を知っている」というのと、同レベルの勘違いをしているのではないでしょうか。
 第一、迷惑がかかることを心配するならば、事前に、本人に名前を出していいか確認するくらいの努力をすべきでしょう。「本人の許諾を得るべく協力を要請しました。しかし、本人が強く拒絶したため、今は名前を出すことができません」というなら、一応、分かります。その努力すらしていないということは、本当は成功した人は一人もいないと言うのと同義です。

お茶の子さいさい、200回以上も成功した んですもの

 いやはやすごい成功確率ですね~。お茶の子サイサイってことです。将来のことはわかりませんが、もしSTAP細胞が存在しないということが判明したときには、彼女には「稀代の大ペテン師」というレッテルを貼られることになりますが、それを承知で言っているのでしょうか。

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 「自分だけができる」、「作る際にコツがある」。これって科学なのでしょうか。国宝級の工芸品を作る作家が言う台詞なら理解できます。ピカソが言うのでも理解できます。しかし、対象は、工芸品や美術品ではありません。科学です。科学というのは、「再現性」があるから科学である、ということは誰しも認めるところでしょう。なぜ本人しかできないのか、コツというものがあるというなら、公開の場で再現して見せるべきです。公開したからと言って、少しもノーベル賞級の価値が損なわれるわけでありません。NHKあたりが、ドキュメンタリー番組として制作してもいいでしょう。まさに「百聞は一見に如かず」です。
 なお、同室で研究を行っていたスタッフたちの話が少しも伝わってこないのも気になります。200回以上も成功していたんですから、当然、他のスタッフも、何度も見ていたはずです。なぜ、小保方さんを庇う人物が一人も出てこないのでしょう。この点も少し気になります。

共同執筆者にも責任

 今回の発見は、それが事実だとするなら、ノーベル賞級の発見だと思います。何せ、死んだ人でも生き返る、つまり「リセット」できるというレベルの話だからです。「それでも地球は回っている」と言ったというガリレオ級の発見でしょう。「何百年にわたる生命細胞学の歴史を愚弄している」と言った科学者に、熨斗をつけて返せるような大発見です。

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 それほどの大発見を世界最高の科学誌に掲載するのに、共同執筆者が誰ひとり、そのスタップ細胞の作製過程を自分の目で確認していない。いや、確認しようともしなかった、なんて信じられます?「小保方さんを信じていた」なんて、そんなことがあり得るのでしょうか。本人が200回以上も成功していたと言っているわけですから、当然、共同研究者にもその作製過程をつぶさに紹介するのは当然のことです。それなのにたった一度たりとも、共同執筆者に見せていない。科学の門外漢には信じられない話です。
 その人達は、共同執筆者として恥ずかしくないのでしょうか。共同執筆者というのは、文字通り、役割分担で、自分のテリトリーだけ分担執筆すればそれでいいということになっているのでしょうか。そうだとすれば、科学ってあまり信用できないものなんですね。

笹井副センター長の責任

 チームリーダを指導する立場である笹井芳樹・副センター長が記者会見をしました。彼は会見で、論文にかかわったのは投稿の最終段階である約2か月間に過ぎず、STAP細胞を作製した小保方氏の実験の生データや、実験ノートを見る機会はなかったと証言しています。僅か2ヶ月でも、研究内容が真実だと確信できたのなら、問題はありません。しかし、生データや実験ノートを見ることなしに、研究成果に太鼓判など押せるものなのでしょうか。

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 しかも、その研究対象が、「平らだと思っていた地球が丸い」と主張しているくらい驚天動地の論文なのに、僅か2ヶ月、生データも、研究ノートも見ることなく、「その研究は正しい」と、判断できたのでしょうか。山梨大学の若山教授を信用したから、というのでは、あまりにお粗末、いや、余りにも無責任なのではないでしょうか。

百聞は立証に如かず

 このSTAP細胞論争。もう議論の段階はとっくに過ぎたと思います。200回以上も成功している本人に、実験室で実証実験をしてもらう。これが一番早いと思います。
 嘗て、スプーン曲げの超能力者がいました。テレビの高速カメラで撮影した画面を分析したところ、投げる瞬間に、指で曲げていることが判明しました。「ゴッドハンド」と言われる遺跡探しの名手もいました。ところが、事前に自分で遺跡を埋めておき、このあたりが怪しい、と言って掘り起こしていた人物です。IPS細胞を使って心臓手術をしたという森口何とかというペテン師もいました。近くは、絶対音感を駆使して、クラシック音楽を作曲していた上河内とかいうペテン師もいました。
 何か、「すごい!」「信じられない!」というような場面では、何かしら作為があったんです。今回だけは、そのような作為がなかったことを願っています。何といっても、科学の世界のことですからね。

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