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白鵬の発言、いただけません

白鵬の発言、いただけません

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 大相撲初場所で、白鵬が史上最多となる33度目の優勝を飾りました。慶賀に堪えません、と言いたいところですが、正直、ちょっとがっかりしました。「なぜ取り直しなのか。子供が見ても(自分が勝ったと)分かる。審判部はもう少し緊張感を持ってほしい。」との発言にです。これは、13日目の稀勢の里戦の結果について、白鵬が不満を表明したものです。
 私もビデオで見ましたが、完全に「同体」にしか見えませんでした。少なくとも、ビデオで見ても、判別がつかないほどに微妙な勝負だったのです。つまり、日本人的感覚では、取り直しという結果に全く違和感がなかったのです。ですから、白鵬が不満を表明したことに面食らったというのが正直な気持ちです。

審判に異議は申し立てないという日本人的心

 スポーツの世界においては、しばしば疑惑の審判、などということが生じます。特に、サッカーのように、国を挙げて応援をするような競技には、この手の疑惑が多いようです。審判が、買収されてしまうんですね。審判だって人間ですから、ウン千万のお金をもらえるとなれば、心ならずも買収されてしまうこともあるでしょう。
 また、韓国のように、「ほかのどこの国に負けてもいいが、日本にだけは絶対に負けたくない」という国の場合、卑劣な手段も使ってきたりします。先に韓国で開催された○大会でのバドミントンの試合。常に日本選手に向かい風になる、なんてこともありました。バトミントンのように、風に敏感な競技で、常に向かい風になったんでは堪ったものではありません。
 でも、日本人は違います。いくら勝ちたい相手でも、卑怯な手を使うということは絶対にしてはならないし、そんなことをして勝っても少しも嬉しくない、というのが日本人的心情です。
 このように一般のスポーツの世界では、すべてが公平と思っているわけではありません。ですからフィギアーのように美しさ、力量を人間が判定するという競技も、あまり好きではありません。人間には好悪の感情がありますし、民族、宗教、肌の色などによって、差別的意識が混じらないとも限らないからです。でも、国技である相撲に関しては、審判は、いわば絶対的存在として、敬意をもたれてきたのです。

審判を批判した初のケース?

 私は小学生の頃から、相撲ファンでした。家にテレビなどありませんでしたから、学校の帰り道、勝手にほかの家に入り込んで観戦していました。当時は、テレビのある家は珍しかったんですね。テレビは、ほかの家に上がり込んで見るものだったんです。当時の家は、どこも鷹揚でした。玄関に鍵のついている家なんてありませんでした。子供が入り込んで見ていても、咎められるなんて雰囲気は全くなかったのです。その当時、栃錦と若乃花の対戦なんて、手に汗握って観戦したものです。栃若全盛の時代です。

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 このように学校の帰り道、あちこち道草をし、人様の軒先の柿をとって食べたり、井戸の水をキッコンキッコンさせて汲み上げ、飲ませてもらったりしながら帰ったものです。もちろん、集団下校なんてない時代です。私は、その頃の自由な下校時間に楽しい思い出が沢山あります。毎日、帰る道を変えのは、楽しみの一つでした。今日は山道を通ってみよう、今日は田の畦道を通ってみよう、という具合です。ですから、今のような集団登下校を、本当に気の毒に思っています。集団での登下校では、楽しい思い出は何も残らないのではないか、と思うからです。
 話が脇道にそれてしまいした。それ以来、私は、随分長いあいだ相撲を見てきましたから、審判から物言いがつくという場面は多く見て来ました。でも、力士から審判に対して、その判定に不満を言ったケースというのは記憶にありません。
 日本人は、あらゆる物事に対して、「極める」ということが好きです。茶の道を極める茶道、柔の道を極める柔道という具合です。相撲道、弓道、合気道、躰道など、すべて「道を極める」というところから、発展した名称です。大工や刀鍛冶のような仕事でも、「匠のこころ」というものが大事にされてきました。宮大工なんて、もはや芸術の域と言ってもよいでしょう。料理だって、料理道と言っても良いくらいに極める、それが日本人的心だと思います。日本人なら、「道を極める」という言葉は、単に表面的な形だけでなく、心の内なるあり方まで含めた概念であることを、十分に理解しています。ですから審判の判定には謙虚な気持ちで従う、ということも「道」の中には含まれているのです。

大鵬も審判の判定には不服を言わなかった

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 白鵬の鵬という字は、尊敬する大鵬親方から1字をもらってつけたと聞いています。その大鵬親方が連勝記録が45で途切れたときの判定は誤審だとされています。私も、あの瞬間は必死で見ていました。ビデオで見直したら、大鵬の足が土俵に残っていたんです。日本人の多くが歯ぎしりしたと思います。その当時は、「ビデオ判定」というシステムがなかったので、結果が覆るということはありませんでした。
 問題は、それからです。大鵬は、「負けは仕方がない。横綱が物言いのつくような相撲を取ってはいけない」と言ったんですね。これこそが相撲道というものでしょう。その発言に、日本人なら、清々しい思いを抱いた筈です。
 白鵬関が大鵬を鏡としていたというならば、その形だけでなく、是非、その心の方も見習って頂きたいと思います。

肌の色発言にも失望

 さらに白鵬は、同じ発言で、次のようなことも言いました。
「本当、肌の色は関係ないんだよね。同じこの土俵に上がってマゲを結っていることになれば日本の魂。みんな同じ人間なんだよ。」
 私も、この映像を見ましたが、本当にびっくりしました。「肌の色の違い」、なんて考えたこともありません。日本人のルーツは、モンゴル人と言われています。幼児期にのみできる蒙古斑も共有しています。肌の色も、顔も全く同じで、見分けがつきません。韓国人との違いならある程度区別できますが、モンゴル人との違いは全くわかりません。
 にも関わらず、なぜ白鵬が敢えて「肌の色・・・」などという発言をしたのでしょうか。
 この辺になると、我々日本人には分からない微妙な感情があるのかもしれません。彼は彼なりに、日頃から、日本人から受ける差別意識を感じていたのでしょうか。
 

多くなった外国人力士

 確かに、日本人的感情からすれば、日本の国技なのに、日本人ではなく、モンゴル人始め他の外国人ばかりが台頭している現状に、複雑な思いを抱いている人も多いと思います。何とか日本人の横綱が出て欲しい、という思いは間違いなくあります。
 このような日本人の意識からすれば、本場所の館内で、日本人の有望力士により大きな声援をしたくなるのは日本人として、十分に理解できます。特に、遠藤のように、伸び盛りの日本人力士に、期待を込めて、より大きな声援の飛ぶのは、やむを得ないと思います。
 白鵬からすれば、そのような声援の大きさの違いを敏感に感じ取っており、その不満がつい口をついて出てしまったのかもしれません。
 

著しい外国人力士の台頭

 確かに、外国人力士は増えています。前頭16枚目以上の関取42人中、16人が外国出身の力士です。38%が外国出身というわけです。国技の相撲を、ほぼ4割近くの外国出身が占めるというのでは、日本人が気を揉むのは当然でしょう。しかも、横綱は3人ともモンゴル出身。残り3人の大関が日本人です。その大関陣、いつまでもモタモタしていて、横綱になる前に歳をとってしまうのではないか、という苛立たしさがあります。

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 相撲が日本の国技であるならば、日本人の横綱が見たいと思うのは自然の流れです。しかし、これは差別というものではないと思います。現在、イスラム国との間で人質交換をめぐる交渉が行われていますが、これも同じです。イスラム国は、「爆弾テロ事件の犯人である死刑囚と日本人の近藤健二さんとの1対1の交換」を要求していますが、ヨルダン国はこれを拒否しています。自国民であるパイロットの方の優先が絶対条件だ、というわけです。このヨルダン人の心情は、十分に理解できます。
 どこの国でも、自分たちの同胞を優先するのは、いわば本能のようなものです。白鵬だって、モンゴルから日本に来た以上、その程度の不利益は覚悟の上ではないでしょうか。日本人だって、戦前戦後、移民政策により、アメリカやブラジル、中南米などに多くの人々が移民として渡っていきました。そこでなされた彼らの苦労は、聞くも涙、語るも涙、筆舌に尽くしがたいものがあったと言われています。
 このように、他の国に移って新たな生活を始めるということは、多くの困難を伴うのです。帰化したからといって、その日から100%日本人と同じになるというわけにはいかないと思います。白鵬が、対稀勢の里戦で、稀勢の里に対する声援の方が圧倒的に多いと感じたことでしょう。それはやむを得ないことなのです。

日本には判官贔屓の文化も

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 日本には、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉があります。判官というのは平安時代に置かれた検非違使の尉のことです。判官贔屓と言われる場合の判官は、「九郎判官」と呼ばれた源義経をさすものとされています。 平家討伐に功績のあった義経は、人々から賞賛されましたが、その人気が災いして、兄の頼朝に憎まれたんですね。結局、義経は 奥州平泉に逃げ、その地で藤原秀衡に助けられますが、秀衡の死後、秀衡の子である泰衡に襲われ、自ら命を絶ちます。
 頼朝と義経を比べた時、どちらを応援するかとなれば、絶対に義経です。陰気臭い頼朝よりも、行動が派手で顔立ちもよかった(らしい)。人気が出るのは当然です。要するに、強い方ではなく、弱い方に味方をすることが多いんです。強い方を味方するのは、判官贔屓とは言いません。特に、憎らしいほど強い力士の場合は、弱い方を応援したくなってしまうのも人間の常です。朝青龍のように、やたら態度がでかく、相撲も強い。横綱の風格もない。となれば、反朝青龍となるのは当然でしょう。
 今の大相撲のように、外国人力士が横綱を独占しているような状況だと、日本人力士頑張れ、と声援したくなるのは無理からぬところなのです。モンゴル出身の力士が、いつになっても大関どまりで、容易に日本人力士に勝てない。しかも孤軍奮闘している、なんて状況にあったら、日本人は、モンゴル出身の「○○頑張れ!」なんて、判官贔屓すること請け合いです。
 白鵬関、是非とも、心の持ちようも、大鵬同様、「心・技・体」すべてに大きな「大横綱」になってください。

 
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