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舛添知事とうとうお辞めになりましたね

舛添知事とうとうお辞めになりましたね

空しい舛添騒動

 舛添知事、とうとうお辞めになりましたね。この人の顔を見ていると、吐き気がして、「もういい加減にしてほしい」という気持ちの人も多かったのではないでしょうか。舛添知事の発言に反発・反感を覚えたのは、一重に彼自身の発言に原因があったんです。私は、発言さえ間違わなければ、決して「首」までとられることはなかったと思います。

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 例えば、海外出張の際にファーストクラスを使い、スイートルームに宿泊した。そのこと自体、我々は「へ~、そうなんだ」と驚きはしましたが、特別腹を立てるというレベルのものではありませんでした。他の県知事でも、県の条例の定めに従い、ファーストクラスを利用している知事も何人かいますし、石原知事や猪瀬知事など、歴代の知事だって使っていた筈です。
 だからこう言えばよかったんです。「事務方から、これまでの知事もみなさん使っておられましたよ、と言われたのであまり疑いもせず、使っていました。言われてみれば、少し贅沢だと思います。これからはビジネスを使うようにします。」
 ところが、その質問に対して、「香港のトップが二流のビジネスホテルに泊まりますか?恥ずかしいでしょう。」とか「完璧に飛行機の中で寝て、はつらつとした形で仕事をしたい。」なんて言い方をするから、国民はカチンとくるんです。「都知事がビジネスを使ったって、ちっとも恥ずかしくない。むしろ、東京の知事がそこまで節約しているなんてすばらしいと思うよ」なんていう反発が出てしまうんです。

ホテル三日月で墓穴

 今回の騒動で極め付けだったのは、ホテル三日月での宿泊でしょう。正月に家族と宿泊した費用を「会議費」として処理した。誰とどんな会議をしたのか、と問われて、「知事選前だったので、事務所関係者らと会議をした。」。

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しかも、会議をした場所は、部屋がかなり広いので家族とは離れたところで打ち合わせをした」とか、苦しい言い訳をしてました。こんな言い方をすれば誰でも、「正月早々、ホテルで、しかも家族がいるような場所で会議をするはずがない。相手は誰だったのか。」と突っ込みを入れたくなるのは当然です。
 これだって、余計な言い訳をせず、「すみません。これまでも宿泊費用などは会議費で整理していました。これからは一切会議費では使わないようにします。」と言えば、こんな問題にはならなかったはずです。
 この話が出たとき私が思ったのは、一緒に泊まったであろう子供のことです。その場に子供や孫が何人いたのか知る由もありませんが、彼らは事実関係は十分に知っているはずです。「あ、うちの父ちゃん、あるいはおじいちゃんは、嘘ついてる」って、思っていた筈です。子や孫を踏み台にしてまで嘘をつく、その人間性に厭らしさを感じてしまうんです。

とどめはチャイナ服

 そのほか、言い訳がすべて「政治がらみ」として、公務だったかのような言い方をするので、必要以上のバッシングを受けてしまったんです。公用車で家族とコンサートに行った時も「ある団体から招待を受けたので仕事として行った」とか、家族でプロ野球観戦に行った時も「オリンピックで野球が新種目に採用されるかもしれないというので、見ておかなければいけないと思って」など、何でも仕事がらみにする言い方。これでは、都民、いや国民は納得しません。

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 とどめになったのはチャイナ服かもしれません。「政治家として揮毫を頼まれることがある。チャイナ服はつるつるして引っ掛かりがない。字を書きやすいんですね。」なんていう言い訳、誰が信用するというのでしょうか。こういうのを「馬鹿も休み休み言え」と言うんです。自分の頭の良さに酔いしれて、国民なんていくらでも言いくるめられると思ったんでしょうか。
 実際にチャイナ服で書くと、袖が垂れて書いたばかりの字を汚してしまう。汚さないように気を遣わなければいけないから却って書きにくい、なんていう書道の大家の話が出ていました。雇われ弁護士が「袖口に墨の跡がついているのを見て、これは間違いないと思いました」なんて言ってましたが、チャイナ服の確認をするほど念入りに調査をしたなら、なぜもっと大事なホテル三日月の面談相手に会って確認しなかったんだよ~、なんて突っ込みを入れたくなるのは当然です。

第三者の厳しい目で

 この言葉も、反感の元になりました。間違いなく今年の流行語大賞の候補になるでしょう。杜撰な政治資金の使い方について、「第三者の厳しい目で精査していただき」なんて言葉、1回の記者会見で60回近く使ってました。自分が金を出して自分のために調査をする弁護士が、本当に厳しい目で見る筈がないだろうが、って小学生でも分かる論理です。

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 そんな言い訳で事を収束させようとする知事の態度が国民の反発を招いたんだと思います。その程度のことは、「他人に調査なんかさせなくても自分が一番よく知っているだろうが」と思うのは当然です。これだって、「政治資金は、どのような内容のものであれ、領収書さえとってあれば、その使途は問われないという政治の世界の慣行に浸かってしまいました。申し訳ございません」と総括的に謝ってしまえば、「首」まで取られることはなかった筈です。
 だって、大同小異これと同レベルのことは他の政治家もしているだろう、と国民は思っているからです。この程度のことを追求され非難されたら、今の野党の幹部連中だって、政権の座に就いたとたん火だるまになってしまうはずです。

有権者の反省も必要

 このような知事を選んだのは、誰あろう、都民です。いや、一時は「総理にしたい政治家NO1」なんて調査もあった位ですから、その責任は国民自身と言ってもよいでしょう。このことは何を意味するのか。「人間の本質を見抜くのは至難である」ということです。私自身も、テレビタックルの頃から彼を見ていますが、これほど極端な言行不一致の政治家とは思いませんでした。

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 彼の著書の中にこんなくだりがあるそうです。「政治の世界においてカネを使うことそれ自体が悪ではない。政治によって蓄財し、それを私利私欲のために使うから悪なのである」(自著「内閣総理大臣その力量と資質の見極め方」)。彼は、正にこれとま反対の行動をとったのです。
 ただ私は、彼が厚生労働大臣になった頃から、「この人は小役人と同じだ。大物政治家ではない」と、思っていました。なぜなら、大臣の記者会見の場で、あれこれ資料を抱え、ペラペラしゃべりまくり、忙しそうにそそくさと帰っていく。泰然とした政治家の姿は、どこにも見られなかったからです。
 私も国の役人を20年近くやらせてもらいましたから、役人の習性はかなり分かります。「忙しい、忙しい」と言っている役人ほど、能吏、器用貧乏で、決して大物はいませんでした。舛添さんは、能吏の小役人だったんです。その人が溢れんばかりに税金が集まる大東京の指揮官になってしまった。そこに大きなボタンの掛け違いがあったのです。

知事は人気投票で選んではいけない

 これまでの都知事選は、人気投票のようにして行われてきたように思います。美濃部良吉なんていう知事がいました。3代目です。「たった一人でも反対する人がいればゴミ焼却場は作りません」を謳い文句に、当選しました。当然、焼却場は作りませんでした。しかし、1,300万人の都民が出すゴミは一体どこでどう処理すればいいのでしょう。焼却場のようないわゆる嫌悪施設はどこに作っても、反対運動に晒されます。それに迎合するのは簡単です。
 でも、必要なものは必要です。いかなる反対運動があっても、行政として必要なものは断固として作る、それが政治であり、行政というものです。結果、美濃部都政下では、行政は停滞、財政は大赤字。それを建て直したのは、次の官僚出身の鈴木俊一知事でした。
 5代目の青島幸雄もひどかった。東京は青島、大阪はパンパカパ~ンの横山ノックの時代です。彼は、選挙は汚いものと切り捨て、選挙期間中、海外(ハワイ)に高飛びしたんです。それを日本のマスコミ、特に朝日新聞や毎日新聞、東京新聞といった左翼系の新聞が「お金を使わないクリーンな政治家」として、大々的に持ち上げたんです。皆さんも覚えているはずです。私も当時は朝日新聞を購読していましたからよく覚えています。

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 彼は放送作家、タレントとして有名でした。政策として言ったのは、国際都市博覧会を中止する、それだけです。「何かをするか」ではなく、「しない」ことを売りにしたのです。美濃部知事と全く同じ手法です。その結果、見事当選しました。しかし、国際都市博中止だけを公約にしたのに、就任後も、中止だ、いや継続だ、いや中止だ、など決断するまでさんざん迷走し、やっと中止しました。たった一つの公約すら決断するまでに迷いに迷っていたくらいですから、他の政策はすべて役人任せでした。
 その後を継いだのが石原慎太郎知事です。決断の政治家、と言ってもよいでしょう。個性が強いだけ、反発する人も多かったはずです。役人が運営する新銀行東京は大失敗だったと思いますが、それ以外は、概ね合格点をつけられるのではないでしょうか。「役人が銀行経営をしてうまくいく道理がない」というくらいのこと、石原知事なら分かりそうなものです。多分、この時は「天皇」になってしまった驕りから、判断を誤ってしまったんでしょうね。
 猪瀬知事はショートリリーフみたいになってしまいましたが、ピンチヒッターとしてはまあまあだったのではないでしょうか。
 そして舛添さんです。嘗ては「総理にしたい政治家NO1」だったんですから、嘘でもいいから、そのままのイメージを保ってほしかったと思います。バーブ佐竹の歌に「女心の歌」というのがあります。「どうせ私を騙すなら、騙し続けてほしかった」なんて歌です。国民としては「騙し続けてほしかった」のです。文字通り、「あなただけはと信じていた」んですから。 

実行力のある政治家を

 政治家の選び方って、ほんと難しいですね~。そもそも私たちは政治家に何を求めるべきなんでしょうか。クリーンな人?実行力のある人?誠実で人望のある人?見識のある人?面倒見のいい人?それとも国家の展望・青写真を描ける人?
 極端な話、これらすべてが備わっている人がベストです。しかし、人間に完璧な人はいません。実行力のある人は、得てして金に汚かったりします。クリーンな人は、実行力のない人(例:青島知事)の裏返しの表現だったりします。
 ということは、私たちは何か一つか二つに重きをおいて選ぶしかない、ということではないでしょうか。実行力を重点に置いたなら、少しくらい金に汚いところは目をつぶる。政治さえきちんとしてくれるなら、少しくらい女遊びをしたっていい、そういう割り切りが必要です。
 ついでに言わせてもらいますが、桂三枝や三遊亭円楽が浮気だか不倫をしたとかいう話題。マスコミの取り上げ方は行き過ぎだと思います。いつから噺家の世界にまで厳しい倫理観を求めるようになったんでしょう。噺家というのは、世の中の裏事情などさまざまな浮世のよしなしごとを経験してこそ、面白おかしく話せるものです。芸の肥やしというやつです。それが日本の伝統文化を支えてきたんです。そんな芸人にさえ厳しい倫理観を求める、そのような余裕のないギスギスした社会、いやですね。そもそも、どんな人間でも、本当は脛に傷の一つや二つあるものです。自分の胸に手を当てて、この世に生を受けて以来、一度も倫理・道徳に反することをしたことがない、と自信をもって言える人間が何人いるでしょう。

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 あ、話が脱線しましたね。要するに、私たちは、政治家に完璧を求めてはいけないということです。何か一つ重要なことをしてくれたら、他は目をつむる。そいう心構えが必要なのではないでしょうか。私は個人的には、「実行力」を最優先にしたいと思っています。政治家とはそういうものだと思っているからです。多少ワンマンでもいいんです。金銭については比較的クリーン、倫理観も比較的清潔、「比較的」という文字がつく位で十分なんです。政治に金はつきものですし、政治家の不倫くらい目をつぶっても私たちの生活に何の支障もありません。
 数年前、フランスのシラク大統領は、国会で不倫疑惑を質された際、「あ、そう、それがどうしたの?」と言いました。国の仕事と何の関係もない、ということです。そう、政治家としての実行力があったら、少しくらいは目をつぶったってもよいではありませんか。政治家なんですから。

政党助成金は廃止すべきです

 今回の舛添さんのお金の使い方に関連して、「政治資金規正法」のありかたが問題になりました。厳正な第三者の眼をもった弁護士が、「領収書があるので、不適切だが違法ではない」なんていう言葉を乱発していました。つまり、フーゾクで遊んできても、領収書さえ貼ってあれば「不適切ではあるが違法ではない」ということです。これは冗談で言っているのではありません。

お手盛り

 政治家のみがこんな極楽とんぼの世界で生活しているこの日本という国は、一体どうなっているんでしょう。このお金の出所の大半は「政党助成金」です。年間300億以上の政党助成金が各党に配分されているんです。国会議員の人数は、衆参合わせて717人ですから、議員一人当たり4,100万円の計算になります。潤沢な歳費のほかにこれほどの巨額の政党助成金が出ているんですから、夢のような世界です。
 もちろん、このほかに本来の歳費(給料)が平均で2,895万円、文書交通費が毎月100万円が支給されるほか、JRの乗車料金タダ、航空料金タダ(月4回まで)など、破格の上に破格をつけたくなるほどの特別待遇です。もちろん、日本の国会議員の収入は断然世界一です。
 政党交付金は、元来、議員が「○○君を励ます会」など、自分で金集めをせず、政務に専念してもらうという趣旨で作られた制度ですが、専念しているのは、「いかにお金を使い切るか」、そのためには「いかにして領収書を掻き集めるか」であって、到底、政策づくりに専念しているとは思えません。

憲法を改正し歳費は第三者機関に決定させるべき

 今回の舛添知事の問題を契機として、今一度、政党交付金のあり方、政治資金規正法のあり方を見直すべきだと思います。
 政党交付金は、政党助成法という法律に基づいて支給されていますが、法律を作るのは国会議員ですから、お手盛りのし放題になるのは当然です。
 また、議員の歳費(給料)を定めるのも自分たちです。今の状態では、文字通り「泥棒に取り締まりの法律を作らせている」のと同じです。税金を原資に、自分たちの給料を自分たちで決定する、これでは天井知らず、お手盛りになるのは、当たり前です。やりたい放題とはこのことです。民間企業だって、自分の給料は自分で決めているではないか?それは違います。企業の場合は、利益の裏付けが必要です。利益も出ていないのに、役員報酬をバンバン出すことはできません。そんなことをすれば、すぐに倒産です。そこに大きな抑止力が働いているんです。
 議員報酬には、殆ど、いや全く抑止力が働いていません。本来、抑止力として機能するのは「国民の目」です。しかし、個々の国民には伝達手段がありません。その役割はマスコミが担っています。しかし、そのマスコミはこの面で十分にその役割を果たしているとはいえません。

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 私は、基本的には、憲法を変えるしかないと思っています。現行憲法では「両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当の歳費を受ける」(49条)と定められています。つまり、法律で定めれば、どのような報酬(歳費)をもらうこともできるんです。その法律を作るのも、歳費をもらうのも同じ人物(泥棒=警官)なんですから、やりたい放題になって当たり前です。また、政党助成法のように、自分たちの受ける恩恵を自分たちが決めるという方式を禁止するよう、憲法の規定により制限するべきです。税金の原資とする歳費や交付金を自分たちで決めるなんて、そんな野蛮な方式がまかり通っている現状を早急に是正すべきです。
 このアメリカ様から頂いた憲法を、不磨の大典のごとく後生大事に、70年以上一度も改正しないできたお目出度い国民、それが日本という国です。その責任の大半は、国民をリードすべきマスコミや政党にあると思いますが、国民自身にもあるのです。そういう議員を選び、そういうマスコミの存在を許してきたのも国民自身だからです。
 戦争法案などと、またゾロ寝ぼけた議論が巻き起こるとするなら、9条はとりあえず横においておき、先ず、こういう分かりやすいところから、一度憲法を改正し、実体験をしてみる必要があるのではないでしょうか。そうでなければ、政治とカネをめぐる壮大な無駄遣いはいつになっても解決されず、こズルい政治家の跋扈を許すことになってしまうことになってしまいます。

 
 

 

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