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日本のノーベル賞は先細りします

日本のノーベル賞は先細りします

ノーベル賞の受賞は慶賀に堪えない

 今年のノーベル生理学・医学賞は、東京工業大学の大隅良典栄誉教授が受賞しました。慶賀に堪えません。これで日本の自然科学分野の受賞者は22人になりました。

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 周知のとおり、このノーベル賞は、スウェーデン化学者のアルフレッド・ノーベルの遺産を、 彼の遺志に基づき設立されたノーベル 財団から「人類の福祉に最も貢献した人々」に送られる賞ということになっています。当初は、「物理学」 「化学」「生理学・医学」「平和」の5部門でしたが、 後に「経済学賞」が加わり6部門となったものです。
 お隣の韓国はノーベル賞はたったの一人、それも金大中の平和賞だけです。そもそも平和賞なんて、「政治的」なものですから、評価に値するものではありません。日本人でも佐藤栄作総理が受賞していますが、日本国民も、思わずポカンと口を開けて眺めていたものです。オバマ大統領が受賞した時も、唖然茫然としました。でも、平和賞以外のノーベル賞には、ほぼ100%の国民が敬意と称賛を与えていることは間違いありません。「政治的」なものではないからです。
 ところで、今、この日本のお家芸ともなっている自然科学の分野が、極めてお寒い状況になっており、近い将来、日本のノーベル賞が先細りになり、絶無になることもありうる、ということを、日本国民は認識する必要があります。

大隅教授も危機感を表明

 大隅教授は、ノーベル賞が決まった後、東京工業大学で受賞後初めて講演した時に次のように述べています。

日本人のノーベル賞受賞者が増えていると浮かれている時ではない。(現在のような状況が続けば)今後も次々と日本人がノーベル賞をもらうのは難しいのではないか

 大隅教授は、その理由について、大学の研究環境が「雑用に追われて研究時間が減り、研究費も不足している」と言うんです。雑用が多いことと研究費の不足というダブルパンチを受け、研究に専念できないというわけです。
 先ず、雑用が多いという点です。学外の者にとっては、雑用の中身は推測する以外にありませんが、多分、研究室の予算をとり、研究室で預かっている研究者の指導をしたり、教授会や学部長会など大学の諸行事に参加したり、そのほかに授業を受け持ち、採点などの業務もあるのかも知れません。また、学外から依頼を受け、役所の審議会や研究会に出席したりといった雑用も少なくないでしょう。
 また、研究費の不足も深刻な問題のようです。なぜなら、大学の在り方そのものが、大きく変化したからです。

小泉政権が推し進めた国立大学の法人化

 これまでの国立の大学は、利益を上げるという発想は必要ありませんでした。学問の自由という自主独立の御旗の下で、自由な研究が尊重されてきたのです。その結果が、現在のノーベル賞獲得にもつながっているのです。
 しかし、小泉政権下で国立大学の法人化が押し進められました。すなわち大学を「独立行政法人として運営せよ」というのです。独立行政法人の役所流の定義は、「各府省の行政活動から政策の実施部門のうち一定の事務・事業を分離し、これを担当する機関に独立の法人格を与えて、業務の質の向上や活性化、効率性の向上、自律的な運営、透明性の向上を図ることを目的とする制度」とされています。

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 つまり、国立大学は、これまでのような象牙の塔の中で安住するのではなく、「業務の質の向上と効率化を図り、自律的に運営していけ」ということです。これらのことを総合して言えば、「自分の飯は自分で稼ぎ国の援助に頼るな」、と言い換えてもよいかもしれません。確かに、一見正しいようにも見えます。
 でも、ここに落とし穴があります。そもそも自然科学の研究というものは、研究の当初から、質の向上だの、効率性だのといった規準が当て嵌まる分野なのでしょうか。
 カエルはなぜ自分の身長の10倍も20倍も飛び上がることができるのかとか、ナマズは川の中でどのように生きているのか、クモはなぜ蜘蛛の巣状にきれいなネットを張ることができるのか、なんていうテーマを想定してみましょう。こういったどうでもいいようなテーマは、多分、洟から研究の対象から外されるでしょう。
 なぜなら、科研費と呼ばれる研究費を要求した際に、「その研究によって、具体的にどのような成果が得られるのか」とか「研究の結果どのような利益が得られるのか」なんて聞かれたら、返答に窮するからです。研究者は「興味があるから」あるいは「研究してみたいから」と言うしかないではありませんか。

そもそも研究とは何のために行うのか

 カエルが自分の身長の何倍も飛び上がる理由が分かっても、一円の儲けにもなりません。では、そういう「役に立たない研究」は本当に無駄なのでしょうか。
 大隅教授は、受賞時の記者会見で次のように述べています。「がんの治療などにつながると確信して(オートファジーの研究を)始めたわけではない」と述べています。つまり、研究の動機は実用化ではない、と明確に述べているのです。
 このように基礎研究というものは、利益を目的として行うものではなく、あくまでも「知りたい」「研究してみたい」という心的な欲求に基づいて行うべきものではないでしょうか。もちろん、研究者の中には具体的な利益を目的として研究をする人もいるでしょうが、多くの研究者は純粋に「知りたい」という探求心に基づいて研究に着手するのではないでしょうか。特に、自然科学の分野においては、そうだと思います。
 これまでノーベル賞を獲得したような研究は、環境や人類の福祉に貢献するものが大半です。でも、それはあくまでも結果論です。最初から人類の福祉に貢献できるなんて考えるはずはないでしょう。ましてやノーベル賞をもらうことを狙ったのでもないはずです。純粋に、研究してみたい、調べてみたいという研究者としての欲求からスタートしたものだと思います。

減り続ける研究費

 自然科学の分野で研究を進めるためには、ある程度の研究費が必要なのは常識です。では、その研究費はどのように賄われるのでしょうか。
 部外者である我々には縁遠い話ですが、新聞報道などによれば、国立大学に人件費なども含めて配分される「運営費交付金」は平成26年度で1兆945億円。ここから研究室に資金が配分されるわけですが、その額は、ここ10年で約10%減額になったそうです。
 個別の研究テーマを支援するのが「科研費」です。科研費は今年度は約2,300億円でここ数年横ばいが続いているとのことです。しかも、研究の新規採択率は、約4分の1だそうです。
 文科省が大学の研究者を対象にした調査によると、大学から支給される個人研究費が年間50万円未満の研究者が約6割にのぼり、理工系に限っても約半数に上ったというんです。
 国の基礎研究力を測る指標となる学術研究全体の総論文数で日本は10年前には米国に次いで2位でしたが、近年は5位に転落しているとのことです。影響力の多い論文(引用数が多い論文)も、4位から10位に転落し、中国や欧州の後塵を拝しているというんです。

「池上彰教養のすすめ」にヒントがある

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 嘗て読んだ池上彰氏の著書に「池上彰の教養のすすめ」というものがあります。今となってはうろ覚えですが、「理系の学問を成就するためには、一般教養の素養が必要不可欠」であるという結論だったと認識しています。マイクロソフトの創業者として知られるスティーブジョブズは、大学時代、カリグラフィーの魅力に取り憑かれ、明けても暮れてもさまざまな書体の文字を書いて過ごしたそうです。後年、彼はビルゲイツとともにマイクロソフト社を立ち上げ、大成功を収めることになります。その際に、さまざまな書体のフォントの知識が活かされることになります。しかし、彼がカリグラフィーの魅力に取り憑かれていた頃は、それがコンピュータに活かされるなどとは思ってもみなかったと言っています。つまり、「それを究めたい」という研究者としての熱意がそうさせたに過ぎないのです。
 池上彰氏は、ノーベル賞受賞者を輩出するアメリカの大学の実情を研究するため、MIT、ウェルズリー、ハーバードなどの名門大学を視察されています。その結果知りえたことは、これらの大学に共通していることは、①最先端の技術は一切教えない、②「理系バカ」は役に立たない。③一般教養こそがすべて、だったと述べています。
 最先端技術を一切教えない理由、それは簡単です。そんなものは会社に入れば嫌でも取得することのできる技術であるということと、最先端技術はすぐに陳腐化してしまうからです。どんなに優れた先端技術でも、いや、先端技術であればあるほど、すぐに陳腐化してしまうというのです。最先端の技術ほど、陳腐化が早いというのです。これら名門大学では、そのような技術を教えても何の役にも立たないことを十分に知っていたのです。
 しかし、これまで日本の産業界が大学に対して要求してきたのは、「即戦力になる技術者」でした。「大卒は役に立たない」という理由で、「最先端の技術を習得し、即戦力になる技術者を養成してほしい」、と要望してきたのです。小泉改革は、財政改革のほかに、ある意味、これら産業界の要望に応える施策でもあったのです。
 

文科省は基礎研究の良否を判断すべきでない

 しかし、このような産業界の要望に応えるという形での国立大学改革は、長期的視点から見れば明らかに誤りであったと言わざるを得ません。現在、ノーベル賞が量産されているのは、過去の遺産を食い潰しているに過ぎないのです。これまでノーベル賞を獲得した人たちの研究は20年前、30年前、場合によっては40年も前に行われた研究の成果が、現在になって見直され、評価されているに過ぎないからです。

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 そう考えれば、現在の独立行政法人のもとで行われている近視眼的な「結果の見える研究」によって、将来、30年後、40年後にどのような結果がもたらされるのかは明らかでしょう。ノーベル賞受賞者が共通して懸念しているのは、まさにそのことなのです。
 今からでも遅くはありません。科学の基礎研究費を大幅に増額することを検討すべきです。そして研究費の使途についても、文科省の役人的発想で差配すべきではありません。なぜならば、これまで役人的発想で「これからの成長産業」などと判定した分野で成功した事例などないからです。高級役人のDNAには、自分は優秀という刷り込みがあるのでしょうが、それは、たかだか「過去問に強い、やさしい問題から解く、難しい問題はなるべく手をつけない」という受験勉強特有の勝者のDNAに過ぎないのです。このようなDNAからは、「未来を先取りする」「困難な研究に取り組む」「多分無駄だろうが研究してみたい」などという発想はどこからも出てきません。
 文科省は来年度から、発想が斬新で挑戦的な基礎研究に対する支援を強化するとの方針のもと、科研費制度の一部を見直し、助成額を最大500万円から2,000万円に拡充するとのことです。
 研究テーマについて、「発想が斬新」で「挑戦的な基礎研究」を、またまた受験巧者に過ぎない役人が決めようというこの役人の石頭、何とかならないものでしょうか。

基礎研究費は国債発行で賄うべき

 科学の基礎研究が日本の将来を支えるものだとするならば、それに要する費用は何としてでも確保する必要があります。その費用はどこから出すか。国債発行で賄うべきです。
 今、日本の国債は売れに売れています。マイナス金利だというのに、それでも国債は売れているのです。新発10年物国債の利回りは、マイナス0.265%と過去最低を更新しています。つまり、国債を発行しても、金利を払う必要がないのです。それどころか、マイナス金利ですから、元本以下のお金を返済すればいいのです。
 このような状況であるならば、国債を発行して日本の科学技術の発展に活用すべき、と考えるのは当然です。問題は、基礎的な科学技術研究費に充てるために、国債を発行することが認められるか、ということになります。
 国債の発行に関する法的な制約は、財政法に規定があります。財政法第4条に、次のような定めがあります。

財政法第4条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。

 この規定を拠り所にして、国債を発行できるようになれば、潤沢な基礎研究費が確保できるということになります。
 そこで、この規定の中にある「公共事業費」に着目する必要があります。なぜ公共事業費は国債発行の対象になっているのでしょうか。それは、公共事業費は、「消費的支出ではなく、国の資産を形成するものであり、通常、その資産からの受益も長期にわたるので、その元利償還を通じて後世代にも相応の負担を求めることを許している」という前提に立っています。
 この「 」の部分をじっくり読み返してみましょう。これは、公共事業だけでなく、教育や科学の基礎研究にもそのまま当てはまるではありませんか。なぜならば、教育も基礎研究も、単なる消費的支出ではありませんし、結果が生じるまでの期間が長期にわたります。しかし、教育や基礎研究によって将来、必ず、国民生活の向上に貢献することは間違いありません。教育の場合は、高等教育を受けることにより、将来の所得増、失業の減少などをもたらし、生活保護費の軽減など、経済活動にも大いに貢献します。科学の基礎研究も、社会の各層に技術革新をもたらし、高度な技術の普及により、強い経済の基礎を作ることに貢献します。

財政法の解釈でも可能

 そこで、この財政法第4条の解釈はどうなっているのか、いろいろ調べてみました。
 因みに、こういう法律の解釈は、通常、法律を所管する役所が「○○法逐条解説」という本を発行する形で有権解釈をするのが常です。そして、こういう本の著者は、「○○法研究会」といった名称を使って発行するのが一般的でした。ところが、ある年、研究会の名称は個人の所得税を回避するための脱税行為である、というような指摘がなされ、今は、個人の名前で発行されるようになっています。
 そういう観点から、いろいろと検索していたら、財務省OBの高橋洋一(嘉悦大学教授)氏の文章にたどり着きました。同氏は、小村武元大蔵事務次官の「予算と財政法」という本を所持しているそうですが、その中に、次のような記述があるとのことです。

すなわち、出資金が投融資の原資や有形固定資産の取得に充てられる場合にはその資産性が明白であり、他方、研究開発費に充てられるような場合においても、技術の進歩等を通じて後世代がその利益を享受でき、その意味で無形の資産と観念しうるものについては、後世代に相応の負担を求めるという観点から公債対象経費とすることに妥当性があるものと考えられる

 正にその通りです。研究開発費は、「技術の進歩を通じて後世代がその利益を享受する無形の資産」そのものなのです。もちろん教育も、後世代が利益を享受する無形の資産です。
 今からでも遅くはありません。国債を活用して、研究開発費と教育に大いに投資しようではありませんか。国のバランスシートに、国債発行分相当額を「研究開発資産」として計上すればよいのです。国の財政を壊さず、潤沢な教育投資、研究開発をすることができる、それだけでも明るい未来が開けるではありませんか。(H26・10・23記)
 

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