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作曲家船村徹の死は悲しい

作曲家船村徹の死は悲しい

昭和がまた一つ消えてしまいました

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 昭和の巨星がまた一つ消えてしまいました。作曲家船村徹氏の死去です。最近、氏の顔を見ないな~と思っていました。昨年5月に心臓の手術を受けた後、自宅で静養していたんですね。作曲活動は続けていたようです。
 亡くなる前日の2月15日は、風邪気味だったものの元気で好物のカレーうどんを平らげたそうです。16日午前に家人が様子を見に行ったところ、ベッドの端に伏せっていたとのことです。苦しんだ様子がなかったことだけでも、慶賀とすべきでしょうか。人間は、すべての人が死を迎えます。たった一つの例外もありません。そうである以上、船村先生のように、前日までカレーうどんを平らげられるような、日常を送りたいものです。歌を通じて世の中の人に、安らぎと郷愁を与えたからこそ、このような安らかな死を迎えられたのかもしれません。
 奥様の言葉によれば、「旦那様としては最低。わがままです。でも、作曲家としては最高。尊敬していました。」(読売新聞)とのこと。私的なことは分かりませんが、仕事人間だったんでしょうか。多くので内弟子と寝食を共にし、歌の道を追求した人でしたから、家族にとっては迷惑この上ないオヤジだったのかもしれません。歌手の卵が同居しているんですから、家族にとっては、わがままで最低の旦那様だったかもしれませんね。

小学校時代から

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 でも、作曲家としての船村徹氏は最高でした。「別れの一本杉」が出世作だそうです。春日八郎が歌っていました。春日八郎は、NHKのど自慢で全国優勝を遂げた歌手です。白黒テレビの出始めの頃で、私もこののど自慢はよく見ていました。「泣けた、泣けた~」なんて歌い始めたら、それだけで「カ~ン!」と鐘ひとつだけ、なんて時代でした。血も涙もない、実力の時代でした。今は「皆様のNHK」なんていって、高齢者でも一番全部を歌わせてくれますが、その当時は、そういう情けは一切ありませんでした。
 その実力だけの時代に、合格者だけを選りすぐって行ったのが全国大会です。春日八郎がその全国大会で優勝した時の場面も、よく覚えています。高音の歌声に伸びがあり、さすが日本一の歌手という堂々たる歌い方でした。
 でも、私にとっての船村作品は、別れの一本杉よりも、島倉千代子の「東京だョおっ母さん」の方がより鮮明に記憶に残っています。
 田舎から出てきた母親の手を引く娘が、最初に皇居に行き、靖国神社に回って、「ここは戦死したお兄さんが眠っているところよ」、というような歌です。歌詞の内容にも心を打たれましたが、それを歌う島倉千代子の歌唱力もまた素晴らしかった。

▶▶ここで彼女の歌を聴いてください→東京だョおっ母さん

 私が中学2年の時だったと思います。クラスメートの相馬正男君が、先生の勧めで、この「東京だョおっ母さん」を大きな声で歌ったことがあります。彼は歌謡曲が得意だったんです。教室の中で歌った彼の声が、今でも耳の中でこだましています。この歌を聴くと、「今頃、彼はどうしているかな~」なんて思ってしまうんです。船村徹の歌にはそういう心にしみる歌が多いですね。

故郷の匂いが溢れる

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 船村作品には、すべて「ふるさとの匂い」が染み付いているような気がします。音楽文化研究家の長田暁二氏は「船村さんの曲には、古里を大切にする気持ちが常にテーマとしてあった。誰もが持つ郷愁の思いを込めた曲が、多くの日本人に長い間愛されてきた」と述べていますが、本当にその通りだと思います。
 「東京だョおっ母さん」はもちろんですが、村田英雄の歌った「王将」、北島三郎の「風雪流れ旅」、鳥羽一郎の「兄弟船」、細川たかしの「矢切の渡し」など、どの歌にもふるさとへの郷愁・哀愁が込められています。
 ここで船村先生を偲んで、北島三郎の風雪流れ旅と鳥羽一郎の兄弟船を、是非お聞きください。

▶▶北島三郎→風雪流れ旅
▶▶鳥羽一郎→兄弟船

 敗戦後の混乱の中、作詞家の高野公男さんとコンビを組み、別れの一本杉などのヒット作品を生み出したわけですが、その高野さんが26歳という若さで亡くなってしまいました。高野さんが、日頃、船村さんに言っていたのは「汗水流して働いている人の慰めになる歌を作りたい」という言葉だったそうです。
 確かに、船村作品には、その中心にその気持ちが込められているような気がします。特に、船村さんが話す言葉、あれ大好きです。「栃木弁」です。私も栃木生まれで、栃木弁が今でも直りません。「そだんべ」「行くべ」のべーべー言葉。とりもちと同じで、一度身についてしまうとなかなか取れません。長じて九州なんかに出張に行くと、「島田さんはどちらのご出身ですか?」なんてよく聞かれたものです。このどちらの出身かと聞かれるのが、とても嫌だったのを覚えています。栃木コンプレックスに罹っていたんですね。
 船村さんの話を聞いていると、その栃木の香りがして、より一層ふるさとを思い出してしまうんです。

演歌は世界の歌になりうる

 私は、常々、和食がそうであるように、「演歌も世界の歌になりうる」と思っています。よく「歌は国境を超える」と言われますが、演歌こそ日本を代表する歌であり、世界中に受け入れられる要素を沢山持っていると思います。

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 日本の歌謡曲で世界でヒットした歌といえば、坂本九の「上を向いて歩こう」が有名です。アメリカでは「すき焼きソング」なんて軽い名前でヒットしましたが、ど演歌と呼ばれる日本の歌謡曲も、必ずや世界の人々に受け入れられると思っています。
 千昌夫の「北国の春」なんて、中国でもかなりヒットしているそうです。また、いしだあゆみの歌った「ブルー・ライト・ヨコハマ」という曲も、由紀さおりがアメリカで歌ったところ、 「驚くほど すばらしかったです」「 なんて美しい歌声なんでしょう」 「英語より日本語の方がいい」と絶賛されたそうです。
 私は、船村演歌も、世界中から受け入れられると信じています。今は、それを紹介する場がないだけなのです。サブちゃんは、「世界のサブちゃん」になりうるんです。
 船村徹さんの、ご冥福を心からお祈り致します。長い間、私たちに夢と希望と郷愁を与えて下さいました。本当にお疲れ様でした。船村さんの告別式は2月23日午前11時、東京都文京区大塚5-40-1護国寺だそうです。私は、先約があり、どうしても行けないんですが、お近くの方は是非おいでください。
 最後に、船村徹氏本人の歌で、故人を偲んで頂きましょう。(H29・2・21記)

▶▶▶船村徹が歌う「別れの一歩杉」
▶▶▶船村徹が歌う「みだれ髪」
▶▶▶船村徹が歌う「風雪流れ旅」

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