時事寸評 書評コーナー

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自動運転の最大の障害は官僚組織です

自動運転の最大の障害は官僚組織です

基準案の骨子とは

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 警察庁は、2017年4月13日、遠隔操作の自動運転車を公道で実証実験する際の「基準案」なるものを公表しました。私は、もうとっくに実験用の試験車で、日本国内の公道をバンバン走っているのではないか、なんて思っていました。なぜなら、あのGoogle社が開発した試験車ですら、すでに3、4年前から公道を走っていることを、映像で知っていたからです。
 一方、昨年、千葉県八千代市で、日産自動車製の試乗車が走行中、ブレーキが作動せず、前方車両に追突し、2名が負傷する事故があったなんてニュースも知っていました。ところが、実際には、日本メーカーの自動運転車は日本国内では走っていなかったんですね。
 新聞報道などによれば、この基準案には、次のようなことが定められている、とのことです。

遠隔操作自動車の公道実験基準案
①走行中に通信環境が途絶しない場所であること、②一般の道路利用者に著しい支障を及ぼさないこと、③車両の前方や周囲を音や映像で確認できること、④通信の遅延があることや遠隔では周囲の状況を必ずしも把握しきれないことを踏まえた安全対策をとっていること、⑤緊急時に必要な操作ができる状態を維持すること、⑥あらかじめ実験施設などで安全に自動運転できると確認していること、⑦事前に警察による走行審査を受けること、⑧地域住民への説明と同意を求めること、⑨実証実験可能な許可期間は最大で6か月とすること

 これらの規制内容を読んで、一番驚いたのは、⑧です。自動運転をするためには、役所の許可だけでなく、地域住民に説明し、しかも同意までとれというのです。まるでマンションを建設する際に、地元住民の同意をとれというのと同じではありませんか。

基準案の原文が見当たらない

 本当にこんな規制内容なのか、原文に当たってみようとしました。ところが、警察庁のホームページをいくら探しても、この基準案なるものの原文が見つからないのです。

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 しかし、新聞各紙は、この基準案なるものを記事にしていますから、どこからか原文をもらった筈です。なぜ、新聞各紙が伝えているのに、原文が見つからないのでしょうか。
 これは、記者クラブ制度にその原因があるのかもしれません。大手新聞社は、役所の中にある記者クラブで、記者発表用の資料を入手します。いわば役所側が作成した要約文書です。「この内容で公表してください」というわけです。
 役所は、原文のほかに、記者が新聞記事にしやすいように、簡潔にまとめた要約版を記者クラブのボックスに配布するんです。
 でも、こういう場合でも、生データ、つまり原典は役所のホームページに掲載するのが普通です。今、その原文が見つからない、というわけです。原文にどのように書いてあるのか、分からないままに批判するのは本意ではありません。ということで、ここでは、原文を確認することがないまま、マスコミが報じた内容を前提として、意見を述べることにします。

住民説明と同意を求めさせるのはおかしい

 そもそも公道で自動運転の実験をするのに、「住民説明をし同意をとる」というのはどういう発想に基づくのでしょうか。マンション建設などの場合は、反対住民の苦情が直接許可行政庁に来ないようにするためです。要するに、許可権限は温存したいが、苦情はかなわん、という役所のご都合主義です。本来なら、許可権限を持っているところが苦情も受ける、というのが筋というものです。

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 東京のような大都市を想定した場合、どこからどこまでが地域住民になるのでしょうか、どれほどの住民を集めて説明をするのでしょうか。また、そういう大勢の人達から同意なんて取れるのでしょうか。それとも、この実証実験というのは、キツネやタヌキの住んでいる限界集落のような場所だけを想定しているのでしょうか。そういう場所でなければ、説明会だの住民同意なんて取れるはずがないからです。
 そうだとするならば、この基準案は余りにも馬鹿々々しい話です。この記事を書いた大マスコミの記者たちは、これを記事にする際、馬鹿々々しい、ふざけてると思わなかったのでしょうか。
 そもそも公道において自動運転の実証実験をするということは、さまざまな道路環境、混雑状況においても、緊急対応できるということを、実証実験を積み重ねることによって、より安全で精度の高い車をつくる、ということを意味します。
 しかも、この段階に至るまでには、自動車メーカーは、既に自社の試験コースなどで実証実験を十分に行っている筈です。あとは、公道での実績を積み重ね、データの蓄積を図ることにこそ、意味があるのです。限界集落で、キツネやタヌキのいるような場所で実証実験をするだけでは、意味がないのです。それでは、会社の試験コースと何ら変わりがないではありませんか。

自動運転が普及した社会とは

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 そもそもこの自動運転車が走行するようになった未来社会とは、どのようなものなのでしょうか。車は運転手がいりませんから、職業ドライバーはほぼすべて失業します。でも、限界集落においては、老人たちは車さえあれば、どこにでも旅行や買い物に行けます。各家で車を持たなくとも、部落で一台保有し、共同運行するだけでも十分に実用可能になるでしょう。
 交通事故も、ほぼ完ぺきにゼロに近づきます。そのための自動運転だからです。時々事故も起きますが、それは、相手の車が自動運転ではないからです。自動運転社会になっても、自分で直接車を運転したいという人はなくならないと考えられるからです。
 このように自動運転が広く普及した社会においては、交通事故は極端に減少します。人間よりもコンピュータの方がはるかに精密・正確で安全だからです。高速道路を逆走するだの、ブレーキとアクセルを踏み間違いするなんていう事故もなくなります。この踏み間違いによる事故だけでも年間7,000件に達するそうです。高齢化社会においては、大きな福音になります。
 既に将棋の世界ではコンピュータの方が、人間よりも実力は上です。囲碁の世界でも、ほぼ互角、いや、世界チャンピオンをも負かす時代になってきました。自動運転も、データの蓄積さえできれば、人間よりもはるかに技量は勝ることになるはずです。

事故ゼロにはならない

 自動運転が実現した場合は、バラ色の世界のように書きました。でも、事故は絶対にゼロにはなりません。なぜなら、市中では、雑踏の中で歩きスマホをしている人もいます。自動運転によらず、自分で運転する人もいます。つまり、いくらこちらが高度なコンピュータで制御しても、相手がマニュアルですから、事故は起こりうるのです。

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 自走車を運転中、ドライバーが眠たくなり、自動運転車に突っ込んでくるような事例を考えてみます。当然、自動運転車は、回避行動をとります。右にハンドルを切れば、他の車に衝突する。左にハンドルを切れば、集団登校中の生徒の列に突っ込まざるを得ない。右に切れば、乗客の負傷は免れない。左に切れば、乗客の命は助かるが、生徒たちの命が奪われる。ぎりぎりの判断が求められた場合、自動運転車は、どのように判断をすればよいのか。
 こういう場合でも、コンピュータは既存のデータに基づき判断しなければなりません。しかも、どちらの判断をしても、事故は発生するのです。事故ゼロ、ということはあり得ないのです。限りなくゼロに近づくだけです。でも、すべての乗り物に共通ですが、事故ゼロということはあり得ません。新幹線は今のところ死亡事故はゼロですが、これは例外中の例外です。決まったレールの上を走るからです。擁壁を作り、人車の侵入を抑えることができるからです。でも、途中駅で停車中、買い物に降りた乗客が発車ベルに驚き、慌てて閉まりかけたドアに乗ろうとして、死亡したなんてこともありました。新幹線側に責任のある事故ではなかったため、死亡実績にはカウントされていないだけです。
 飛行機も、これまで多くの墜落事故を起こしましたが、飛行機全廃の声は上がっていません。車も、交通戦争と言われた時代、死亡者が毎年3万人を超えるような時代もありました。が、全廃運動は起こりませんでした。それを乗り越えてでも、車の利便性を優先した結果です。
 自動運転にだけ死亡事故ゼロを求めるのは、衡平ではありません。多少の事故は乗り越えて行ってこそ、文明は発展します。人間が運転するよりははるかに安全性が高まる、ということだけは断言できるのです。

最大の障害は警察と国交省です

 自動運転の車が普及した場合、既存の社会システムはどのように変るのでしょうか。

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 先ず、運転免許が不要になります。だって、車はコンピュータが運転してくれるんですから、そんなもの必要ないのは当たり前です。免許がいらないんですから、免許更新も必要ありません。運転免許が不要になれば、自動車教習所も不要になります。
 この結果は、何を意味するのでしょうか。警察や国土交通省関係の既得権が大幅に減少するということです。鉄道の改札員が不要になったのと同じです。天下り先だった自動車教習所や、交通違反者に教訓を垂れる講習所なんてものも、必要なくなります。
 そうか・・・、警察や国交省関係の既得権が大幅になくなる。よって、警察はこの自動運転について、なるべく認めない方向で「いちゃもん!」をつけて阻止しようとしているんだ。そのためにはなるべく、実証実験の要件を厳しくして、できれば自動運転社会なんて実現できないようにしたい。それが本音ならば、前述した「基準案」なんて、なるべく国民の目に触れないようにしておいた方がよい。何だか、実態が分かってきたような気がします。

時代の流れは止められない

 でもねえ、時代の流れって変えられないんですよね。今述べたように、パスもなどの普及によって、都会では改札員という職種はとっくに消滅しました。バスガールやエレベーターガールもいなくなりました。電話交換手やタイピストもいなくなりました。蒸気機関車に石炭をくべる人も、観光用の蒸気機関車を除き、いなくなりました。

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 これらは時代の流れなのです。多分、この延長線上には、バスやトラック、タクシーの運転手も入ってくると思います。多分、流しのタクシーもいなくなります。必要な時にスマホで連絡すれば、最短距離の無人タクシーが駆けつけるだけになるでしょう。タクシーに乗り込んだら、遠隔操作の応答、つまりコントロールセンターとの応答だけで、目的地まで安全に運んでくれるようになる筈です。料金精算もスマホやパスモなどで行うようになるでしょう。もちろん、タクシー強盗も廃業です。
 このように、時代の流れは、絶対に変えることはできないのです。なぜなら、日本だけが足踏みをして立ち止まっていても、外国は、自動運転に向けて技術向上に必死に努力するからです。
 例えば、中国では、「スマート・コネクテッドカー・モデルエリア」に指定された上海市嘉定区安亭鎮の上海国際汽車城では、このほど初めて「自動運転車試験エリア」の全体計画を発表しています。第1期は、面積5平方キロでスタートしますが、第二期には27平方キロに拡大するとのことです。2017年、つまり今年中に2,000台の自動運転車が、ここで試験運転を実施するのです。そして、2019年までに、1万台の車両が開放的環境で走行できるようにし、新エネ車と路上ワイヤレス充電システムを導入するというんです。
 自動運転の流れは、世界的な潮流であり、省力化の手段です。省力化は、1人当たりの生産性の向上に繋がりますから、、その流れは押し留めようがないのです。

日本は技術先進国をめざせ

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 このように、自動運転の流れは、止めようがないのです。それを必死で止めようとしているのが、既存の利権にどっぷりと浸かっている官僚組織です。これまでの利権構造が根本から崩れるからです。従って、役所は、「市民の安全を確保する必要がある」とか「たった一人の人命も失ってはならない」とか理屈をつけて、自動運転車の普及を遅らせようとするはずです。
 でも、ここで自動運転車の普及を遅らせれば、喜ぶのは、海外勢ということになります。中国など、自動車後進国にとっては、またとないチャンスになるからです。
 技術大国日本としては、既存の利権構造を打破し、この分野において、世界のトップランナーとなっていただきたいのです。
 これによって失業する人たちが、沢山出ることは十分に承知しています。でも、今、日本の社会は労働者不足です。財務省が全国の企業を対象に行った調査で、人手不足を感じている企業が全体の63.2%に達していると言います。会社の規模が小さくなるほど人手不足が深刻なのです。つまり、自動運転車の普及・進展により、過剰になった人手は、いくらでも吸収する余裕があるのです。
 世界の技術革新の潮流が変えられない以上、日本は、堂々と本流を歩み、世界の自動運転技術をリードする存在になって欲しいものです。(H29・4・27記)

  

 

 
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