時事寸評 書評コーナー

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戦争を憎むだけでは戦争を回避できない

戦争を憎むだけでは戦争を回避できない

NHKスペシャルで終戦特集を見ました

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 天下の公共放送NHKが終戦特集として、特番を組んだというので2本だけ付き合いで見ました。一本目は「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」、2本目は「戦慄の記録 インパール」です。両方の感想を述べると長くなってしまうので、「戦慄の記録 インパール」についてだけ述べます。この番組について、NHKが視聴者向けに広告したあらすじは次のようなものでした。

NHKスペシャル「戦慄の記録インパール」

相手の戦力や兵站を軽視した無謀な戦いで甚大な死傷者を出し、旧日本軍の体質を象徴的に示したとされる「インパール作戦」。「援蒋ルート」の遮断を主目的とし、ミャンマー(当時ビルマ)からイギリス軍の拠点があったインド北東部のインパールの攻略を目指した日本軍は、この作戦で歴史的敗北を喫した。餓死・戦病死した日本兵の死屍累々が並んだ道が「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な戦いの実態はどのようなものだったのか。これまでインドとミャンマーの国境地帯は戦後長く未踏の地だったが、今回、両政府との長年の交渉の末に現地取材が可能となった。さらに、新たに見つかった一次資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから「陸軍史上最悪」とされる作戦の全貌が浮かび上がってきた。数々のスクープ映像と新資料、証言からなる「インパール作戦」の全記録は、決して忘却してはならない悲劇の記憶を、未来へと継承していく。

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 この番組を見て、戦争に対峙した「日本軍の体質」とはどのようなものだったのか、ということについて、ある程度理解できました。軍人の心構え、軍の体質とは、一言で言えば、「合理性を欠いた精神論」が相当に幅を利かせていた、ということでしょう。戦後70年以上を経た今の時点で考えれば、「無謀」としか言いようのない作戦だったと言うことができます。が、それにも関わらず、当時はなぜそれが実行に移されたのか、撤退はなぜ遅れたのか、という点にスポットを当てたという意味で、NHKの調査能力に一応敬意を表しておきたいと思います。
 特に、当時、一兵卒として作戦に参加した生き残り兵たちの生の証言は貴重です。シッタン河の渡河作戦では50%の兵士が流され、下流には万を超える死体が流され、黒いハゲタカがその死体に群がったと言います。生き残った兵たちは、「極度の飢えから死んだ仲間の肉を分け合って食べた」といった証言までオンエアされていました。「自分も弱ったら食われるかもしれない」という恐怖の中での行軍では、戦闘能力はほぼゼロだったと言っても過言ではないでしょう。

▶▶▶戦慄の記録インパールは、→こちらから

精神論が優先した日本軍

 このように、少なくともインパール作戦においては、精神論が幅を利かせ、兵士を将棋の駒のように扱う組織であったことが窺われます。当時でも、敵と戦う以上、精神論だけでは勝てないことも十分に分かっていたはずです。軍需品や食料、医薬品など、「兵站」も十分に検討されていたはずです。

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 しかし、太平洋戦争において、戦況が悪化するに従い次第に日本軍は追い込まれていきます。ここインパールにおいても、物量に勝る英軍により、日本軍は追い込まれていきます。兵站の重要性を認識しながらも、目的のために無謀な作戦を強行せざるを得なかった、というのが現実だったのでしょう。
 軍というものの性質上、上官の命令は絶対です。部下の軍人たちは、しばしば現地司令官である牟田口廉也に対して、作戦強行をやめるべきだと進言しますが、聞き入れられません。彼は、逆に、進言した参謀長を配属1月半で左遷されるという強硬な手段をとったりしながらもこの作戦を実行していきます。
 この司令官は、難関の陸軍大学校を中尉になってすぐに合格しており、陸大を卒業してからは18年間、専ら参謀本部・陸軍省勤務であったようです。典型的な内勤の軍人官僚だったというわけです。このような経歴、すなわち学校秀才であったがゆえに、人の命の尊さや大局を見る視野が欠けていたのかもしれません。今の視点で見れば、彼だけでなく、軍全体が、あるべき組織論を描けていなかったのかもしれません。とは言いながら、これも今のような平和な時代だからこそ言える「お花畑論」なのかもしれません。

▶▶▶なぜ、負けた? ② インパール・コヒマの戦い

なぜ日本は開戦せざるを得なかったのか

 戦後、多くのマスコミ、いや多くの日本人は、「日本は無謀な戦争に突入した」と考えているようです。しかし、それは本当でしょうか。
 当時、日本の置かれた状況は、いわゆるABCD包囲網により、経済的に締めあげられ、更に、満州からの撤退を要求されるなど、到底日本が呑めない条件を突き付けられていました。最期には、それが呑めないなら石油などの資源を全面禁輸にするなど、あからさまな日本いじめがなされていたのです。

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 日本としては、ことここに至れば、戦争により打開する以外に道はない、というところまで追い込まれていたのです。戦後一貫して「軍が戦争を欲したのだ」、なんてことを言う人がいますが、それは嘘です。軍人は、直接自分たちの命がかかっているんです。戦争を回避することを模索するのは当然です。そのための努力は相当になされていました。
 むしろ、戦争へ駆り立てたのは当時のマスコミです。新聞各紙は、一戦を辞さずといった強硬な論陣を張ったのです。もちろん、朝日新聞や毎日新聞はその急先鋒でした。軍部の覚悟以上に、マスコミの方が積極的に軍部を煽ったのです。戦後マスコミは、GHQの報道管制などの締め付けもあり、180度方針を転換し、すべて軍部が悪かったかのように言いますが、とんでもない誤解です。
 この点については、多くの書籍や記録から知ることができます。政府批判にいとまのない評論家の田原総一郎氏でさえ、「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」という著述の中で、次のように述べています。
「マスコミの責任も大きい。世論をアジテートして軍部をイケイケドンドンにさせた。その理由は、戦争反対というと売れなくなるから。弾圧があって戦争反対と言えなかったというのはウソ。」

米国の責任こそ問われるべき

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 このことは、敵国の将軍、マッカーサーですら認めています。彼は、任務を終え自国に戻った後、アメリカの議会で、「日本は自ら戦争に突入したのではない。国の安全保障のために開戦せざるを得なかったのだ」と、次のように証言しているのです。

米国議会上下両議院におけるマッカーサーの証言 

 日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

   
 このように、日本の戦争は、占領軍の司令官すらも認めるように、戦争をせざるを得ないように追い込まれた末での開戦だったのです。そしてそれを煽ったのは、ほかならぬマスコミだったのです。
 更に言うなら、戦後行われた極東軍事裁判は、国際法的には全く根拠がありません。勝者による単なる「リンチ裁判」に過ぎなかったのです。勝者が敗者を裁くなどということは、当時から国際法上絶対に許されないことだったのです。公正に裁ける者がいるとするなら、戦争当時国以外の利害を持たない第三国でなければなりません。でも、今も昔も戦争犯罪を裁くシステムは、国際法にありません。
 戦争に関し、相手国を裁く権利があるというなら、日本にも裁判をする権利がなければなりません。日本がアメリカを裁くとするなら、真っ先に日本の各都市を絨毯爆撃し、非戦闘員たる一般市民を大量に殺戮したこと、広島・長崎に原爆を投下し、無辜の民を無差別に殺害したことが裁かれねばなりません。日本は、かの有名な真珠湾攻撃ですら、軍事施設だけを攻撃し、一般市民は一切攻撃の対象にはしませんでした。もちろん、東南アジア各国においても、一般市民を対象にした無益な殺傷などしていないのです。日本が戦ったのは、東南アジアを植民地として支配していたアメリカやイギリス、フランス、オランダといった国々だったのです。だからこそ、戦後、日本は東南アジア各国から感謝されているのです。

占領政策も批判されるべき

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 戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本国民を洗脳するため、日本にWGIP(War Guilt Information Program)を押しつけました。WGIPとは、GHQに対する批判、極東国際軍事裁判に対する批判、GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判、検閲制度への言及、アメリカ合衆国への批判、ロシアや中国、朝鮮人への批判等々30項目にわたる報道規制を行ったのです。GHQが憲法を起草したからこそ、その批判を封じました。検閲を実行したからこそ、その批判を封じたのです。国民の郵便物をすべて開封して検閲を行うなど、断じて許されるべきことではありませんが、米軍は、数万の職員を雇ってこれを組織的に行っていたのです。
 このような国際法上、全く許されないことが、昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって、日本が主権回復を果たした昭和27まで、7年の占領期間、行なわれていたのです。
 これらの一連の占領政策により、勝者である連合国側だけが正義で、日本側はすべて不正義で悪だった、という筋書きが国民各層に浸透したのです。

日本加害者論ですますテーマでない

 このように、先の大戦は、日本の立場からすれば追い込まれ、やむを得ず立ち上がった戦いであり、一方的に日本が悪かったわけではないのです。

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 しかも、東南アジアにおいて行った日本の戦いは、東南アジアを植民地化する戦いだったのではありません。解放するための戦いだったのです。その証拠に、日本は、東南アジアにおいて、どこの国とも戦っていません。戦った相手は、常にこれらの国を植民地としていた国だったのです。
NHKの番組の中でも、現地の人たちの証言がいくつも出てきます。その中で、1人として日本軍の悪口を言う人はいませんでした。日本兵が現地人から食料を奪ったとか、婦女子を強姦したとか、村を焼き払ったとか、そういった発言は一切ありませんでした。それどころか、日本兵から習ったという日本の歌を口ずさんで見せる現地人さえいました。これは、大東亜共栄圏として高い理想を掲げる一方、兵士は天皇の兵・皇軍として規律を守って行動していたからです。
 大東亜共栄圏構想というのは、日本が指導者となって欧米勢力をアジアから排除し,日本,中国,満州を中軸とし,フランス領インドシナ(仏印),タイ,マレー,ボルネオ,オランダ領東インド(蘭印),ビルマ(ミャンマー),オーストラリア,ニュージーランド,インドを含む広範な地域と手をとりあい、政治的・経済的な共存共栄を図ろうというものです。
 NHKスペシャルは、「戦争とは悲惨なものだ」、「無謀な戦争だった」という視点から映像を構成しているように思えます。しかし、以上に述べたように、日本は自ら望んで戦争を始めたものではなく、むしろ、戦争をせざるを得ない状況に追い込まれた結果である、という視点が欠けていると思います。そしてそれを後ろからアジって後押ししたのは、ほかならぬマスコミ自身である、という視点も見逃すことができないのです。

戦争は憎むだけでは回避できない

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 戦争というものは悲惨なものです。ひとたび戦端が開かれれば、食うか食われるかです。敵を殺さなければ自分が殺されるのです。ですから、最前線において、兵士が一種の狂乱状態になるのは当然です。人間を狂わせる戦争は、二度と起こさせないようにする必要があります。
 ならば二度と起こさせないようにするには、どうすればよいのか。それは、NHKスペシャルで取り上げたように、戦争を憎むということだけで解決できる問題ではありません。平和憲法を神棚に祭り、毎日、お祈りしているだけでは実現できないのです。
 日本がいくら「諸国民の公正と信義に信頼」しようと、当の諸国民である中国や北朝鮮はそれを許しません。自由と民主主義国を標榜するとされる韓国でさえ、批判の対象はかの中国でなく日本なのです。
 中国は、理不尽に尖閣諸島に押し寄せ、領海侵犯を繰り返しています。北朝鮮もミサイルと核兵器の開発と性能向上に余念がありません。日本国民を拉致したことを国家主席が認めておきながら、依然として拉致被害者を返そうとはしません。ロシアだって、日本の敗戦後に突如、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本領土に侵攻してきました。北方領土(4島)は、日本の武装解除後に奪われたものです。しかも、そのロシアは、国後、択捉の両島に今ミサイル基地を建設しつつあります。韓国の占有する竹島も、戦後、日本が占領されている状況下、つまり戦闘能力がなくなった時点で、時の李承晩大統領により一方的に韓国に奪われたものです。
 このように、日本の周辺国は、すべて鵜の目鷹の目で、日本への野心を持っている国ばかりなのです。単に、戦争は憎むべきもの、忌避すべきものと言っているだけでは何の解決にもならないのです。
 NHKには、現実の厳しさを認識し、戦争から何を学び、今後、どのようにすれば私たちの子孫を守ることができるのか、という視点からこのテーマに取り組んでほしかったと思います。それが視聴料を強制的に徴取している国営放送の役割というものではないでしょうか。(H29・8・18記)


▶▶▶日本とアジアの大東亜戦争
▶▶▶韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ!日本は植民地解放のヒーローだ!
▶▶▶大東亜戦争太平洋戦争の真実


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