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女性議員増員法案に違和感を覚えます

女性議員増員法案に違和感を覚えます

国会に提出予定

 国会や地方議会で女性議員を増やすよう政党に求める「政治分野の男女共同参画推進法案」(以下、「女性議員増員法」といいます。)が、1月20日召集予定の通常国会に提出されるそうです。
 このニュースを聞いたとき、違和感を感じました。「国会議員数を男女同数にもっていく」ため、法律で規制すべきものなのかと思ったからです。よく見ると、国会に求めているのではなく、政党に求めているものだと知り、少し得心しました。
 でも、政党に求めているものだとしても、政党がこれを守らなければ、「○○党は、女性を差別している」とか言って、政府与党は予算委員会などでとっちめられることになるでしょう。やむなく、与野党ともに、同数の立候補ということになるかもしれません。なぜなら有権者の半数は女性、いや、女性の方が長生きですから、有権者の数は多い。その女性から、「差別だ!」と言われると、選挙に不利だからです。
 結局、直接、強制していることではないとしても、選挙に不利になるからやむなく同数の候補者を出す、ということにならざるを得ないとすれば、間接的に男女同数を強制していることと同じなのではないでしょうか。

法律で規制すべきことなのか

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 確かに、女性議員の数が少ないことは確かです。今は女性議員の数は2割にも達していません。昨年10月の衆院選の候補者に占める女性候補の割合は17・7%と国際比較でも低迷し、女性の政治参加が遅れているとの指摘もなされています。フェミニストを自称する私としても、もっともっと増えてもよいと思います。いや、増えるべきです。
 でも、それを実現するために、法律を作って政党にこれを実行させるというのはいかがなものでしょうか。
 そもそも、現行法の枠内で、女性は差別されているのでしょうか。憲法14条で、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定めています。この憲法に反し、女性が差別されている、という実情が今の日本にあるのでしょうか。
 また、被選挙権についても、44条で「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。」と定めています。これら憲法の規定に基づき、公職選挙法で具体的に議員となるべき資格(被選挙権)や選挙人の資格を定めていますが、そこでも性別によって差別をするような規定は全くありません。女性はいくらでも立候補できるのです。つまり、法制度上、女性に関する差別は一切ないのです。
 

事実たる議員数の差は差別なのか

 このように、法制度上、一切差別のない中で、女性議員増員法によって、「男女数同一にしろ」と定めるとすれば、それこそが憲法違反です。平等というのは、男女が「自由な意思」によって立候補し、選挙活動をし、当選することだからです。

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 各政党が、立候補者を選定するのは、各政党の自由です。政党には主義主張がありますから、女性の方が有利だと思えば、女性候補を多くするでしょうし、そうでなければそのような配慮はしない。それだけのことです。女性候補の一番多い政党は、共産党と立憲民主党で女性候補の比率がいずれも24%です。共産党も立憲民主党も左翼政党で共通するところがあります。女性候補が多い方が選挙戦を有利に戦えるとの思惑があったものと思います。それも選挙戦略です。
 このように、法的には何ら女性に関する差別はないのです。では、女性議員増員法はどのような立法形式になっているのでしょうか。実際の法案の条文を見てみましょう。女性議員増員法案の第2条は、次のように定めています。

政治分野における男女共同参画の推進に関する法律案
第2条 政治分野における男女共同参画の推進は、衆議院議員、参議院議員及び地方公共団体の議会の議員の選挙において、政党その他の政治団体の候補者の選定の自由、候補者の立候補の自由その他の政治活動の自由を確保しつつ、男女の候補者ができる限り同数となることを目指して行われなければならない。

 国会議員だけでなく、地方議会の議員、政治団体についてまで、男女同数を目指している、ということです。
 規定上は、一応、努力規定ということになっています。が、候補者の数で「同数を目指さ」なければならないとすると、各政党にとっては、極めて厳しい選考を強いられることになるでしょう。なぜなら、政党である以上、選挙は勝たなければなりません。必勝こそが政党の目標なのです。勝つためには、当選できる可能性の高い候補者を選定します。
 選挙に強い人は、選挙の三要素、すなわち「地盤」「看板」「カバン」のある人ということになります。地元に根強い地盤のある候補、名前が知れている人物であること、多くの選挙資金をもっている候補者であること、です。当選を狙う以上、やむを得ない選択です。
 これらの選挙三要素を無視して、立候補者を決めるなら、敗戦を覚悟しなければなりません。要するに、この女性議員増員法案は、これらの選挙三要素を無視し、負けてもいいから男女同数の候補を立てろ、ということを求めている、ということなのです。

法律で縛ることなのか

 繰り返しますが、私は、決して女性議員が増えることに反対しているわけではありません。外国でも、イギリスのサッチャー首相やドイツのメルケル首相のように、識見が高く政治手腕に優れた政治家も少なくありません。

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 他方、苦言を呈しますが、女性議員、特に日本の国会では、「なんだかな~」と首をひねるような議員も少なくないのも事実です。二重国籍であることを隠しのらりくらり言い逃れし、民進党の党首であったのに仲間を見捨てて立憲民主党入りをした蓮舫議員。反日コテコテの福島瑞穂、辻本清美議員。民進党の幹事長に指名された日に愛人とワインで祝杯を挙げ、あげくその人物を政策秘書にした山尾志桜里議員など見ていると、こんな連中に日本の国を託したいとは思いません。
 また、折角大臣になったというのに、「私の指輪が亡くなったと騒いで大臣室にとじ籠った田中真紀子元外務大臣、国家公安委員長という閣僚ポストにありながら、韓国に行き慰安婦像の前で堂々と反日演説を行った岡崎トミ子議員。更には、何の問題もないのに築地市場の移転時期を大幅に遅らせ、その上都知事でありながら国政選挙における政党を立ち上げ党首となり、分悪しとみれば早々に撤退した小池百合子都知事。彼女は、都知事の前は国会議員であり、防衛大臣を務め、事務次官交替をめぐり揉め、喧嘩両成敗で僅か3か月で防衛大臣を辞任しました。
 そのほか、「このハゲ~!」発言で有名になり落選した豊田真由子元議員。防衛大臣という要職を務めあげることができなかった稲田朋美議員等々、女性議員が素晴らしい活躍をしたという印象が私にはないのです。もちろん、男の議員にもろくでもないのは沢山います。むしろ、男性議員数が多い分、数の上ではろくでもない男性議員の方が多いのは間違いありません。

優秀な女性議員もいる

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 つい数日前、こんな立派な女性議員がいるんだ、と気づいた人がいます。参議院の有村治子議員です。Youtubeのさくらチャンネルで見つけました。
 話の内容はもちろんですが、押し出し、説得力など、多面的に見て、非常に優秀な政治家だと思います。一個人としても、立派な考えを持っています。皇室典範特例法を作る時、女性宮家創設に関する付帯決議に与野党すべてが賛成していたにもかかわらず、彼女は党議拘束に反し唯一人反対したという信念の持ち主です。こういうすばらしい女性が議員として登場するなら私は大歓迎です。
 また、ウズベキスタンで拉致された日本人人質事件を解決した中山恭子議員や、高市早苗前総務大臣。拉致問題の解決に向け献身した山谷えりこ議員など、立派な女性議員もいます。
 しかし、総体的に見て、今ここで女性議員を半数にしろ、といわれても、私には抵抗感があります。この人はすばらしいという女性議員をあまり多く見ていないからです。
 脳天に響くような金切り声で、総理を追求するようなテレビ受けするパフォーマンス議員を、余りにも多く見すぎたせいかもしれません。

有村治子議員出演:【新春女性討論】平成30年・これからの女性像

男はうるさく言わない

 そもそも今の社会、本当に男優位社会と言えるのでしょうか。私の実感からすれば、女性の方が生きやすいのではないかとさえ思います。例えば、家庭の中で家計を握っているのは、大体主婦のはずです。国の場合でも財布を握っているのは財務省、ここが一番えばっています。3万円亭主どころか、ワンコイン亭主といって、毎日500円を握りしめて会社に行く旦那も多いと聞きます。女性は働きに行く自由と家で家事をする選択ができますが、男は家で専業主夫になるという自由は、ほぼありません。私も現職の頃、片道1時間半の満員通勤電車で揺られ、職場でストレスが溜まり、夜遅くまで残業をするこんな生活より、専業主婦の方がいいなあ~なんて羨んだこともありました。お互いに「隣の家の花」はきれいに見えるのです。
 男女機会均等法の施行により、「総合職」として、一時期女性の幹部職員がもてはやされました。しかし、「総合職」は男性と一部の優秀な女性、「一般職」は女性という、新しい「差別」を作っただけ、とか、総合職女性が男性社会で孤立したり、一般職女性と総合職女性がうまくいかなかったりという構造も生み出した、なんていうことも言われました。「草食男子」の名付け親である深澤真紀氏は、「にほんの女は100年経っても面白い」という著書の中で「私の周囲では、総合職に採用されて今でもその会社で働いている女性は、非常に少ない。多くは結婚や出産で退職するか、がんばりすぎて燃え尽きてしまうという結果になっている。」と述べています。

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 このように、余り急激に変えようとすると、思わぬところに歪が生じてしまうものです。
 今の時代、外に出れば、レディースセットだの女性限定の割引だの数多ありますが、男限定の割引などお目にかかったこともありません。ホテルに泊まれば、女性用の可愛らしい寝巻が用意されていたり、女性限定のサービスメニューがあったりします。風呂でさえ、女湯の方が大きいのが普通になりました。
 その他、巷には女性優遇のさまざまなサービスメニューが溢れています。家庭での財布のひもを握り、美味しいランチセットでお昼のおしゃべりを楽しみ、さまざまな女性サービスに溢れた今の社会で、議員数も同数でなければ男女平等じゃない、というのでしょうか。
 何でも平等じゃなければいけないというなら、女流本因坊など「女流」と名の付くタイトルは女性優遇の逆差別だということになります。大学でも女性の方が真面目にコツコツ勉強しますから、最近は、女子学生の方が多いなんていう大学の学部はざらにあります。こういうところも男女同数にしなければ差別なのでしょうか。男だけで仕切る歌舞伎も差別なのでしょうか。女性が男の振りをする、女性だけの宝塚も差別なのでしょうか。
 男は黙ってサッポロビールじゃありませんが、言いたいことはいろいろあるんです。でも、言いません。そんな些細な事、言うのは沽券に係わるからです。
 

正々堂々と実力で勝負を

 昔から言われるように、男は「口では」女性にかないません。そのように生まれついているのです。ですから今回の女性議員増員法案も、多分、国会通過となるのでしょう。また、そのようにならないと、予算委員会などで政府の責任を追及する、ということになるでしょう。

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 しかし、事の本質を考えて下さい。国会とは何をするところなのでしょうか。何よりも優先して、「国民の生命・財産を守ること」、この一点に尽きます。国民の生命や財産が、外国勢力によって損なわれるなら、いくら医療や福祉、教育が充実していても意味がありません。公共事業も農業も林業も水産業も意味がありません。国の安全こそが最重要課題なのです。ならば、今の国会議員に、その原点を踏まえている人がどれほどいるのでしょうか。
 国民の生命財産を守るためには、それぞれの議員の国家観、国防観そして世界を見通す大局観、それに真剣に国の防衛問題を考え研究しようとする意欲が必要です。国のために身を捧げるという覚悟も必要です。国民は、税金で国会議員に1人当たり1億円以上を払うんです。その国会議員が「ソーリ、ソーリ!!」と絶叫し、マスコミ受けだけを狙うような信念のないパフォーマンス議員だったら、何の意味もありません。お金をどぶに捨てたのと同じです。いや、その金を使って反日活動までされたのでは、それこそ国民は泣き面に蜂というものです。
 残念ながら、私は、今日まで、国会の審議を見ていて、真剣な国防論議がなされている場面を見たことがありません。「どうしたら国を守れるのか」という視点ではなく、常に総理や大臣の揚げ足取り、ささいな言葉尻を捉え、大仰にする非難ばかりです。モリカケ問題などはその典型です。北朝鮮のミサイルが飛んでくるかもしれないという大事な時期に、国会では連日、森友学園問題ばかりでした。余りに馬鹿々々しくてコメントする気力さえ失せてしまいます。
 このように、野党の議員から、真の意味での国防論議が提起されている姿など見たことがありません。そういう状況の中で、女性議員数を同じにしろ、と言われても、「ちょっと待って下さい」と言わざるを得ないのです。(H30・1・11記)

 
 
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