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西日本豪雨災害にみる治水行政の遅れ

西日本豪雨災害にみる治水行政の遅れ

未曽有の豪雨災害

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 7月5日以降、西日本を襲った豪雨により、死者200人を超す甚大な災害になってしまいました。なぜこれほどの大きな災害になってしまったのか、また、このような大雨による被害を最小限に抑えることはできなかったのか、少し考えてみたいと思います。
 先ず、今回の災害のもとになった雨量です。これはどれほどのものだったのでしょうか。気象庁が公表したデータによれば、西日本に停滞した梅雨前線や台風7号による大雨で、高知、徳島、岐阜、長野の4県15地点で総雨量が1000ミリを超えたということです。全国で最も雨が降ったのは高知県本山町で、1695.5ミリで、7月の平年値の約4.5倍の雨が短期間で降ったというのです。
 その直接の原因は、オホーツク海高気圧と太平洋高気圧に挟まれ、梅雨前線が停滞していた。そこへ南から凄い量の水蒸気が流入し、この豪雨をもたらした、ということです。これほどの量が一気に降れば、どれほど事前の準備をしても、ある程度の被害が出ることは避けられなかったでしょう。今回の豪雨では、個人や法人の所得も含めた被害総額は、1兆円を上回るとの試算もあります。

日本国土の脆弱性

 日本の国土は、3分の2以上が山地です。衛星写真などを見れば分かるように、その山地には、爪でひっかいたような峡谷が、幾重にも連っています。その多くは、嘗て、土砂崩れを起こした痕跡と言ってもよいものです。そういった急峻な谷あいの裾野に家を建て、生活をしている人にとっては、不安は少なくないはずです。失礼な表現ですが、私はいつも「本当に強心臓な人たちだな~」と感心してしまうのです。

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 もっとも、平地に暮らしていても、必ずしも平穏とは限りません。私の住んでいる埼玉県幸手市は、埼玉県の北東部に位置し、関東平野全体から見れば、ほぼ中央部に位置するところにあります。周辺を見渡せば、山はなく、ほぼ平地が続く、のどかな田園地帯と言ってもよいでしょう。
 しかし、この地域も嘗て、1947年、昭和22年に発生したカスリーン台風(注:台風○号という呼称になっていないのは、当時、日本はアメリカの占領下にあり、アメリカ式の命名に従ったからです。従ったというより、命名権すらもなかったということです。)によって、全域が水没したのです。近くの利根川が決壊したほか、渡良瀬川、荒川も決壊し、関東平野の多くが水没したのです。駅前の電柱には、見上げるような位置にラインが表示され、「水位がここまで達した」との文言が添えられています。
 その時は東京も例外ではなく、東京東部の葛飾区、足立区、江戸川区など低地域も水没しました。このカスリーン台風による死者は1,100人、負傷者は2,420人にのぼりました。特に上流域の被害が大きく、群馬県の赤城山麓や栃木県の足利市においては土石流や河川の氾濫が多発し、群馬県で592人、栃木県で352人の死者が出ています。1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では、台風災害としては明治以降最多の、死者・行方不明者数5,098人に及ぶ被害が生じました。
 歴史を遡れば、日本の各地で、このような洪水被害の例は枚挙にいとまがないのです。私たちは、日本という国土の脆弱性について、きちんと理解しておくことが重要なのです。

本当に天災なのか

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 今回の豪雨災害もそうですが、災害の直後は、このような災害はどうしたら防げるのか、どう避難すればよいのか、といった防災意識が高まりますが、暫くすると忘れてしまいます。その繰り返しと言ってもよいでしょう。
 私たちは、このような脆弱な国土の上に住んでいる以上、真剣に防災対策を検討し着実に実行していくことが必要です。なぜなら、近年、雨の降り方が変わってきている、と考えざるを得ないからです。データによれば、1時間に80ミリ以上の豪雨の降る回数は、30年前に比べて1.7倍に増えているとされています。
 土木学会の試算によれば、仮に、このような豪雨により荒川の堤防が決壊した場合には、62兆円の被害が出るとのことです。荒川一本の決壊により、国家予算をも上回る被害が生じるというのです。今回の西日本豪雨でも分かりますが、堤防決壊により、住宅が水没してしまうと、道路、河川、上下水道、電気などすべてのインフラ機能が損なわれ、個人財産も壊滅的な被害を受けます。直接被害を受けた人たちの心情は、察するに余りあります。
 昭和42年、新潟県加治川の堤防が決壊し、地域住民に大きな被害をもたらしたという事象がありました。当時、私は、建設省(現国土交通省)河川局防災課の係長として、この訴訟の担当をしたことがあります。原告団は100名を超えていました。堤防の決壊は100年に1回程度しか起きない雨量によるもので、そのような事態は予測不可能であり、国に責任はない、などと国側の主張をしていました。言い訳がましくなりますが、当時、国としては、そう主張せざるを得なかったのです。損害賠償(国家賠償法)の法理に従うならば、「故意または過失」という要件も必要になります。故意がないのは当然としても、過失すらもない、というのは、かなり難しい説明になります。「予算が足りない」ということが過失がないことの証明になるのかといえば、法理的には難しいでしょう。実務的には、一戸ごとに損失額を見積もり、賠償していかなければならないというのでは、公務員がいくらいても足りない、ということになります。また破堤の都度、河川管理者が全損害を賠償するのでは、国や自治体の財政が持たないということもあります。つまるところ、天災説に頼らざるを得なかったのです。
 でも、本心を言えば、「予算さえ、つまり、お金さえかければ防止できたものであるとすれば、人災と言わざるを得ない」という側面もあります。ただし、人災だからと言って、すべて税金で補てんすべきものであるかは、別途の議論が必要でしょう。

治水対策の重要性は空気と同じ

 「水を治める者は国を治める」という言葉があります。「善く国を治める者は、必ずまず水を治める」というわけです。中国の故事ですが、この言葉は、今の日本にもそのまま当てはまります。
 洪水などの災害によって、経済発展や社会秩序の安定は大きく損なわれます。道路、鉄道、上下水道、電気など、社会のインフラがすべてズタズタになってしまうからです。私たちが日常生活を営む上で、ほとんど意識することはありませんが、その重要性は極めて高いのです。比喩的に言えば、空気と同じような存在なのです。そこにあるのが当たり前すぎて、普段はそこにあることにすら気づかない。しかし、それが損なわれた時の被害は、即窒息するのと同じくらい、私たちの生活は、根底から覆されてしまうのです。
 その意味でも、治水事業は、地味ではあるが、安定した社会的基盤を維持するうえで、極めて重要な事業なのです。

年々減少してきた治水事業予算

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 ところが、この重要な治水事業予算は、毎年、減少し続けてきたのです。すなわち、河川堤防などの治水事業予算はバブル崩壊後の平成9年の13,351億円を頂点に、一貫して減少を続けてきました。特に、民主党政権下ではその傾向が顕著で、平成23年にはピーク時の半分以下の5,978億円にまで、急減したのです。民主党政権下では、「コンクリートから人へ」のスローガンのもと、公共事業悪玉論が喧伝され、予算は大幅に削減されたのです。
 その後、自民党政権に戻り、若干回復したものの、本格的回復には程遠い、7.800億円台、すなわち、ピーク時の6割弱にとどまっているのです。ピーク時の4割以上も予算がカットされれば、必要な個所に必要な工事が実施できないのは当然です。
 関係者なら、必要性は皆分かっているのです。今回破堤した倉敷市の小田川も、大雨が降れば決壊する可能性が高いことが分かっていました。市の作成したハザードマップにも、今回浸水した地区が、まるで生き写しのように描かれていました。
 大雨が降れば、本流の高梁川が増水して水位が高くなり、小田川が合流できず、いわゆる「バックウオーター現象」により、水位が高くなり溢水し破堤したのです。このため、小田川は、今年の秋からほぼ10年をかけて河川の付け替え工事を行う予定になっていたのです。このようなことは物理現象ですから、治水関係者なら、皆知っていることなのです。
 ならば、分かっていたならなぜもっと早く対策工事をしなかったのか、という指摘は当然です。が、公共工事は、予算に基づいて行うものである以上、緊急性の高い箇所から順に行うしか方法はありません。ない袖は振れないのです。仮に、予定通り着工したとしても、完成は10年後ですから、今年の豪雨には間に合わなかったということになります。

全体のパイを拡大することが必要

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 今、ない袖は振れない、と言いましたが、袖なしにしたのは誰か。それは政治家であり、財務省であり、マスコミです。財務省は、ひたすら念仏のように、「国の財政が大変だ。国の借金は1,000兆円を超している。赤ん坊を含め、1人当たり800万円以上の借金がある。緊縮財政により財政を再建する必要がある。そのためには消費増税も必要だ。」という一見、正論のように見える論法を、財務省が政治家やマスコミを使って、国民に吹き込んできたのです。
 この論が誤りであることは、すでに一部の経済評論家や政治家、マスコミ人が気付き始めていますが、残念ながらまだ少数派です。
 経済の素人である私にでも、経済を拡大させ、全体のパイを大きくすれば、1人当たりの分け前は大きくなる、という理屈は分かります。秀吉の行った楽市楽座のように自由な市場にすれば、取引は活発になり、税収も増えます。池田勇人のように、10年以内にサラリーマンの所得を倍増させるとの計画をぶち上げ、国民の士気を鼓舞すれば、僅か7年で目標は実現しました。
 経済というのはそういうものです。それなのに、プライマリーバランス(基礎的財政収支)だの緊縮財政だの財政均衡主義だのと、江戸時代の大福帳的発想で、国民を意気消沈させるような政策ばかり打ち出してきました。これでは、いつまでたっても、治水対策、防災対策など進みようがありません。「百年河清を俟つ」とはこのことです。
 こういう悪弊を打ち破るのは、本来、影響力の大きいマスコミの責任です。マスコミは、「真実を伝える」という重要な役目があるゆえに存在意義があります。財務省の言い分をオウム返しに伝えるだけなら、即刻、会社の看板を下ろすべきです。

避難指示も工夫が必要なのでは?

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 大きな災害が発生する都度言われることですが、この国の防災情報の伝達のシステム、いつも首を傾げてしまいます。
 例えば避難指示のあり方です。この避難指示が出される時間帯が夜遅く、極端な場合は深夜2時なんてこともあります。しかも避難指示が「今すぐ避難してください」とか「今すぐ命を守る行動をとってください」なんていう内容です。
 豪雨下で、外は真っ暗。停電しているような状況下では、下手をすればマンホールや側溝に足を踏み入れてしまうかもしれません。地元の小河川、しょんべん川と言われるような小さな川でも、豪雨時には、奔流となって大変危険です。そういう状況下で、本当に避難することが正しいのでしょうか。それに「命を守る行動をとれ」と言われて、具体的にどのようにすればよいのでしょうか。
 緊急時に、気象庁やアナウンサーは、そのような発言をしますが、一体、どうすればよいのかについては一切言いません。一応、「私たちはきちんと警告しましたよ」というアリバイづくりのためかもしれません。言われた方は、どう対処すればよいか分からないことを言われても、どうにもならないんです。
 しかも、アナウンサーには、「避難せよ」などという権限は一切ありません。言うならば、地元の首長か消防の責任者が地元住民に対して言うというのが筋でしょう。気象庁だって、地元事情に精通しているわけではありませんから、「避難せよ」だの「命を守る行動をとれ」だのと言うのは、いささか越権行為のように思います。
 自治体からのアナウンスも、豪雨時にはほとんど聞こえないと思います。平常時でさえ、聞き取りにくいんですから、なおさらです。私のような高齢者は、日中、拡声器で流れる「振込詐偽の電話に注意せよ」、との放送でさえ、声が割れてしまってほとんど聞き取れないのです。
 こういった災害情報の伝達システムについても、工夫の必要があると思います。(H30・7・15記)


<参考動画(YouTube)>

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