時事寸評 書評コーナー

welcome to shimada's homepage

後期高齢者になりました

後期高齢者になりました

市から特別祝い金

画像の説明

 自分だけは後期高齢者にならないんじゃないか、と漠然と思っていました。この言葉には、人生の墓場みたいで嫌な響きがあるからです。しかし、とうとうその時期がやってきたのです。市役所の人、正確には市役所から委託されたと思われる人が、お祝い金を持ってきたのです。
 おお、歳をとると、役所が祝い金をくれるんだ、とちょっぴり嬉しくなりました。委託された人が帰るやいなや、いそいそと中身を確認しました。5万円くらいか?いや、うちの市(幸手市)は貧乏だから、そんなには出ないだろう、3万円か、いや1万円か、と思案しながら震える手で封筒を開けてみました。最初に5という数字が見えたので、5万円かと思いました。しかし、よく見ると、500円です。え?これ1枚なの、いくら何でも・・、と思いつつ中身を確認すると、500円の商品券が2枚、しめて1,000円の祝い金です。今時の小学生でも、1,000円じゃあまり喜ばないでしょうね。
 そのうえ、この商品券、現金と違ってどこでも使えるというわけではありません。使える店が限られているんです。地域振興券と同じです。自分の住んでいる地区で使えるのは、A時計店とB商店の2店舗のみです。この時計店、名前は時計店になっていますが、扱っているのは指輪など貴金属類です。1,000円の商品券を握りしめて指輪を買いに行くわけにはいきません。もうひとつの店は、うどんや蕎麦なども食べられますが、このあたりでは少々格の高い店です。妻と二人で行けば、昼食でも2,000円くらいは必要でしょう。それでも、まあ、何とか使えそうではあります。
 これが後期高齢者になったお祝いです。何だか少し物悲しくもありました。

高齢者にとって健康が最大の関心事

画像の説明

 75歳ともなると、周りの友人知人は、ほとんどが高齢者ばかりです。若い女性など寄っても来ません。話す内容も、やれ腰が痛いの肩が痛いの、糖尿でインシュリンの注射を打っているだのと、気の滅入るような話ばかりです。今まで夫婦だと思っていた二人が、実は不倫関係だと聞かされたり、艶っぽい話もないわけではありません。が、高齢者にほぼ共通した話題が体の不調であることは、間違いありません。
 ですから、高齢になって一番の幸せは「健康でいること」、ということになります。健康を害し、毎日、体のどこかが痛かったり、深刻な持病があったら、とても幸せとは言えません。お金や家族、友人知人に恵まれることも大事ですが、先ずは健康に勝る幸せはないでしょう。お金は、ほどほどにあれば十分です。「ほどほどに」というのは、日々の暮らしを何とか凌いで行けるレベルです。もちろん、お金は沢山あるに越したことはありませんが、歳をとってお金があっても、毎日ビフテキを食べる元気もないし、高級車を乗り回したいとも思わないからです。
 幸い、私はヨガ教室を主宰している関係から、手伝ってくれる数人の高齢者仲間と交流があり、また、教室の生徒さんたちとの軽いあいさつ程度の会話が、生活にメリハリを与えてくれています。

◆主宰するヨガ教室はこちらから→幸手のヨガ教室

健康維持のため人間ドッグや健康診断はしない

画像の説明

 私は、48歳から75歳まで、27年間、人間ドッグや健康診断というものを受けたことがありません。それまでは定期的に健康診断や人間ドッグを受けていました。受けると、必ずと言ってよいほど、「要精密検査」の通知を頂いていました。やれ「胃に潰瘍らしきものがある」だの、「脂肪肝がついている」だの、「不整脈がある」だのと、何らかの指摘を受け、その都度、胃の内視鏡検査やら脂肪肝の検査だと再検査を受けていました。胃のバリウム検査など受けると、腸の中でバリウムが固まり、それを出すのに大変な苦労をしたなんてこともありました。
 そんな時期に、近藤誠先生の「患者よがんと闘うな」という書籍と出会ったのです。28年前ですから、記憶は不鮮明になっていますが、要点は、次のようなものでした。

近藤誠先生の「患者よがんと闘うな」の基本思想
 がんというものは、決して恐ろしい病気ではない。がんには悪性のがんと良性のがん、すなわちがんもどきというものがある。しかも、がんの大半は、がんもどきである。悪性のがんは、発見された段階で既に全身に転移しているから、がん治療をしても無駄。がんもどきは、放っておいても構わない。つまり、全てのがんは治療しなくてもよい、ということになる。

という趣旨のことが書いてあったのです。
 しかも、近藤先生のこの著書に説得力があったのは、常にデータに基づいて説明していたことです。そのうえで「現在、ガン治療として行われている3大療法、すなわち手術、放射線、抗がん剤は、幼児の白血病や男の睾丸がんなど、ごく一部のがんに効果があるのみで、その他のがん治療には効果がない。」と主張されていたのです。氏自身がアメリカの病院でがん治療の実務に従事し、そのうえで「データに基づいて」がん治療は効果がない、ということを主張されていたのです。
 私も、その当時、がん治療というものに何となく不信感を持っていたので、この近藤先生の主張を全面的に受け入れることとしたのです。
 私が健康診断、人間ドッグを受けないこととした動機とその後の状況について、ここで詳しく述べることは適当でないので、興味のある方は、私の別稿「私はがんで死にたい」をご覧ください。

私はガンで死にたい→こちらから
▶▶▶がん治療と健康診断のリスク(近藤誠)
▶▶▶必見アメリカでは日本のようながん治療をしなくなった。抗がん剤や放射線はアメリカでは使用しなくなった
▶▶▶新潟大学大学院免疫学・医動物学分野 教授 安保徹

検診を受けない解放感は絶大

画像の説明

 28年間、健康診断も人間ドッグを受けないんですから、受診に伴う不安や憂鬱感から解放されました。この解放感というのは相当なものです。それだけでも精神的にどれほど楽になったか、計り知れません。
 以来、病気らしい病気はしたことがありません。いや、実際はしているのかもしれませんが、一切の検査をしていないため、気がつかないだけかもしれません。でも、「がんになったら、そのまま受け入れる」という達観した気持ちは、精神的に大きな解放感をもたらし、精神衛生上大いにプラスになっていると実感します。
 第一、統計上、高齢者の2人に1人ががんで亡くなるのです。夫婦のうち、どちらかがガンでなくなるのなら、いずれはがんでお迎えが来るもの、と割り切るしかありません。それなのに、痛い思いをして切ったり貼ったり、レントゲン写真をバンバン撮るなんて、本当に馬鹿々々しい話だと思います。
 その後、中村仁一先生の「大往生したけりゃ医療と関わるな」や安保徹先生の「人がガンになるたった二つの条件」といった書籍が刊行されましたが、彼ら真摯なる説明も、私の行動を後押ししてくれました。
 私の行動が間違いでなかったことは、その後発表されたさまざまな事実が実証してくれています。

画像の説明

 例えば、日本の医者に行なったアンケート調査結果です。「あなたは自分又は家族がガンになった時、抗がん剤治療などしますか」という問いに対して、90%以上の医者が「否」と答えているんです。つまり、医者自身が、がん治療とりわけ抗がん剤治療の効果を認めてはいないのです。
 現に、アメリカなどでは、3大治療から免疫や遺伝子医療などの代替療法などにシフトしつつあり、年間数千人単位でがんの死亡者数が減ってきているのです。右のグラフは、アメリカにおけるがんによる死亡者数の推移です。過去20年間で22%以上も減少しているのです。逆に、3大治療に頼りきりの日本は、年々がんの死亡者数が増えてきているがん大国になっているのです。

画像の説明

 こんな馬鹿な話があるでしょうか。日本の医師の数は年々増加し、1994年を100とすると、2016年には138、つまり22年間で38%も増えているのです。もちろん、専門の科が違いますから、必ずしもがん専門の医者が増えたとは言えませんが、全体的に医師数が増えていることは間違いありません。
 つまり、医者が増えれば増えるほど患者が増える、ということを数字は示しているのです。がんを治すべき医者が増えれば増えるほど、がんによる死亡者が増える。こんな馬鹿な話はありません。逆説的に言えば、医者を減らせば病人も減らせる、ということになります。
 その実践例が財政破綻した北海道の夕張市です。財政破綻した町ですから、元気の良い若者は町を捨て、行くところのない高齢者が多く残されました。当然、高齢化率も上昇しました。財政破綻をした上に、高齢者の割合が増加するんですから、財政負担はより一層深刻になります。当然、病院も減少しました。171床あった市立総合病院はやむなく閉鎖され、19床の市立診療所と3人の開業医だけになったんです。現在、高齢化率は48・9%と全国の市で最高。人口も、炭鉱最盛期の13分の1の約8,700人にまで減少してしまいました。

画像の説明

 その結果どうなったか。何と救急車の出動回数は下がり、医療費も減ったんです。高齢者一人当たりの医療費は、全国的にみればものすごい勢いで増えてますが、夕張市はだいぶ下がった。しかも、何と死亡率まで下がったんです。日本人の死因1位のがん、2位の心臓系、3位の肺炎。これらがすべて下がったんです。つまり、「病院を減らせば患者が減り、死亡率も下がる」というわけです。多分、市民が「これでは病気になどなっていられない」と思い、日々の健康維持に努力をしたんでしょうね。
 嘘のような現実の話です。この事実をきちんと押さえておく必要があると思います。

抗がん剤は毒ガスから発展したもの

 私たちは、抗がん剤と聞くと、がんに効果のある薬剤と単純に考えますが、この抗がん剤、元々は、戦時中の毒ガスを改良したものです。ある特殊なガスにがん細胞を死滅させる効果がある、ということが分かったんです。もちろん、由来が毒ガスだからいけないというつもりはありません。ダイナマイトも原発も、使い方によって平和利用に使うこともできるし、殺人兵器にもなります。利用の方向が正しければ何の問題もありません。インターネットですら米軍が開発した通信機器ですが、平和利用にも大いに役立っています。

画像の説明

 嘗て、抗がん剤治療を受けている患者が、悶絶するほどの苦しみにのたうち回る、なんていう光景はかなり一般的でしたし、多くの日本人にがんの恐怖を植えつけた治療法であることは間違いありません。
 そのうえ、「医者が増えるに従い、がん患者も、がんによる死亡者も増える!」というのでは、何のための医療なのかと思うのも無理はありません。私のように、「大往生したけりゃ医療と関わるな」を実践してきた者にとって、医療、とりわけ検査浸けにされる可能性の高い健康診断や人間ドッグは、「敬して遠ざける」というのが、一番適している、と確信しているのです。
 しかし、テレビなどのマスコミは、決してそんなことは言いません。毎日放送される医療関連の番組で、医師が登場し、早期発見・早期治療こそ最善と繰り返し主張するのです。ならば、アメリカでは急激にがん死亡者が減少しているのに、医師が増えている日本でなぜがん死亡者が急増しているのか、と問うべきでしょう。誰も質問しようともしません。番組において、医師の言うことは絶対とされているのです。

私の健康法

画像の説明

 75歳の私が実践しているのは、次のようなものです。
① 毎日、6,000歩歩くこと。1万歩は、高齢者にとって少し歩きすぎではないかと思っているからです。歩くときは、ルームランナーでなく、外の景色を愛でながら楽しく歩きます。
② 納豆、甘酒、糠漬けなどの発酵食品を毎日欠かさず食べること。甘酒は妻が作りますが、糠漬けは、毎日、私が糠床をかき回して漬けています。糠漬け臭い爺になりましたが、このため便秘もしません。
③ 毎日の晩酌を欠かさないこと。晩酌は毎週1日、できれば2日、完全に抜いたほうが健康に良い、というのが専門医の助言ですが、私はそんなことは一切気にしません。老い先短いのに、酒を抜くなんてことできるはずがありません。
④ 毎週1回は居酒屋に行き、気心の知れた仲間と酒を楽しみ、かつ、カラオケに興じること。新曲を覚えることも脳の活性化に有効です。妻も一緒に行きます。
⑤ 毎日、元気に生かされていることに感謝するため、太陽(の方角)に向かって感謝の言葉を念じること。ついでにお小遣いも増えますように、とこっそり祈っています。
⑥ 塩分の取りすぎ、糖分の取り過ぎだのと、一切気にしないこと。制限する方がかえってストレスが溜まります。

がん治療をした有名人は総じて早死に

画像の説明

 逸見政孝、大橋巨泉、夏目雅子、岡田真澄、筑紫哲也、千代の富士、中村勘三郎、本田美奈子、米長邦雄、米原万里、渡辺淳一、北の湖親方、川島なお美、小林麻央・・・ここに挙げた各氏は、すべてがん治療の末に早逝した有名人ばかりです。
 有名人ですからお金は十分にあったでしょう。最新の治療も受けたはずです。それでも、彼ら彼女らは、がん死したのです。いかにがん治療が無力であるか、ということがここでも実証されているのではないでしょうか。
 がん治療を拒否した有名人に緒形拳氏がいます。彼は、一切のがん治療を拒否し、仕事をやり続けました。全身全霊で俳優業に打ち込み、8年にもわたる闘病生活において、一度も長期入院しなかったといいます。つまり、がんが判明したあとも、手術も(最後には肝臓破裂で緊急手術を受けられましたが)、抗がん剤治療も拒否したのです。亡くなる5日前にドラマの制作発表に出ていたと言いますから、最後の最後まで普通の生活に近い状態を保っていたということになります。
 緒方夫人は取材記者に「何もしないという近藤誠先生の治療法に、主人は大賛成でございました。最後は本当に眠るように亡くなって、私たち家族にとっても、救いでした」とおっしゃったそうです。
 検査など一切せずに楽しくのびのびと生活し、お迎えの時が来たら、それも良し、と思えたならそれが一番の幸せのように思います。私の妻は、私以上に長く、健康診断、人間ドッグは受けていません。2人の共通の会話は、「健康保険料を返してほしい」です。

樹木希林的生き方

画像の説明

 樹木希林さんが亡くなりました。私と同じ75歳だそうです。彼女は、手術の方を選択したようです。日本ではまだ1台か2台しかないピンポイント照射の高額のがん治療も受けていたようです。それでも治らないものは治らない、ということを示しています。近藤誠先生の意見とも符合しています。
 それにしても、彼女の生き方、素晴らしいですね。彼女の発する一言一言が、世の中のすべてを見通しているようで、重みがありました。肩ひじ張らない生き方は、私たちに人間の生き方、道しるべを示しているようでした。高齢になってからは、ステテコや股引は買わなかったそうです。同年代の女性の旦那が亡くなると、それらが不要になる。男はどんどん先に死ぬ。だからそれをもらって穿いていたんだそうです。男ものですから前が開いているやつです。その姿を想像すると、思わず笑ってしまいます。
 彼女には、「死んでしまえば宇宙の塵芥(ちりあくた)」、「ガンは面白くてありがたい」など、名言が沢山あります。思わずクスリと笑ってしまうような言葉には、自身の体験から滲み出た凄みとユーモアがあります。
 最後に、私の大事にしている曽野綾子さんの言葉を紹介します。

曽野綾子氏の言葉(「老いの才覚」より)
 一生の間に、ともかく雨露をしのぐ家に住んで、毎日食べるものがあった、という生活ができたのなら、その人の人生は基本的に「成功」だと思います。もしその家に風呂やトイレがあり、健康を害するほどの暑さや寒さから守られ、毎日乾いた布団に寝られて、ボロでもない衣服を身につけて暮らすことができ、毎日、おいしい食事をとり、戦乱に巻き込まれず、病気のときには医療を受けられるような生活ができたなら、その人の人生は地球レベルでも「かなり幸運」です。もしその人が、自分の好きな勉強をし、社会の一部に組み込まれて働き、愛も知り、人生の一部を選ぶことができ、自由に旅行し、好きな読書をし、趣味に生きる面も許され、家族や友達から信頼や尊敬、好意を受けたなら、もうそれだけで、その人の人生は文句なしに「大成功」だったと言えます。 

 私の人生は、すでに大成功の部類に属しているのではないかと密かに自負しています。(H30・9・18記)

 

a:1037 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional