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ゴーン会長逮捕、企業トップの高額報酬に思う

ゴーン会長逮捕、企業トップの高額報酬に思う

青天の霹靂だが

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 日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されました。世界第2位の販売高を誇る企業トップの逮捕ですから、青天の霹靂とも言うべき事態です。驚いたのは、これほどの巨大企業のトップが自らの報酬を誤魔化していた故の逮捕と言うんですから二度びっくりです。容疑の内容は、2011年3月期~15年3月期の役員報酬が計99億9,800万円だったのに49億8,700万円と虚偽の記載をした有価証券報告書を関東財務局に提出した疑い、というものです。
 このニュースを聞いたときに、最初に疑問に思ったのは、これほどの巨大企業ともなれば、社内に監査役がおり、そのうえ外部の企業監査を専門とする監査法人が毎年、会計上の監査をしていたはず。それなのに、なぜその不正が見抜けなかったのか、という点です。億単位の不正が見抜けないというなら、監査役も企業監査法人も、何の役にも立っていないということではありませんか。
 第二に疑問に思ったのは、仮にワンマン社長が横暴を振るったとして、このような不正は、社長一人でできることではありません。組織が関与しなければ、到底このような不正は実行できません。そんなことは、企業の経理に携わった人間ならば、誰でも理解できるはずです。それなのに、長年の不正が露見しなかったのはなぜか。これが二つ目の疑問でした。

役員報酬の異常な高さこそ問われるべき

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 ゴーン社長がルノーから送り込まれた2000年当時、私はその報酬額の高さに驚愕しました。正確には覚えていませんが、約10億程度の報酬だったと思います。仏ルノーのCEOも兼任していましたから、総額で年俸20億円程度になるのではないかとも言われています。
 民間企業ですから、社長がどのように高額な報酬をもらっても、文句を言う立場ではありません。ただ、社長が社員の100倍、200倍という法外な報酬というのは、日本の伝統的な家族的経営からすれば、余りにも違和感があります。欧米の大企業経営者なら、この程度の金額は当たり前だ、という人もいます。
 しかし、ここは外国ではありません。日本人は、社長も従業員も、時には寝食も共にし、一体となって働く。終身雇用も常識でした。給料だって、社長と平職員の給料が10倍も違うなんてことはありませんでした。それこそが、江戸の昔からの伝統だったのです。この伝統があったからこそ、会社に忠誠を誓うことができたのです。また、社長や従業員が同じ場所で食事をし、時には、職場単位で慰安旅行にも行くなど、家族意識を奨励もしていたのです。このように心を一つに合わせることこそが、良い商品とサービスを生み出す、日本企業の強みでもあったのです。

欧米化が良き伝統を壊しつつある

 ところが、今、その良き伝統が大きく崩れつつあります。世界的なグローバル化の波が日本を覆い始めたのです。経済の世界におけるグローバル化とは、「ヒト、モノ、カネ」が自由に行き交うことを意味します。資本も、商品も、人間も自由に往来することこそが、すばらしい未来のより良き社会を約束する、というわけです。
 カルロス・ゴーンは文字通り、それを具現したような人物でした。企業経営は、「採算こそすべて」という価値観で、利益の出ない部門や工場を情け容赦なく切り捨てました。「コストカッター」と称された所以です。社内の公用語も英語で統一するなど、グローバル化を徹底しました。給料も、欧米並みの10億単位の給料を当然としました。
 その結果、業績は急激に回復し、瀕死の状態にあった日産は立派に甦りました。その結果を突き付けられれば、もう誰も文句は言えません。こうした独裁的な経営者の下、今回の不正が長く温存されることになったのではないでしょうか。

グローバル化の限界

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 私は、グローバル化を是とすることに、いささか懐疑的です。「モノ、カネ」まではいいとしても、「ヒト」まで垣根をはずすことには反対です。保守的な性格なのかもしれませんが、グローバル化を是とする社会よりも、それぞれの国の歴史、文化、伝統を尊重することこそ、逆に、企業を強くするのではないかと思っているのです。
 経営トップが、一般従業員の100倍も200倍もの給料をもらい、全く別世界に住み、平然としていられるような会社がまともだとは思えないのです。
 なぜなら、社長の仕事と、末端で汗水たらして営業に走り回る平社員、あるいは給仕のおばさんの仕事の何が違うというのでしょう。社長はその立場が与えられたからその仕事しているだけのことです。賄いのおばさんだって、サラリーマンだって、与えられた仕事を、一日必死になってこなしているのです。社長の仕事が、賄いのおばさんの仕事の100倍、200倍尊いというわけではありません。みんなそれぞれの職責に応じて、真面目に仕事をしているのです。それなのに、片や年収500万円、賄いのおばさんなら300万程度、片や10億円というのでは、どう考えても公平だとは思えません。
 ゴーン社長は、業績を急拡大させたと言いますが、その実態は、不採算部門の切り捨てやいくつかの主力5工場の閉鎖でした。私が学生の頃、アルバイトで工場建設に携わったことのある日産座間工場、思い入れもありますが、これも不採算部門ということで閉鎖されました。下請けの中小企業にも大ナタが振るわれました。約半数の下請け企業が閉鎖に追い込まれました。残った業者も、下請け代金が半減するという悲惨さでした。
 同じ釜の飯を食った日本人にはできないことでも、一切のしがらみのない外国人経営者にはそれができるのです。それを有能、あるいは立派な経営者というのでしょうか。本当に有能な経営者ならば、生身の人間の首切りなどせず、品質向上や社員の意識改革などにより、しっかり立ち直らせてこそ、有能、優秀な経営者と言うべきなのではないでしょうか。
 極端な話、コストカットするだけなら、トイレ掃除のおばさんにでもできる、といっても過言ではありません。不採算部門を列挙させ、不採算度の高いところからバッサバッサ切り捨てて行けばよいからです。しかも2万人もの社員を切り捨てて立て直したからといって、それが優秀な経営者と言えるのでしょうか。私の常識からすれば、優秀どころか、血も涙もない最悪の経営者と言うべきです。
 まあ、これは言い過ぎだとしても、「コストカッター」と言われるような経営者が、優秀だとは、私にはどうしても思えないのです。ただ、同じ日本人同士、さまざまなしがらみがあり、上司や同僚、嘗ての部下の生首を切れないだけなのです。しがらみのない外国人だからこそ、一刀両断、バッサリと切れるというにすぎません。自らは出来ない農業の自由化を、外圧を利用して実行するようなものです。日産の労働組合は、相当強力だったようですから、日本人経営者にとって、外国人経営者にバッサリ切ってもらいたかった、というのが本音かもしれませんね。
 

日本企業にも悪しきグローバリズムの波が

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 会社四季報2018年版によれば、日産の社員の平均給与は、平均年齢42.5歳で818万円とのことです。日本の企業の中ではかなり高いレベルということができます。それでも、ゴーン社長の給料10億に比べれば122倍もの違いがあります。
 因みに、日本の企業で高額の報酬をもらっている企業を調べてみました。東京商工サーチが発表した調査結果によると、2013年1月期決算から3月期決算の企業の役員報酬で最も多かったのは、ゲーム大手・セガサミーホールディングスの里見治取締役で6億3,500万円、次いで調剤薬局を展開するアイセイ薬局の岡村幸彦代表取締役の3億8,400万円とのことです。調剤薬局を束ねる会社の社長が、4億近くの報酬をもらうってすごいですね。
 日本企業の中にも、グローバル化の波に乗って、高額報酬をもらう経営トップが出始めたということですね。繰り返しますが、民間企業ですから、高額報酬をもらうことにイチャモンをつけるつもりは全くありません。
 しかし、こういう欧米式企業経営がどのような結果をもたらすか。そのことについては、少し考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 最近、大企業によるデータ改ざんなど、不正問題が大きく報道されました。神戸製鋼や三菱マテリアル、日立化成の製品データ改ざん、日産自動車、SUBARUの無資格者による完成検査、東芝や東レの不正、それにKYBの免震不正データ問題など民間企業の不正問題は後を絶ちません。また金融機関でも優秀と見られていたスルガ銀行の不正融資、それに公的機関である商工中金の大規模な不正融資など、日本人のモラルの崩壊を見せつけられる事態が相次ぎました。
 会社の上層部がうまいことをやっているなら、我々も適当にやろうぜ、というモラルの欠如がその背景にあるように思えてなりません。

古き良き日本企業への回帰こそ必要

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 これら一連の流れを見ていると、私は、古き良き日本へ回帰することが必要なのではないかと思います。本来、日本企業の強さは、松下電器、ホンダ、トヨタなどに見られるように、経営トップと従業員が同じ釜の飯を食べ、同じように悩み、苦しみ、喜ぶというところにありました。今は、その原点を忘れてしまったのではないでしょうか。
 一連の企業の不正問題など、その根本は同じです。つまり、経営トップは、自分の報酬さえよければよい。従業員は、とりあえず当面の給料がもらえればよい。少々の不正があっても、お互いに見て見ぬふり。経営陣と従業員の精神的つながりは一切なし。経営陣と一般社員は、昼食を食べる空間さえ違う。その一方で、学歴だけは高く、上司のご機嫌を窺うことのうまいヒラメのような学卒者が社内に溢れている。
 こういう雰囲気にのなかでは、良い製品、自信をもった製品を生み出そうという精神は養われません。こういう状態を一般に「大企業病」というのでしょう。大企業になれば、避けがたい慢性病なのかもしれません。
 それでも私は、大企業トップに言いたい。人間、生きるためには「起きて半畳、寝て1畳」あれば足りるのです。普通の生活をするのに、耕しきれないほどの広大な土地もいりません。プールのような風呂も金のトイレもロールスロイスも必要ありません。毎日高級なマグロやビフテキでは、逆に、体を壊します。要するに、億単位の給料などいらないのです。
 それがもらえる立場だというなら、社員の給料アップをこそ図るべきです。少子高齢化対策にもなり、自分の将来の年金も保障されます。それはできないというなら、せめて、社会の片隅でコツコツと働いている不遇な人々に、一灯の光を届けるくらいの社会奉仕をされるべきではありませんか。自分がその地位まで到達できたのは、今日まで、周りの多くの人々の助力があったからこそなのですから。(H30・11・21記)

 
 

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