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高齢者は75歳以上、とすべきです

高齢者は75歳以上、とすべきです

冷たい後期高齢者という言葉

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 私は、今(平成31年1月現在)75歳、大東亜戦争(戦勝国側は「太平洋戦争」と称する)中の生まれです。今年、誕生日が来れば76歳ということになります。その私が、自分を客観的に観察して、老人なのか?と問われれば、決してそんな意識はありません。自分が年寄りになったという意識は全くないのです。ただ、職場が「定年だから」というので、已む無く退職しましたが、今でも気持ちは全く現役時代と変わっていません。
 膝や腰など内臓を含め、どこにも痛みを感じることがありません。毎日の晩酌も欠かしません。休肝日を設けるべきだ、などという医者もいますが、私は、「余計なこと」と無視しています。
 つまり、私は、精神的にも肉体的にも全く健康だと思っており、高齢者だとは思っていないのです。ところが、世間では、65歳以上を高齢者と定義しています。世間的には、私のように高齢者になって既に10年も経過している人間は、ベテラン高齢者ということになるのでしょう。今の区分に従えば、後期高齢者というわけです。何という品のない、人に対する敬意のない言葉でしょうか。「もう回復不能、人生は終わりです」と言われているような、何と冷たい表現ではありませんか。
 私自身、今の心境を、岩崎恭子風に言えば、「これまで生きてきた中で、今が一番幸せ」です。その幸せ感はどこから出てくるのか。数え上げればきりがありません。思いつくままあげてみましょう。

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①無職のため、通勤という束縛が全くなく、ストレスから解放されている
②自由に行動スケジュールが組めるため、何をするのも自由である
③週2回、ヨガ教室を主宰(そのヨガ教室は→こちらから)するなど、ボランティア活動により、社会との接点がある
④毎日、晩酌を欠かさず、夕食が楽しみである
⑤毎日、6千歩の散歩により、気分がリラックスできる
⑥健康診断、人間ドッグは一切受けず、すでに27年を経過している
⑦二人の子供、二人の孫に恵まれ、彼らすべてとの関係も円満であり、煙たがられてもいない(多分)
⑧毎週一回、曜日を決めて居酒屋に行き、ボランティア仲間と酒とカラオケを楽しむ
⑨この記事のように、毎月、何本かの駄文を書き、ホームページに公開している

などなど、列挙すれば、まだいくつも挙げることができます。特に、体の何処にも違和感がなく、健康であることが一番幸せ感につながっているのかもしれません。

高齢者定義の見直しの動き

 私のような元気な高齢者が多いせいでしょうか。現在、日本老年学会、日本老年医学会が、高齢者の定義について再検討しているようです。両学会のワーキンググループ報告書には、次のような表現が見られます。

現在の高齢者においては10~20年前と比較して、加齢に伴う身体的機能変化の出現が5~10年遅延しており、「若返り」 現象がみられています。従来、高齢者とされてきた65歳以上の人でも、特に65~74歳の前期高齢者においては、心身の健康が保たれており、活発な社会活動 が可能な人が大多数を占めています。また、各種の意識調査の結果によります と、社会一般においても65歳以上を高齢者とすることに否定的な意見が強くな っており、内閣府の調査でも、70歳以上あるいは75歳以上を高齢者と考える意 見が多い結果となっています。
 これらを踏まえ、本ワーキンググループとしては、65歳以上の人を以下のよ うに区分することを提言したいと思います。65~74歳 准高齢者 准高齢期 (pre-old) 、75~89歳 高齢者 高齢期 (old)、90歳~ 超高齢者 超高齢期 (oldest-old, super-old)

 この報告書で評価すべきは、前期、後期といったいかにも冷たい表現を避けたことでしょうか。この区分に従えば、私は、単なる「高齢者」ですから、まあまあ納得感があります。
 もっと言えば、65歳から74歳を准高齢者と呼んでいますが、これも必要ないと思います。65歳なんて、まだまだ若い。准高齢者と呼ばれて愕然とする人も多いのではないでしょうか。高齢者予備軍という気持ちなんでしょうが、敢えてつける必要などない用語です。どうして高齢者にだけ区分を設ける必要があるのでしょうか。青年期に前期青年期だの後期青年期、中年期に前期中年期、後期中年期などという区分はありません。どうして高齢者にだけ、余計な区分を設ける必要があるのでしょうか。

筋肉は90歳でもアップする

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 人間の筋肉は、「どんな年齢になっても鍛えて増やすことができる。一種不思議な臓器なのだ」という記事が、1月22日の読売新聞に載っていました。オーストラリアの研究者が実験結果に基づき、発表したものだそうです。それによれば、「適切な負荷で運動すると、90代でも筋力は12週間で174%も増えた」と言うんです。3ヶ月で筋肉が74%も増やせるというなら、老人だって、筋肉モリモリになるということです。なぜそうなるのか。それは、筋肉というものは、加齢によって細胞の数が減る。負荷を与えることにより、細胞が減った分、筋断面積を増やせばいい、ということになるからだそうです。
 この考え方は、私の信奉する分子生物学者の三石巌先生の理論とも合致しています。三石先生は、著書「医学常識はウソだらけ」の中で、次のように述べています。
 「筋肉が太くなったり細くなったりするのは、フィラメント(と呼ばれる細い糸のようなたんぱく質)の数が増えたり減ったりするからで、つまり筋肉を鍛えるとは、フィラメントの数を増やすことに他ならない。そしてフィラメントの本数は、通常より大きな負荷を筋肉にかけることで増加する。」
 三石先生は、「普段は特別に重たいものを持ったりして力を入れない限り、半分程度の筋肉しか使っていない。」とし、筋肉を増やすのは実に簡単だと言います。「鍛えたい筋肉が全力で収縮した状態を、6秒間続ける。それを何回も繰り返すだけ。」だというんです。6秒という時間は、フィラメントが、5秒は持ちこたえることができる。従って5秒以内でやめてしまうと、フィラメントが増えない=筋肉が増えない、ということを意味します。この理論を前提に、三石先生は、「ダンベル体操はムダ」とも述べているのです。
 このような知識を前提に、私も、健康維持のため、スクワットなど自分なりに工夫した方法で、日々7秒保持(6秒+おまけの1秒)の生活をしているのです。

健康寿命こそ真の長生き

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 父が介護施設に入所していたことがあります。そのため、介護施設には何度も通いました。当然、施設内の廊下を歩くことが頻繁にありました。その折、各部屋から入所者の状況をチラチラ見ることになります。多くの高齢者は、ベッド上で大きな口を開けて寝ていたのです。自分の将来の姿がこれでは余りにも寂しい、というのが率直な感想でした。
 こんな姿で介護施設には入っていたくない。亡くなる前日まで、晩酌をし、自分でトイレに行くなど、普段通りの生活をし、翌日、起きてくるのが遅いので、家族が見に行ったら「息をしていない」ということに気づいた。すなわち大往生で死にたいものです。
 こんな理想的な亡くなり方をしたのは、男性の世界最高齢としてギネスにも認定されていた、北海道足寄町の野中正造(まさぞう)さんです。彼は、1月20日未明、亡くなったとき、113歳でした。家族の話によれば、亡くなる前日までは、普段と変わらない生活をしていたんだそうです。健康寿命を絵に描いたような人生です。
 報道関係者が彼に「長生きの秘訣は何ですか」と聞いたそうです。その答えは、「こたつに入ってのんびりテレビを見ていればいいんだよ」と言っていたというんですね。丁度その放送のあった時、我が老妻がこたつに入って寝転がっていたので、「君も長生きしそうだよ」と言ったら、キッと睨みつけ「おかず一品減ね」と言われてしまいました。口は災いの元です。(H31・1・23記)

 

 

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