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新元号は令和、万葉集からの引用は嬉しい限りです

新元号は令和、万葉集からの引用は嬉しい限りです

国書からの引用は初

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 新元号が「令和」に決定しました。私は、今度こそは漢籍からの出典でなく、日本の古典から引用してほしいと念願していました。ですから、この一報を聞いた時は、心底嬉しく思いました。最初、菅官房長官の言葉が「えいわ」のように聞こえ、「ん?」と思いました。英和辞典の英和かと思ったからです。しかし、漢字の令和という文字を見て、「オ~」と納得できました。更に、典拠が万葉集であると聞いたときには、更に飛び上がらんばかりに嬉しくなりました。「今度こそは漢籍でなく国書から!!」という私の願いが通じたと思ったのです。国書であれば、万葉集でなくとも、日本書紀、古事記でもいいし源氏物語、方丈記、平家物語でもよいと思っていました。
 この令和の出典は、万葉集の「梅花の歌32首」の序文、「時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす。」だそうです。もっとも実際の原文は、漢字ばかりの「諸春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」です。
 高校生の頃、漢文の授業がありました。ですから漢文そのものにそれほどの違和感はありません。でも、それでも返り点などなければ、日本人には読みにくい文章です。杜甫が詠んだとされる「春望」の中の次の一節など、今でも懐かしく思い出されます。

国破山河在:国 やぶれて山河あり
城春草木深:城 はるにして草木ふかし
感時花濺涙:時に感じては花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心:別れをおしんでは鳥にも心を驚かす
意味は、「国は滅んでも故郷に春は巡ってくるが、心の拠り所を失った今はうつくしい花を見ても涙が止まらない」と戦乱の世を悲しむ内容です。

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 まあ、これはこれで美しい詩ですが、日本の万葉集も素晴らしいと思います。特に、万葉集は、奈良時代に編纂された歌集で、天皇や皇族、傑出した歌人、防人、農民など幅広い階層の人々が詠んだ歌集という点で、日本人すべての共感が得られます。その数4,500首というんですから驚きです。
 防人(さきもり)なんて、今で言えば自衛隊員ですからね。その自衛隊員が詠んだ歌に、次のようなものがあります。
★唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして
(現代語訳:唐衣にすがって泣きつく子どもたちを(防人に出るため)置いてきてしまったなあ、母もいないのに)
 高校生の頃、教科書でこういう防人の歌などを詠んだ時、「当時も今も人間の気持ち、哀歓というものは全く変わらないんだな~」と思った記憶があります。それにしても万葉集が詠われた当時の一般人の教養の高さ、深さ、本当に素晴らしいと思いませんか。

元号と天皇は日本の誇り

 元号というのは、紀元前2世紀に中国・前漢の武帝が定めた「建元」が世界初の元号だそうです。このような元号制度が近隣諸国に伝わりましたが、今でもこれが残っているのは日本だけです。嘗ては朝鮮半島やベトナムでも使われていたようです。
 日本では、飛鳥時代の645年に「大化」から始まり、今回の令和で248代目の元号ということになります。新聞に載っていた過去の元号を、一通り全部読んでみました。すごいですね。これら一つ一つの元号にその時代の天皇の思いが込められていると思うと、なお一層厳粛な気持ちになります。

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 有名なので多くの人が記憶していると思います。第16代の仁徳天皇に関する、次のような逸話です。

 仁徳天皇は即位されて4年目、高台にのぼって見渡されました。
 すると家々から炊事の煙が立上っておらず、国民は貧しい生活をしているのだと気づかれました。そこで3年間年貢などを免除されました。
 そのため天皇の着物や履物は破れてもそのままにし、宮殿が荒れ果ててもそのままにしていました。
 そうして3年、気候も順調で国民は豊かになり、高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見えました。国民の生活は見違えるように豊かになりました。それを見て天皇は喜ばれ「自分は、すでに富んだ」と言われました。
 それを耳にされた皇后は、「私たちの住んでいる皇居の垣は崩れ、雨漏りもしているのに、どうして富んだといわれるのですか」と問われました。
 すると天皇は、「昔の聖王は国民の一人でも飢え寒がる者があるときは自分を顧みて自分を責めた。今、国民が貧しいのは自分も貧しいのだ。国民が富んでいるのは自分も富んでいるのだ。未だかつて人民が富んで、君主が貧しいということはあるまい」と答えられました。

 やがて天皇に感謝した人々が諸国から天皇にお願いしました。
「3年も課役を免除されたために、宮殿はすっかり朽ち壊れています。
それに較べて国民は豊かになりました。もう税金をとりたてていただきたいのです。宮殿も修理させてください。そうしなければ罰があたります」

 それでも天皇はまだ我慢してお許しになられませんでした。3年後にやっと許されると、国民はまず新しい宮殿づくりから始めました。人々は命令もされないのに、老人を助け、子供を連れて、材料運びに精出し、昼夜兼行で競争して宮殿づくりに励みました。そのためまたたく間に宮殿ができあがりました。それ以来天皇を「聖帝(ひじりのみかど)」とあがめるようになりました。 

 このような、天皇が民を思う気持ちは、今に通じるものがあります。私は昭和天皇、平成天皇しか拝見していませんが、お二人とも、決して仁徳天皇に劣ることはなく、華美贅沢もせず、国民とともに歩まれてきたと思います。

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 特に、昭和天皇が大東亜戦争(太平洋戦争)に負け、戦勝国のマッカーサー元帥に面会に訪れた時の会話が有名です。
 時は昭和20年9月27日午前10時。シルクハットにモーニングの正装の昭和天皇を乗せた車が、アメリカ大使公邸の門を潜りました。もちろん、これはただの会見ではありません。側近たちは天皇のお命を心配し、天皇ご自身は自分に日本人と皇族の運命がかかっていることを承知されていました。公邸玄関にマッカーサーの姿はなく、2人の副官が出迎えます。マッカーサーはレセプションルームで天皇を出迎え、奥の部屋に案内しました。会見が始まる前、写真撮影があり、その中の一枚が教科書にも載っている、あの写真です。
 マッカーサー元帥は、昭和天皇が命乞いに来たものと思い、出迎えもせずいわば傲慢な態度で出迎えたのです。その時の会見の様子を、マッカーサーは回顧録に次のように記しています。

「マッカーサー回顧録」(1963年)より
 天皇の話はこうだった。「私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました」 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った。

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 また、この時、同行していた通訳がまとめた天皇の発言のメモを、翌日、藤田侍従長が目を通しています。同氏は回想録に次のように記しています。

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藤田尚徳『侍従長の回想』(昭和36年)
「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。 『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』

一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。

『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』とマッカーサーは言った。
 会見は当初、15分の予定でしたが、35分にも及び、会見終了後、マッカーサーの天皇に対する態度は一変していました。感動した彼は予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て見送るのです。マッカーサーの最大の好意の表われでした。
 人を動かすものとは何か、昭和天皇のお姿が、すべてを語っておられます。日本がまな板の上に乗せられたあの時に、昭和天皇がいらっしゃったことは、日本人にとってどれほど大きな意味があったか、そんな気持ちになります。

直後の世論調査で62%が好感

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 読売新聞社が、新元号発表直後に行った世論調査の結果によると、非常に好感を持っているが33%、多少は好感を持っているが29%、馴染みにくい感じを持っているが31%、答えないが7%だったそうです。
 いきなり新元号が「令和」と言われれば、馴染みにくいと感じる人が31%くらいいるのは、理解できます。これまで昭和だったのに、いきなり平成と言われて戸惑ったのと同じです。元号は使っているうちに馴染んでくるものです。
 相変わらず、野党側は率直に喜びを表そうとはしませんでした。社民党の又市党首は「元号は象徴天皇制になじまない」と指摘したうえで、「令は命令の令。安倍政権の目指す国民への規律や統制の強化がにじみ出ている」と述べました。また、共産党の志位委員長も「元号は君主が空間だけではなく、時間をも支配するとの思想に基づいたものだ。憲法の国民主権の原則に馴染まない」と述べています。
 さらにひどいのは、立憲民主党の辻本清美国対委員長です。彼女は、「安倍首相がしゃしゃり出すぎじゃないか。ペラペラとテレビで解釈や思いを言うのは政治家として慎むべきだ。首相が思いを述べるほど元号が軽くなる」と辛らつです。
 本当に日本の野党というのは、煮ても焼いても食えない存在です。自分たちの党勢が伸びない根本原因が、国家の根本を論ぜず、ささいな言葉の揚げ足取り、難癖、誹謗中傷、レッテル張りなど、重箱の隅を突く行為に終始していることにある、ということが全く分かっていないようです。(H31・4・3記)

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