時事寸評 書評コーナー

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いい加減トイレットペーパー騒動やめにしませんか

いい加減トイレットペーパー騒動やめにしませんか

いつもながらの大騒動

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 武漢肺炎ウイルス(新型コロナ)騒動に関し、今回、またしてもトイレットペーパー騒動が生じました。テレビなどの報道を見て、「なぜウオッシュレットなのにトイレットペーパー買いに走るのか」私にはまったく理解できません。和式トイレと違い、ウオッシュレットなら、トイレットペーパーなどほとんど必要としません。いや、必要としないはずです。男の私の場合、1回20センチもあれば十分に足りてしまいます。また、全くなくてもそれほど困りません。お尻が濡れたままパンツを穿けば、少々不快ですが、それでも穿いているうちに乾いてしまいます。要するに、何が何でもなければ困るというほどのものではないのです。
 もっとも、女性の場合、少し事情が違うかもしれません。公衆トイレなどで、女性トイレの方から、トイレットペーパーをカラカラと巻き取る音が聞こえることがあり、「どんだけ使うんだ」と思うことがあるからです。生理などのときは、かなりまとまった量を使うのかもしれません。でもそれだって、吸湿性に優れた、例えば今治タオルのようなものを用意しておいて使うようにすれば、トイレットペーパーがなくなっても代用できるのではないかと想像するんですが、ダメなんでしょうか。代用できるとすれば、慌てる必要はない、ということになります。
 いずれにしても、毎度のことですが、何かあるとトイレットペーパーで日本中が大騒ぎするというのは、もういい加減にしてほしい、というのが率直な気持ちです。テレビなどで騒動が報じられていたので、散歩がてら近所の大型日用品センターに立ち寄ってみました。予想通り、トイレットペーパーやティッシュペーパーの棚は、文字通り、スッカラカンでした。テレビの影響力の大きさに改めてびっくりした次第です。

慌てたことがない

 自慢じゃありませんが、私は、このような騒動の際、一度も慌てたことがありません。なければないでも済む、と達観しているからです。それがなくても死にはしない、いや厳密にいえば、なくても直接死につながるわけではない、と思っているからです。
 今回のマスク騒動も同じです。マスクなんて、なければないで済むと思っているので、全く不安はありません。それでも一応、マスクは持っています。ポケットに入れていますが、一つのマスクを使い続けています。いや、正確にいうと、ほとんどマスクというものを使いません。もちろん、人ごみに出るときは、ほかの人の迷惑にならないようにするため、一応、マスクを着用しますが、それ以外は、ほとんどマスクは使いません。よって、今回の武漢ウイルス騒動が生じてからでも、ただ一つのマスクを使い続けているので、全く買う必要がないのです。
 もっとも妻は、マスクや消毒液などを少しばかり買ってきて、玄関においてくれています。
 私は若いころから、常に、一歩引いて見る人間でしたので、モノ不足に際して、慌てるということは一度もなかったのです。

石油ショック時のパニック

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 トイレットペーパー騒動といえば、嘗て、第1次、第2次石油ショックの時にも同じような騒ぎがありました。「第一次オイルショック」時に、全国各地でトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起こり、一時、市場からトイレットペーパーが完全に姿を消したのです。パニックといってもよい状態になったのです。
 このときは、原油価格の高騰にともない、各種物資の不足が懸念されるなか、大阪近辺で「紙がなくなる」という噂が流れたのが発端でした。これがメディアを通じて拡散すると、噂を信じた多くの人々が、トイレットパーパーを中心に砂糖や石鹸などを買い占め、騒動が全国に拡大したのです。
 石油ショック時にこのような混乱が生じたのは、次のような連想から生じたものと思います。石油がなくなる→燃料がなくなる→生産ができなくなる→輸入も困難になる→生活用品が不足する→トイレットペーパーやティッシュペーパーなどがなくなる、という連想です。
 ところが、本当は、オイルショック時も、今回の武漢ウイルス騒動時も、日本における紙生産は安定していて、決してトイレットペーパーの生産に支障をきたしているわけではありません。今回は、何者かがSNSで、「マスクとトイレットペーパーは同じ材料からできている。だからトイレットペーパーもなくなる」、というデマ情報を流したことがきっかけだそうです。このデマのため、商品はあるのに大勢の人が一気に押し寄せたのです。

PCB汚染騒動

 昭和48年頃、PCB汚染騒動により、全国の寿司店が開店休業状態になるということがありました。小魚を中型の魚が食べ、それをさらに大きな魚が食べる。最終的にマグロなどの大型魚にPCBなど水銀が一番蓄積される。よって、マグロは危険である、というわけです。食物連鎖による食害というわけです。その当時は、有吉佐和子の「複合汚染」という書籍が話題になっていましたから、効果は抜群でした。
 私もこの本は読んでいましたが、一切この報道に惑わされることはありませんでした。魚類は日本人が昔から食べてきた食品であり、これが有害だというなら、日本人は世界中で一番短命でなければならない。しかし、そうはなっていない。海洋国家である日本人が、魚類を嫌い食べないなら民族としての存立はあり得ない。よってこれは報道が間違っている、と確信したのです。
 そのため、敢えて寿司店に出向いてみると、文字通り寿司店は閑古鳥が鳴いていました。当然ですが、文字通り大歓迎されました。安くておいしいマグロがたらふく食べられたのです。その後も、こんなに安くておいしく食べられる時期はもう来ないだろうと思い、しばしば寿司店に足を運んだものです。

コメ騒動なんてことも

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 平成5年頃、米騒動なんてこともありました。記録的な冷夏が原因でした。国内で栽培されていたコメが、記録的な生育不良のため、実態以上に恐怖心を呼び、市場が混乱したのです。冷夏になった原因は、フィリピンのピナツボ山の噴火によるものとされていました。
 コメ騒動が起きたので、政府は、外国産米を緊急輸入したりしました。タイから輸入したタイ米はまずい、異物が混入している、日本人の口に合わない、などといったことが話題になったりもしました。
 コメなどそんなに備蓄するものではありませんから、我が家でも、不足気味でした。でも、私自身は全く慌てませんでした。コメがなければ、パンでもいい。パンがなければうどんでもソバでもいい。それもなければスパゲッティでもいい。今の時代、食べ物なんていくらでもあるんだから、いくらでも対応できると思っていたからです。妻にも、「よその家で足りないなら、譲ってあげていいよ」と言っていました。
 私は、昭和18年生まれ、戦後の食糧難の時代を過ごしています。すいとんなどの味も知っている時代です。子供のころは、菜っ葉などの入った雑炊のことがご飯だと思っていました。兄弟を呼びに行くときは、「ごはんだよ」ではなく、「ぞーすいだよ~!」と大声で呼んでいました。ですから、コメがなくてもパンやうどんなど、代替食品があれば、何も困らない世代なのです。

福島放射能汚染

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 福島原発が水素爆発し、それが映像で流れた瞬間は本当に驚きでした。津波により第二電源が水没したことにより生じた被害でした。電力会社なんだから、第二、第三の予備電源くらい、水没しないようにきちんと確保しておけよ、と思ったものです。
 それはともかく、原発被害により、福島県産の農産物が放射能に汚染されているというデマが流布され、海産物だけでなく米や桃などの農産物が全く売れなくなりました。放射能検査を経て、安全性が確認されたにもかかわらず、です。
 私は、ヘソ曲がりなので、敢えて福島県産の桃を選んで食べました。通常ならひと箱3千円くらいする立派な桃がわずか千円程度で買えたんです。私と妻は喜び勇んで、わざわざ福島県産桃を選び、文字通りたらふく食べさせていただきました。今でもあの時の福島の桃の味は忘れられません。デマに惑わされない者の特権というべきでしょう。

過剰反応はもうやめよう

 私は、へそ曲がりの性格なのかもしれませんが、多くの人がワーッと押し寄せるときは、さっと身を引きます。今回も、前述したように、マスクなど一切買いません。でも妻には強制しません。妻は、マスクを洗って、使っているようで、室内に常に3個くらい洗ったものがぶら下がっています。前述したように、私も一応マスクは持っていますが、たった一枚のマスクをポケットに忍ばせ、必要なときだけ出して使っています。使いまわしているのです。
 ですから、マスク騒動やトイレットペーパー騒動を見ていると、何だか別世界のような気がしてしまうんです。お医者さんや工事現場などで防塵マスクを必要とする職業の人もいます。通勤電車で通うサラリーマンたちもいます。私も現役時代なら、毎日取り換えたかもしれません。これらどうしても必要とする人たちにまで供給されないというのは本当に気の毒です。
 でも、今、メディアなどで騒いでいるマスクやトイレットペーパー騒動、どうみても過剰反応です。国内で生産されているものは、少し待てば、具体的には10日も待てば必ず供給されます。慌てず騒がず、少し気を大きくもって、悠然と待ってみませんか。そうすると、世の中の景色はかなり違って見えますよ。賢い日本人が増えれば、こんなバカ騒ぎはなくなるはずです。東日本大震災時に見せた、逆境にでも耐えられる強い日本人を取り戻そうではありませんか。
(注:この記事を書いたのは3月6日ですが、今日3月16日、近くのカワチやジョイフル本田など大型店ではトイレットペーパーやティッシュペーパーは、購入数の制限付きながら潤沢に供給されていました。)

自己防衛も必要

 と、ここまで書いてきましたが、私はいざという時に備え、自己防衛することも必要だと思っています。日本は災害大国です。しかも人材以外、天然資源に乏しい国です。こういう国に住んでいる以上、常に、いざという時にどうするか、ということを頭の中にインプットしておくことが極めて重要です。
 今の時代、突然、何かの大変化が生じることは避けられません。阪神淡路大震災や東日本大震災など過去の大震災やPCB汚染、石油ショック、さらに今回のような武漢ウイルス問題など、予期せぬ事態は10年に一回程度発生しています。その時、世の中は今回と同じように大騒ぎをします。そしてその都度、生活必需品などに集中的な需要が発生します。

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 そういう場合に備えて、常に、1月分くらいのストックを持っておくべきだと思います。ティッシュペーパーやトイレットペーパーはもちろん、水や灯油も必要です。私は、いざという時に備えて、電源を必要としないマッチ点火式の石油ストーブも捨てずに持っています。また、薬も、降圧剤を1月分切らさないようにストックしています。薬をもらったらストックに回し、古い方から使うというやりかたです。緊急性はありませんが、整髪料やプリンタインク、歯磨き粉なども常に一本余分に買い、順次使っています。一本なくなったら一本補充する、という方式です。車のガソリンも、半分近くになったら、即満タンにするようにしています。サンデードライバー、いや365連休の身ですが、1か月以上給油できなくなっても大丈夫なようにです。日本人の多くは、太平の世に慣れ、いやなことを考えないようにしていますが、ホルムズ海峡封鎖や南シナ海における紛争は、日本にとって決して絵空事ではないのです。
 私は、停電への備えが極めて重要だと思っています。停電になれば、ランプ、いやローソクと懐中電灯の生活に戻るということです。台風時、1月近くに及んだ千葉の停電の際、オール電化の家が難渋したという話は有名です。水道も電気で稼働しますから、水も止まるでしょう。その時、トイレをどうするか、これは極めて深刻な問題です。私は、戸建て住宅住まいですから、いざとなったら、庭に穴を掘り、段ボールなどで囲って用を足すつもりです。
 しかし、高層マンションなどに住んでいる人たち、本当にどうするのでしょうか。自家発電が十分に機能すればいいですが、決して保証はありません。台風19号の時、多摩川沿いの高層マンションでさえ、エレベーターが止まったなんてことがありました。30階や40階に住んでいる住民は、おしっこの度に階段で1階迄下り、近くのコンビニで用を足すというのでは、とても生活は成り立ちません。負け惜しみでもありますが、私がマンションに住まない理由はそれです。その意味でも国の安全保障というのは、極めて重要な問題なのです。
 私たちは、10年に一度は、予測不能なさまざまな災危に「必ず!!」遭遇するものだということを前提に、生活設計をする必要があるのではないでしょうか。(R2・3・6記)

 

 

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