時事寸評 書評コーナー

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今すぐ国の借金をゼロにし、全国民に100万円ずつ配れ

今すぐ国の借金をゼロにし、全国民に100万円ずつ配れ

先ずはグラフを

 このタイトルを見ただけで、この筆者は、気が狂ったか、さもなければ誇大妄想狂か、どちらかだろう、と思うはずです。それはそうです。全国民に100万ずつ配れというだけでも狂気の沙汰です。加えて、今すぐ国の借金もゼロにしろだなんて、とてもまともな神経の持ち主とは言えないでしょう。でも、私は、きわめて真面目です。そして正気のつもりです。
 先ずは図1のグラフをジッと眺めてください。これは日銀のデータに基づくグラフです。このグラフは、1980年から2018年までの40年間におけるマネーストック(国民の現預金の総額)、国債発行残高、国民総生産(GDP)、国内銀行の貸出残高の推移を表したものです。

図1GDPグラフ
             
 このグラフから分かるように、国民の現預金の総額はひたすら右肩上がりで上昇しています。また、それに追随するように、国債発行残高も急激に上昇しています。他方、GDP(国内総生産)は、1990年ごろまでは緩やかに上昇しているものの、それ以降は、ほぼ横ばいに推移しているのがお分かりいただけると思います。
 更に、国内銀行の貸出残高は、1991年ごろまでは、右肩上がりに上昇しているものの、以後、横ばいに転じ、1998年ごろからは、逆に減少に転じ、その後下げ止まったものの、貸出残高が大きく上昇しているようには見えません。やっと20年前の水準にまで回復したかというレベルです。先ずは、きちんとこの現状認識を踏まえたいと思います。

各グラフの推移

 このグラフから分かるように、国民の現預金であるマネーストックは、常に右肩上がり。決して下降することがありません。これはなぜか。国民の現預金には、個人だけでなく、企業なども預金も含んでいます。個人は家を建てたり、不動産や車を買ったりするときに銀行ローンを組みます。企業も新規事業などを行う際に銀行から借り入れをします。これらの借り入れは、すべて有利子ですから、借りた額以上のお金を銀行に返さなければなりません。そのお金は、社会にあるお金をかき集めて払うことになります。このような行為を日本人全体で行うため、社会全体のマネーは膨らむことになります。これが、常に右肩上がりになる理由です。
 では、GDPはどうでしょう。GDPとは国内総生産のことで、一定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値の総和のことです。これには日本企業が国外で生産した付加価値は含まれません。モノやサービスの付加価値の総和ですから、景気が良ければその数値は増え、悪ければあまり増えない、ということになります。この図で分かるように、日本のGDPは、1992年ごろからほとんど伸びず、ほぼ横ばい傾向になっていることが分かります。この20年ほど、日本のGDPが伸びなかったというのは、実感とも合っていると思います。
 最後に、国内銀行の貸出残高はどうでしょう。これは、1991年ごろまでは右肩上がりに上昇してきましたが、その後横ばいに転じ、1999年ごろからは、逆に右肩下がりになっていることが分かります。その後横ばいとなり上昇に転じるものの、2018年現在で、やっと1995年頃のレベルに止まっていることが分かります。つまり、20年前とほぼ同額しか貸し出しをしていない、貸出額は伸びていない、ということです。

このグラフの意味するところは

 このグラフを見ればわかるように、銀行の貸出残高が横ばいになり、その後下降に転じたあたりから国債発行残高が急伸しています。つまり、マネーストックは、常に右肩上がりに上昇する一方、銀行の貸出残高が増えないため、ワニの口のように、益々その開きが大きくなっているのです。

画像の説明

そしてそのワニの口を塞ぐかのように、増えているのが国債発行残高です。これは伸びる一方のマネーストックの需要に応じきれない銀行の貸出残高の不足分を、政府が国債を発行し、その穴を埋めているのです。
 銀行の貸出残高が横ばいないし右肩下がりということは、何を意味するのか。それは「貸し渋り」や「貸しはがし」がある状態ということです。景気の下降局面で、回収不能になることを恐れた銀行が、貸し渋りや貸しはがしにより自己防衛を図ったということです。「銀行は雨の日に傘を貸さず晴れの日に傘を貸す」ということです。

デッドクロスは一度だけ

 上の説明で、ワニの口を埋めるため、国債発行で賄うと言いました。このような現象は世界中で起きています。世界共通の現象といってよいでしょう。つまり、国家は貧しい時代を経て豊かに国に成長していくのが普通です。貧しい時代は、すべてのモノが不足しています。食料や家具調度品など生活用品、社会インフラなど、ないない尽くしです。急激な資金需要に応じ、銀行の融資も拡大します。しかし、ある程度需要が満たされると、経済成長も鈍化し資金需要も減ります。こうして貸し渋りや貸しはがしが生じます。ワニの口が開いてくるのです。
 開いたワニの口を埋めるため、国債発行でこれを埋めていくことになります。したがって、戦争などで、国土が灰燼にでも帰さない限り、二つの曲線、国債発行残高曲線と銀行の貸出残高曲線は必ず交差することになります。この交点(仮に、この交点をデッドクロスと呼びます)が生じると、再度この交点が生じることはありません。マネーストックは常に上昇し、これに追随する形で国債発行残高は増えていくからです。
 以後、この二つの曲線は月に到達するまで(?)並行を維持しながら、延々と伸び続けることになります。

国債発行残高は借金なのか

 このように並行して走るようになったとき、財務省はこの国債発行残高を「国の借金」と表現し、「赤ん坊から年寄りまで、一人当たり850万円の借金を背負ったことになる。これ以上借金を増やしてはいけない。子や孫の世代までツケを残してはいけない」と警鐘を鳴らすのです。財務省の主張する「財政健全化」「プライマリーバランス論(PB)」はすべてこの論によるものです。
 これは決して財務省だけの論理ではありません。権威があるとされる多くの経済学者やマスコミもほぼ同様の論理を展開しています。そして、つまるところ持続可能な社会を維持するためには、「消費増税が必要だ」、という結論に至るのです。
 しかし、これらの論法は、次の2点で根本的に間違っています。
①国債の発行残高は、国民の借金ではなく、国民の資産です。国債は、政府の発行したものであり、それを購入した銀行や市民が債権者になるのは理の当然です。
②自国建通貨による借金では、論理上、絶対に破綻しません。
 この2つの基本認識が違うことから、いつまでたっても、新聞紙上などで「国の借金」とか「国民一人当たりの借金」という表現が出てくるのです。この当たり前のことは、賢明な財務省は百も承知のはずです。消費税を上げたいがため、敢えて知らぬふりをして財政危機を煽っていると考えるべきなのでしょう。

そもそも返済可能なのか

 国の年間予算は約100兆円(正確には102兆6580億円)です。内、新規発行国債費は約32兆円です。積もり積もった国債発行残高は、約900兆円(他に地方200兆円あり)です。
 この900兆円という額、仮に返済することとした場合、本当に返済可能な額なのでしょうか。国の予算は、100兆円ですから、単年度で返済することなどありえません。では、毎年20兆円ずつ返済すると仮定しましょう。
20兆円×45年=900兆円ということになります。
 毎年、20兆円ずつ返済していけば、これまで積もった国債という借金はゼロになります。しかし、これには新規発行国債費が入っていません。国の予算において、毎年、国債費が30兆円ほど計上されています。毎年、国債発行残高が30兆円ほど増えているのです。900兆円を減らすためには、国債の新規発行をゼロにするだけでなく、更に、毎年20兆円ずつ返済していく必要がある、ということになります。つまり、年予算額100兆円から30兆+20兆円=50兆円を減額し、毎年、50兆円の予算を組んでいく必要がある、ということになります。
 このようなことが現実に可能なのでしょうか。絶対にありえません。絶対にありえないからこそ、考えられた案が「MMT理論」、ということになります。MMT理論は、一言でいえば「自国通貨建てで借金している国は、いくら借金をしても破綻することはあり得ない」という理論で、ニューヨーク大学のケルトン教授の唱える理論です。
 基本的には、私もこの理論を支持しています。しかし、この理論によれば、国家破綻はないが、マネーストックと国債発行残高が並行したまま(Bゾーンのこと)、お月様まで伸びて行ってしまう、ということになります。この点で、この理論的に若干の疑問を感じていました。

大西つねき氏の理論に賛同

 そこで行き着いたのが、大西つねき氏の唱える理論です。氏は、「そもそも返せないものは借金とみなすべきではない」と言い、国債発行残高を「借金ではないものに入れ替えるべき」と主張します。借金と考えるから「利息」という概念が生じる。借金でないと考えれば利息の概念は生じない、というわけです。

画像の説明

 大西氏は、これまで生じた国債発行残高をすべて政府通貨に置き換えてしまえ、と言います。つまり、現行制度上、政府は紙幣を発行することができませんので、政府硬貨を発行すればよい、というわけです。例えば、一個1兆円の硬貨を900枚作れば、900兆円になります。国債ではないので、直接、日銀に引き受けさせることも可能です。
 日銀は、直ちにこれを金庫に保管する。誰かが盗んでも使いようがありません。1兆円の硬貨なんて実用性がない(お釣りも出せない)からです。日銀の金庫に保管された900兆円の硬貨は日銀の資産ですから、日銀の貸借対照表では、資産の部に計上することになります。
 他方、硬貨として支払った政府は、貸借対照表上、これを負債として計上することになります。
 政府と日銀は、統合政府として、資産と負債を同時に消すことが可能(民間企業の連結決算と同じ)ですから、その瞬間に国の借金も日銀の資産もゼロになります。日銀は900兆円の硬貨を残しておくことは構いませんが、連結決算上は、相殺されて相互にゼロとなります。
 政府は、硬貨の代わりに紙幣として発行することも可能ですが、紙幣だと、政府に発行権限がありませんから、一度、民間銀行に引き受けてもらい、再度、日銀が全額買い取る必要があります。でも、これは現行制度上の障害ですから、国会で法改正をし、政府にも紙幣の発行権限を付与するか、あるいは、日銀の直接引き受けを認めればすむ話で、制度上の問題にすぎません。

お金はただの紙切れ、数字にすぎない

 大西氏が主張するように、お金というものは、所詮、電子データとしての数字にすぎません。この数字にすぎないものを私たちの先人は石で代用したり、金で代用したり、紙で代用したにすぎません。そのお金も、今は、カードやQRコードで代用できるようになりました。中国では、乞食でも、首からQRカードをぶら下げて物乞いをしていると言われます。
ですから、私たちは、このようなお金というものに振り回される必要などないのです。本当に大事なものはお金ではなく、お金で交換できる「実体価値」にこそ価値があるのです。この実体価値は、人が時間と労力を使って生み出すモノやサービスであり、貴重な資源を有効に活用することです。
 このように考えてくるならば、お金そのものに価値を見出すのではなく、今、私たち国民にとって何が必要なのか、という原点に立ち返って物事を考える必要があります。つまり、既に述べたように、国の借金に振り回されるのではなく、消せるお金は消し、必要する国民のためにお金を配る、ということが重要です。

今すぐ全国民に100万ずつ配れ

画像の説明

 私はこのコーナーで、「いますぐ全国民に100万円ずつ配るべき」と主張してきました。私が論拠としたのは、日本は世界一の金持ち国であるのに国民にはその実感がないことが原因でした。日本は世界一の対外純資産340兆円も持っているのに、国民にはその実感がないのです。確かに、国民の平均年収は360万円(年収の中央値)程度にすぎません。この程度の年収で世界一の金持ちと言われても、到底実感できるわけがありません。しかも、アメリカはトランプ大統領の大盤振る舞いにより、新型コロナ対策として、2兆ドル(約200兆円)の経済対策を打ち出しています。ドルの大量発行はドル安を招きます。その反動で円高になります。せっかくため込んだ対外純資産はこれによって大部分消えることになります。消えてしまうなら、この際、国民に配ってしまうほうが有効だ、ということです。
 これに対して、大西氏は、財務省が赤字だと称する国債発行残高分に相当する硬貨(又は紙幣でも可)を発行し、日銀に買い取らせ、政府の借金と相殺してしまえ、というのです。
 この考え方は、余りにも斬新であるが故、賛同する人は少ないかもしれません。特に、財務省や既存の経済学者、マスコミみなどは一斉に反発するでしょう。なぜなら、これまで主張してきたことが根底から崩れてしまうからです。天動説から地動説に変わるほどの大転換になるからです。でも、論理的に間違っていません。間違っていないどころか、極めて全うです。財務省や多くの経済学者、マスコミは、天動説に拘り過ぎていたのです。お金というのは、所詮、紙切れ、数字にすぎないのです。国民全員の預金口座に、100万円という数字を記入するだけで、すべて解決するのです。国民全員が全額現金で引き出すなんてこともありません。不足しそうになったら、日銀が印刷して準備すればよいのです。

財務省も本当は破綻しないと断言

画像の説明

 財務省は、嘗て国債の格付け機関であるムーディーズとS&P(スタンダード&プアーズ)が日本国債の格付けを引き下げたことを不服として、文書で次のように反論したことがあります。

外国格付け会社宛意見書要旨等について(2002・5・3)

◆  ◆  ◆

 貴社による日本国債の格付けについては、当方としては日本経済の強固なファンダメンタルズを考えると既に低過ぎ、更なる格下げは根拠を欠くと考えている。貴社の格付け判定は、従来より定性的な説明が大宗である一方、客観的な基準を欠き、これは、格付けの信頼性にも関わる大きな問題と考えている。
 従って、以下の諸点に関し、貴社の考え方を具体的・定量的に明らかにされたい。

(1)日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。
(2)格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。
 例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。
・マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国
・その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている
・日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高


(筆者:注)更に、同文書では次のようにも述べ反論しています

(1)日本国債は現在95%が国内でかつ低金利で消化されている。また、2001年は、一般政府部門の赤字32兆円に対し、民間の貯蓄超過は42兆円である。更に、当面経常収支の黒字は継続し、資本逃避のリスクも大きくない。従って、資金フロー上の制約はない。
(2)近年自国通貨建て国債がデフォルトした新興市場国とは異なり、日本は変動相場制の下で、強固な対外バランスもあって国内金融政策の自由度ははるかに大きい。更に、ハイパー・インフレの懸念はゼロに等しい。

 このように、財務省は、外向けには日本の財政は健全だ、デフォルトの心配などない、ハイパーインフレの懸念もゼロに等しい、と言っているのです。にもかかわらず、同じ口で国内向けには、日本の財政は大変だ、増税をしなければ財政破綻する、などと真逆のことを言っているのです。私たちは、先ずこの事実をしっかり押さえておく必要があります。

諸外国にも適用可能か

 では、このような考え方は、すべての外国にも適用可能なのでしょうか。可能ではありません。可能でないから、これまで多くの国が財政破綻(デフォルト)しました。アイスランド、アルゼンチン、スペイン、ギリシャなどです。アジアでもアジア通貨危機として、韓国、タイなどが通貨危機に見舞われ、IMFの干渉を受けました。これらの国は、いずれも自国通貨建てで借金したわけではないので破綻ないし財政危機を招いたのです。
 それに対して、日本は、自国通貨建ての国です。1,000兆円借金があるといっても、この借金は、国債として日本国民に買ってもらったものです。その返済が必要だというなら、同額分の紙幣又は硬貨を発行して支払えばよいのです。国には、「通貨発行権」があるからです。また国には「徴税権」もありますから、同額の徴税をして払う方法もありますが、そんな徴税をしたら、経済が死んでしまいます。多くの国民が重税に耐えられず死んでしまうでしょう。
 このように、自国通貨建ての借金は、事実上、借金とは言えず、いつでも返済可能な数字上の負債なのです。数字上の負債を残しておくのが嫌なら、文字通り、国債発行残高と同額の硬貨を発行して日銀に交付し、日銀は金庫に保管します。そして、政府は即座に相殺して、消してしまえばよいのです。
 このように、国は、今すぐに国の借金(正しくは国の借金でなく、政府の借金)と言われる国債発行残高を消すと同時に、いずれ円高によって失われるであろう対外純資産約340兆円のうち、120兆円分を国民に配分することが可能なのです。
 国民全員に100万ずつ配れば、経済は大いに活性化し、そのことによって税収増、GDPの向上、雇用の拡大など、さまざまな経済指標も向上します。そして、それが行き過ぎて、仮に、インフレになりそうになれば、そのときこそ経済の引き締め、すなわち貸出金利の引き上げ、消費税率の引き上げなど行えばよいのです。今こそ、天動説から地動説へ思考の大転換を図るべき時です。そして文字通り、世界一の金持ち国の恩恵を国民みんなで享受しようではありませんか。そのためにはお金というものに対する考え方、お金はただの紙切れ、電子データにすぎないと思考を変えるだけで実現できることなのです。(R2・9・27記)

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