時事寸評 書評コーナー

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日本にも電気自動車の時代があった

日本にも電気自動車の時代があった

歴史の真実

薪自動車

 日本にも電気自動車の時代があった、なんて言うと、殆どの日本人はあっけにとられるはずです。79歳の私でさえ、この話は全く記憶にないからです。私の子供の頃の記憶は、ガソリン車のみです。しかも、そのガソリン車というもの、ボンネットの前部にクランク・ハンドルなるものを差し込み、右回転させ、始動させるという代物でした。もちろん女性の力では始動させることはできなかったはずです。
 その程度の性能ですから、冬の寒い時期には、容易にエンジンがかかりません。やむなく4,5人で車を押し、やっとエンジンがかるというレベルのものだったのです。私の家には車はありませんでしたが、寒い冬の朝、この後押し作業にはしばしば駆り出されたものです。
 勿論、その後、ガソリン車は急速に性能が向上し、大衆に普及するようになりました。それでも、塩原(温泉)の山を登りきらない、というレベルの性能でした。ですから、塩原の山に登れるようになった、という情報は、子供心にも、日本の自動車は素晴らしい性能になったものと感心したものでした。自動車というものは、ガソリンで走るもので、それ以外の燃料で走るものという認識は一切なかったのです。もっとも、大東亜戦争(太平洋戦争)時代、マキ自動車というものも使われていたようです。マキというのは、文字通り「薪」で焚く自動車のことです。父の軍人時代の写真にその光景が載っています。しかし、戦後、この薪自動車が走っているのを見た記憶がありませんから、余りに燃費が悪く、一般には普及しなかったのでしょう。

電気自動車がそれ以前にあった

画像の説明

 ところが、日本には、戦前から電気自動車の時代があった、というのです。これは、私にとって驚愕の情報です。それを知ったのは、船瀬俊介氏の著書「EVガラパゴス 周回遅れの自動車産業に明日はない」です。
 しかも、当時の電気自動車、性能も抜群だったというのです。同書の記述によれば、「電気自動車によるスピードへの挑戦も果敢に行われた。1894年には、電気自動車が初めてレースに登場。さらに99年、フランスのC・ジェナツィの制作した紡錘形電気自動車は1キロの距離を時速106キロで疾走。世界で初めて時速100キロを突破した記念すべき自動車となった。」と記されています。
 1899年ということは、今から123年も前のことです。そんな遥か昔に、電気自動車が100キロ以上のスピードで走っていた。到底信じられない驚愕の事実です。
 その証となるエピソードとして、1900年にアメリカ製電気自動車が、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)にも献上され、日本も電気自動車の輸入を開始、日本自動車株式会社が電気自動車の試作に着手していたというのです。
 このように日本にも電気自動車の時代が到来し、1921年にはドイツ製の小型EV6台が東京郵便局で採用されるなど、日本でもEVブームが到来していたのです。1924年には神戸高等学校では、教官・学生たちがガソリン車を改造して、小型EVを試作、27年には4人乗りの本格EVまで完成させたという記述もあります。自動車業界もこのブームに乗り、中島製作所、湯浅電池など大手3社は、電気バスの試作車を完成させ、名古屋郵便局で実際に導入、運用されていたというんです。
 このようにして、日本でも電気自動車が広く運用されるようになり、電気利用技術研究所の報告書によれば、その実情が次のように記されています。
「国産初のEVは日本自動車によって1911年に試作された。その後、第二次世界大戦後の1949年にオンロードEV(公道を走れる車)の保有台数が総自動車台数の3%(3,299台)を占めるまでに達した」。

EVを潰したのは誰か

ロックフェラー

 このように、日本にもEV時代が到来し、本格的な普及に拍車がかかろうとしていたのです。ところが、今の日本人には、このような記憶が全くありません。なぜか、それは、このEVを消し去ろうとした勢力が存在したからです。
 それは、誰あろう、アメリカです。具体的には石油王ロックフェラーの存在です。戦後、日本は敗戦国としてGHQの占領下にありました。GHQの言うことは絶対だったのです。
 それまで電気自動車は国民の熱い人気と期待を集め、商工省すら助成をしていたのに、突如、街頭から電気自動車は姿を消し始めるのです。そのうえ、「道路運送車両法」からも、電気自動車の項目が削除されてしまったのです。
 もちろんこれをやらせたのは、アメリカの闇の勢力、それを代表するイルミナティ、フリーメイソン、ディープステート(DS)たちです。特に、石油王ロックフェラーは、石油を使わない電気自動車など許すはずがありません。
 こうして、日本は、EVを捨て、ガソリン自動車の生産に邁進し、高度成長期、日本は世界第2位の経済大国となるなど、日本の繁栄を築きあげたのです。

そして今、日本はEV後進国に

 その後、日本の自動車産業はどうなったか。EV業界においては、2017年(平成29年)、世界のメーカーは一斉にEV開発に猛然と突き進みました。なぜか、石油王デービッド・ロックフェラーが亡くなったからです。彼がいなくなれば、もう怖いものはない、というわけです。しかし、日本のメーカーは、その時点でもスタートラインに立とうとはしませんでした。EV事業は、地球温暖化という壮大な虚偽または誤解に基づくCO2削減対策として、打ち出されたものだったからです。
 私も、この温暖化対策は、地球規模の虚偽捏造に基づく政策であり、ガソリン車に勝てない中国の陰謀である、と強い疑念を抱いていました。いや、今でも疑っています。
 しかし、現実の世界は、このような思惑を吹き飛ばし、EV化に雪崩を打って突き進んでいます。もはや、日本一国のみがガソリン車に固執することは許されないのです。
 EVの世界では、イーロン・マスク率いるテスラであり、中国の自動車メーカーも、激しく肉薄しています。
 EVの性能は、格段に向上しており、もはやガソリン車を凌ぐレベルに達しています。
 彼らが開発・獲得した技術はすでにはるか遠く、日本を凌駕しています。その姿は、落ちこぼれ日本、の象徴のようにもなっているのです。

実は30年前日本に幻のEV「IZA」があった

清水浩

 30年前、日本にもすばらしい電気自動車「IZA」があった、ということをご存じでしょうか。不覚にして私も全く知りませんでした。
 このEV自動車は、最高時速176キロ、1充電の航続距離548キロ、これは当時の世界最高記録です。しかもこのEVの電池はニッケル・カドミウム性。これを現在主流のリチウム電池にすれば航続距離2000キロです。燃費も、リッター62キロ。この車格のガソリン車なら燃費が良くてもリッター15キロ程度です。いかにこのIZAの性能が優れていたかが分かります。しかも、この車、試作車ではなく、市販車なのです。ナンバープレートもしっかりついています。
 さらに驚くべきは、この車、たった一人の人間が開発したものだったのです。東北大学工学部大学院、博士課程を修了した清水浩という人物です。その後国立公害研究所や慶応大学成就などを経て、現在はEVベンチャー企業e-Gle(イーグル)の代表を務めています。
 彼は、開発当時、大量生産すべく自動車メーカーに働きかけをします。実証データを論文にまとめ、メーカーに働きかけをしますが、いずれもノーの回答だったというのです。この本の著者、船瀬俊介氏も当時、このIZAが日本の将来を繁栄に導くと確信し、東奔西走し、メーカーに働きかけを行ったというのです。

船瀬俊介

 しかし、当時のメーカーは、すべて「ノー」の回答だったというのです。日産に働きかけたときは「余りにも性能が良すぎます」というのが回答だったというんですから驚きです。ホンダの本社に乗り込んで説明しますが、メガネの女性広報部長が「さっきからイザ、イザとおっしゃっていますが、イザって一体なんですか?」という反応だったと述べています。当然、天下のトヨタにも売り込みをします。しかし、当時のトヨタもEVの研究はしていたが、走行距離60キロ、バッテリーは鉛、というレベルで、話にもならなかったいというのです。
 その後、清水浩氏は慶應大学に教授待遇で移り、超未来型EV、ルシオール、KAZ、エリーカなどを制作し、世に発表します。エリーカなど8輪駆動で直線なら最高速度400キロという性能です。
 しかし、このような高性能のEVも、石油王ロックフェラーによって抹殺されます。アメリカでもGMなどによってEV車の開発が進められていましたが、石油王によって圧殺されます。すでに大量生産されていたEVは強圧的に回収され、スクラップにされたのです。当時のジョージ・W・ブッシュ大統領も、燃料電池車(FCV)に12億ドルの補助金を出す、としてEV潰しに加担します。
 このようにして、日本でもアメリカでも、EVは抹殺されますが、石油王ロックフェラーの死によって、再びEVにスポットライトが当たることになるのです。
 しかし、それでもなお日本は、トヨタに代表されるように、EVの開発は大きく出遅れてしまいました。トヨタの豊田章男社長も「完全EV化で原発10基が新たに必要になる」とか「EV化してもCO2削減にはならない」と、EV化には完全に後ろ向きの姿勢を示していました。地球温暖化に疑問を抱く私も、個人的にはこの豊田社長の意見に賛同していました。

トヨタの大変身

豊田社長

 しかし、現実の世界は、温暖化懐疑派の思惑などと無関係に、猛烈な勢いでEV開発競争が行われています。高速道路での事故や渋滞をなくし、交通量を10倍に増やすとか、AI操縦のスカイEVが登場したり、燃費50分の1の電気飛行機が登場したりと、空飛ぶ自動車ラッシュの時代が到来しつつあるのです。大きな潮流となった大河は、もう何人も止めようがないのです。
 このため、ついに豊田社長も方針を大転換します。2021年12月14日、トヨタが突如赤、青、黄、シルバーのEV16車種を発表したのです。EVの世界販売台数を2030年に350万台に増やすとの目標も発表します。高級ブランド「レクサス」も35年までにすべてEV化するというのです。そして、EV開発のため4兆円の投資を行うと宣言します。まさになりふり構わぬ大変身です。
 ホンダも2040年までに世界で販売するすべての新車をEVと燃料電池車(FCV)にするとの方針を発表しました。スズキもインドにEV向けの電池工場を1200億円投じて新設するとの方針を公表しました。
 このようにして、日本の各メーカーは、EV時代に乗り遅れまいと覇を競っていますが、30年前、前述したIZAの量産化を進めていたなら、日本はEV先進国として世界に君臨できたであろうことを思うと、返す返すも残念でなりません。(R4・8・31記)

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