時事寸評 書評コーナー

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少子高齢化をむしろ日本の僥倖とせよ

少子高齢化をむしろ日本の僥倖とせよ

少子高齢化を嘆くことなかれ

 近年、日本は少子高齢化が大きな国民的課題とされてきました。15歳から64歳の生産年齢階人口が減少し、日本の国力が低下しつつある。そのため、日本経済は次第に活力を失い衰退していくばかりだ、というわけです。

出生数推移

 このため、歴代の政権は少子化担当大臣を置き、その対策を講じてきました。しかし、わざわざ直属の担当大臣を置くことによって、少子化が抑止され、日本経済は明るくなったのでしょうか。
 私には、到底そのようには見えません。担当大臣を置いたから、子供を多く産むようにはなっていないのです。一人当たりの国民所得が向上し、可処分所得は増えたでしょうか。経済の明るい見通しはできたでしょうか。すべてが明確にYESと言える状況にはありません。
 例えば、出生数です。2023年の厚労省の調査によれば、出生数は約75万8千人で過去最少を記録しました。子ども家庭庁を作り、ベビーシッター割引券を発行するなど、場当たり的な政策を打ち出すも、一向に効果をあげていないのです。

移民政策は誤り

 岸田政権は、少子化対策の一環として、外国から多くの労働者を入れることにより、雇用問題を解決しようとしています。経団連など、経済界からの要請に応えたものです。しかし、労働者不足を補うために積極的に外国人を受け入れることは、長期的に見れば、決して日本の社会にプラスにならないということは、ヨーロッパの先例を見れば明らかです。既に、日本国内でも埼玉県や群馬県、大阪府、北海道など、多くの外国人を受け入れている自治体に、その悪しき兆候が表れています。
 つまり、文化、歴史、伝統はもちろんのこと、生活習慣などすべてが異なる民族を大量に受け入れることは、社会に大きな混乱と軋轢を引き起こし、日本を住みにくい社会に変容させることを意味するのです。岸田政権は、先ず、この出発点から間違っています。岸田首相は8月29日、年間30万人の外国人留学生の受け入れを目指す政府目標を抜本的に見直し、「更に増やすための計画」(!!)を策定するよう指示しました。
 もっと外国人を受け入れよ、というわけです。

住みよい社会に向けた大きな展望が必要

 為政者には、この少子高齢化社会に向けた大きな展望が必要です。どのようにすれば、「安全で豊かで住みよい社会」を実現できるのか、という視点です。安全の問題は、国防や災害対策などで重要ですが、長くなるので、ここでは論じないことにします。

可処分所得

 豊かで住みよい社会とは、第1に、「経済的に豊かであること」が必須要件です。経済的に豊かでなければ、消費活動の範囲が狭まり、自由な行動も制限せざるを得なくなります。精神的にも疲弊します。
 経済的に豊かな社会を作るにはどうすればよいのか。それはつまるところ、「一人当たりの可処分所得を増やす」ことに尽きます。この可処分所得は、右のOECDのグラフで示すように、過去10年で見ても、日本だけが急激に負担率が増大しているのです。実質的には、急激に貧しくなっているということです。これでは結婚して子供を育てよう、という気になれないのは当然です。少子化担当大臣を置いて、対策を講じているということの偽善性は明らかです。
 第2に、「住みよい社会」とは、治安が良く、生活基盤が整い、安全で災害に強いといった条件の整った社会ということでしょう。日本の場合、欲を言えばきりがありませんが、他の諸国に比べ、比較的実現されている方でしょう。テレビ番組の「ぽつんと一軒家」といった特別な環境でもない限り、社会の隅々まで最低限の公共公益施設、インフラは整備されています。テレビやラジオ、インターネット環境も整備されています。夜道を女性が一人で歩ける、なんていう国は日本だけでしょう。
 第3に、真に豊かで安定した社会を実現するためには、食糧、資源、エネルギーといった問題も重要です。日本は人的資源以外に見るべき資源がない国とされてきました。これらの活動資源が枯渇すれば、日本は干上がってしまいます。現在は、勤勉で真面目な日本人の労働力に支えられ、経済力によりこれらを調達することができています。しかし、少子高齢化の進んだ将来、本当にこれらを調達することが可能なのか、真剣に考える必要があります。
 以上のことを総合的に見るならば、日本の進むべき方向性、将来像がおぼろげに見えてくるのではないでしょうか。

可処分所得を増やす

 第1の、個人の使えるお金、可処分所得を増やすにはどうすればよいのか、という問題です。
 そもそもお金ってどうすれば増えるのか、誰がお金を増やしてるいのか、ということを考えてみます。お金は財務省が増やしているわけではありません。実は、お金は銀行が増やしているんです。取引口座のある顧客が「融資」という形で銀行に借り入れを申し込み、銀行が信用調査を行い、返済の見込みがあれば貸す。その結果、借り入れた人の口座に「1千万円」「10億円」と記入すれば、その瞬間にお金が増えるんです。借りた人はそのお金で工場や人件費に充当し、収益をあげて返済に充てる。事業が軌道に乗れば、更に融資の増額を希望する。このような図式でお金は増えていきます。
 個人の場合も同じです。サラリーマンが家を建てたりする場合、銀行にローンを申請します。勤めている会社が倒産でもしない限り、20年、30年先にはローンは完済されます。この場合も、サラリーマンの預金通帳に、1千万とか2千万円の預金額が記載されるだけで、その場で現ナマがドンと渡されるわけではありません。
 つまり、各自の通帳に預金額が記載されるだけで、世の中のお金の総量はどんどん増えていくのです。このようにして世の中に出回るお金の総量は増えていきます。
 返済の場合はその逆です。企業が1億円の借金を返済するためには、世の中から1億円分をかき集めなければなりません。ということは世の中に流通するお金の量が減るということです。つまり、世の中のお金の総量は減るので不景気になるということです。
 このことを客観的に見れば、金融機関がどんどんお金を貸し出せば、日本経済は豊かになっていく、ということです。決して財務省がどんどん輪転機を回してお金をばらまくから、景気が良くなるわけではないのです。
 ならば、世の中のお金をどんどん回すようにするにはどうすればよいのか。それは国民がお金をどんどん使えるようにすればいい。つまり国民がどんどん消費をすれば、それを生産する企業は設備投資をして生産力を増加させます。生産設備を増やすためには銀行からお金を借りる必要が生じます。企業がどんどんお金を借り生産設備を増強すれば、労働力が更に必要になり、売り上げも上がり賃金も上昇します。賃金が上がれば、家計が潤い、再び消費が促されます。このようにして、経済活動が活発になり、企業も家計も潤い、税収も伸びます。正の景気循環が起きるのです。
 このような正の経済循環が起きるためには、最初に国民の消費が促進されなければなりません。企業は売れないものを作るわけにいかないからです。しかし、現状では、30年以上もの長期に亘って、家計の可処分所得は増えていない。よって消費は促進されず、企業の投資も促進されず、賃金も上昇しない。このような閉塞した状態が延々と続いているのです。

財務省の財政健全化路線が最大の足枷

 なぜ可処分所得が増えないのか。その根本原因は、国の財政政策にあります。国民が消費をしようとすると、それを抑えるように「消費税率」を引き上げてきたのです。消費をするたびに罰則として往復ビンタを食らうようなものです。これでは消費は盛り上がりません。経済発展の萌芽が見えそうになると、すぐさま消費税増税を繰り返してきたのです。
 財務省の論理は、森永卓郎氏がその著「ザイム真理教」で述べたように、「財政健全化」です。世の中で一番大切なことは「国の財政を健全化」することであり、このことがすべてに優先されなければならない、という論理です。
 つまり、彼ら財務官僚の頭の中には、経済が発展することよりも、財政を健全化することの方がはるかに重要だ、という抜きがたい信念があるのです。財政法4条に定める「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入をもって、その財源にしなければならない」という文言を金科玉条としているのです。この財政法は、終戦後、占領軍として日本を支配したマッカーサーの統治下で制定された法律です。財務省は、この法律に縛られているのです。この「収入の範囲で支出せよ」という論理は、家計ではそれなりの合理性をもっています。しかし、家計と国の財政は根本的に違います。

家計と国の財政の異なる点

①国は、必要に応じてお金を印刷し、又は国債を発行する権限がある
②国が必要とするお金を税金という形で国民から強制的に徴収することができる
③国は国民を豊かにするという政治的社会的義務がある

 このように根本的に違っているのに、財務省は、常に国の借金は1200兆円を超えた。一人あたりに換算すれば、1000万円以上の借金を抱えている計算になる。こう言って国民に緊縮財政を強い、同時に消費増税を繰り返してきたのです。
 常識で考えれば分かるように、「消費税を10%から5%に下げる」だけで、消費者は喜び、消費が活発になります。その結果、「逆に、税収も増える」という極めて単純な論理が理解できないのです。いや、知っていながら実行しないのです。
 財務省は総力を挙げて、財政健全化という錦の御旗を掲げ、「積極財政派」の議員たちを封じ込めてきたのです。言うこと聞かない議員には「税務調査」という陰険な手段で、ねじ伏せてきたのです。
 その結果、30年以上もの長期に亘り、日本経済は低迷し続けてきた、というわけです。財務省こそが、日本社会に取り付いた「がん細胞」と言うべきなのです。

技術革新で対処するのが本筋

完全誤り

 財務省の悪口ばかり言っていても始まりません。彼らの信じる頑迷固陋な「ザイム真理教」は、森永卓郎氏も言うように、宗教であり、長年信じてきた宗教の咎を取り去ることは容易ではありません。省益という様々な利得が纏わりついているからです。では、日本がこれからの少子高齢化を生き残るためには、何をすべきなのか。
 それは「技術革新」です。かつて「産業革命」によって、新たな時代が形成されたように、日本で「令和の産業革命」を起こすのです。少子高齢化を嘆くのではなく、少ない労働力でいかに生産力をあげるかに注力すべきなのです。前述したように、外国人労働者の大量受け入れは、短期的には安上がりでも、将来、社会的な軋轢や社会保障費の負担など、大きな代償を払わなければならなくなります。それよりは、日本の優れた技術力を向上させ、現有の人口だけでも十分に対応できるようにしていくべきなのです。
 これまでも日本は、勤勉な労働者による技術力の向上で省力化を図ってきました。嘗て花形だった電話交換手もいません。改札口の切符切りの駅員もすでにいません。一列縦隊に並んで一斉に行う田植えの風景も既にありません。社会のあらゆる分野で、省力化のための技術革新が進んできたのです。工場での生産だって、ロボット化が大いに進んできました。農業や土木・建築など社会のあらゆる分野で省力化を進めてきたのです。タクシーの運転手でさえ、近未来では無人になるでしょう。
 このような機械化・省力化の技術は、正しく日本の得意とする分野です。そして、これら機械化・省力化を阻害する様々な法制度についても、この際、抜本的総合的に見直すことが必要です。

少子化のメリットにも注目する

 少子化には、メリットもあります。一例を挙げます。少子高齢化に伴い、全国の農家は後継者不足に悩んでいます。農業をする後継ぎがいないのです。後継者がいない、と嘆きながら、国はその農地を自由に売買することができないよう強く規制しています。農地法によりがんじがらめにしているのです。農業をやりたいという若者は全国に沢山いるのに、農家の生まれでなければ農地を買えない、などというおよそ時代遅れの法制度が残存しているのです。
 その一方で、休耕田として「コメを生産しなければ補助金をやる」などというとんでもない政策が今なお残存しているのです。米やエネルギーは、いざというときに日本人の命を守る重要な資源です。その重要な米を作らなければお金をあげる、など論外の政策というべきです。余るほどのコメができるならば、米菓にするとか、食糧として牛馬の飼料に混ぜる。あるいは輸出に振り向けるなど、いくらでも対策はあるはずです。コウロギ食を喧伝するより、余程まともな政策です。
 その一方で、農水省は日本の食料自給率はカロリーベースで38%(生産額ベースでは58%)だなどと、食糧自給率の低さを喧伝し危機感を煽っています。全く政策に一貫性がありません。少子高齢化の今こそ、意欲と能力のある若い労働者に、農業を任せる大胆な政策こそ必要なのです。地方活性化にも寄与するではありませんか。

エネルギー政策でも

馬鹿な大人

 エネルギー政策でも、日本は大きな過ちを犯しています。温暖化という地球規模での誤った情報操作により、世界は翻弄されています。地球温暖化こそ正義、という論調が世界を支配しているのです。しかし、冷静に地球規模での気温変化を見れば、今は寒冷化に向かっている中での「中休み」という段階における「一時的な温暖化」にすぎないのです。温暖化により、北極や南極の氷が溶け、北極熊が減少しツバルが沈む。こういった論が誤りであることは、冷静に客観的データを見ればすぐに分かることです。

▶▶▶国際環境経済研究所「シロクマは実は増えている」

 こういった世界的世論操作の陰に、年端の行かないグレタ嬢や北極熊が用意されました。鼻にストローがささったウミガメなども、社会的インパクトのある演出物として用意されました。次の映像を見れば分かるように、ウミガメがわざと自分がストローを鼻に刺すのも不自然だし、引き抜く方法もすぐにできることを、わざわざ時間をかけて苦しむようにしているようにしか見えません。要するに、地球温暖化を悪として演出するために作られた作為的映像なのです。
 これらの世界的規模での虚偽に対して「王様は裸だ」と誰も言わない。いや、トランプ次期米国大統領候補は、既に王様が裸であることを見抜き、大統領に就任したら「即刻パリ協定から離脱する」と明言しています。

▶▶▶鼻にストローが刺さった映像

 こういった地球規模での虚偽は、これまで何度も繰り返されてきました。私の若かりし頃、世界の叡智を集めたローマクラブが「石油は今後30年で枯渇する」と述べ、世界を震撼させたこともあります。しかし、この説も誤りであったことは既に証明済みです。年数が経過するほど石油の残存埋蔵量は増えているのです。「世界の叡智」などというのは、その程度のものです。
 ダイオキシンは猛毒だ、などという言説もありました。ゴム焼却炉から排出されるばい煙に猛毒のダイオキシンが含まれている、として久米宏のニュースステーションで大々的に報道したことがあります。このため、全国のごみ焼却場の排斥運動が起こったなんてこともありました。家庭用のごみ焼却炉さえも敵視され、条例により、庭先でごみを燃やすことさえできなくなりました。
 その後、ダイオキシンに毒性はないということが判明しましたが、家庭用のごみ焼却炉は撤去されたまま、すでに販売すらされていません。家庭のすべてのごみは「ゴミ集積所」に集められ、ごみ運搬車によって回収されることになったのです。私たちが子供のころ歌った「落ち葉焚き」の童謡は、既に「悪いこと」として、死語になったのです。

コロナ対策も誤り

 今も尾を引いている新型コロナ騒動も、日本にとって本当は「さざ波」程度のものでした。にもかかわらず、政府、マスコミ、医学界に煽られ、コロナワクチンや休業補償をはじめとするコロナ対策に、21年度と22年度の当初予算を合わせただけでも、総額20兆円という巨額の無駄金を投じる結果となりました。様々な名目で支出された予算は、これをはるかに上回るはずです。
 私は、冷静に観察していたので、新型コロナに怯えることはありませんでした。日本での感染率は文字通り、「さざ波」程度であり、恐怖を感じるレベルのものではない、ということが分かっていたからです。最初にさざ波発言をしたのは厚労省OBの木村盛世氏で、これを上書きしたのは高橋洋一嘉悦大教授です。
 私はその当時、素人目線ではありますが、この欄で「mRNAというコロナワクチンの危険性」について度々指摘してきました。このワクチンは従来のワクチンとは全く異なる手法で作製されたものであり、治験すらも十分に行われていない。しかも、一度接種すると遺伝子に取り込まれ、子々孫々に至るまで影響が及ぶ。このような代物を、いかに緊急性があると言っても導入することは危険ではないか、と疑っていたからです。
 ですから、私も妻も、コロナワクチンなど一度も接種していないし、マスクも一切しませんでした。医院などでマスク装着を求められれば、その場だけ素直にマスクはしました。無用な争いはしたくなかったからです。毎月数回、高齢者同士集まって、酒を飲み、カラオケを楽しみました。それでいて、一度もコロナに感染せず、80歳の今も二人とも元気に過ごしています。
 人間にはワクチン以上に強力な「自然免疫力」が備わっています。この生まれながらに備わっている免疫力を活性化させることこそ、真のコロナ対策だと固く信じているのです。

少子化への対応は投資の論理で解決せよ

画像の説明

 ここでは少子高齢化を少子化と高齢化に分けて考えることにします。少子化への対応は、「投資」の論理で解決可能です。少子化の問題を解決するためには、その対応に要する費用を明確に「将来への投資」と位置づけ、特別会計を組み、すべて本予算とは別建ての「特別会計」で計理するのです。人への投資を、「将来、回収可能な収益事業」と位置づけるのです。
 人は、子供のうちは、お金がかかるだけの存在ですが、きちんと学業を施し、社会に送り出せば、税金を納める優良納税者に変わるのです。長いスパンで考えるなら、これほど安全確実で有利な投資はありません。赤ん坊から大学を卒業するまで、と考えれば長いように見えますが、新幹線だって同じでしょう。新幹線を作るためには、設計や用地の買収、トンネルや橋の建築など、敷設し資金を回収するまで、優に20年以上はかかります。人間への投資と同じではありませんか。
 人間への投資は、文字通り取りはぐれのない優良な投資案件なのです。このような投資は、財務省の嫌う「財政健全化」の論理にも反しません。財政法4条でも、教育国債の発行は可能とされているからです。その根拠規定は、古村武・元大蔵事務次官の「予算と財政法」(三訂版)で明らかにしているほか、財務省OBである高橋洋一嘉悦大教授も可能である旨述べています。同書は、財務省主計局のバイブルとされてきたものであり、事実上、財務省の公式見解と言ってよいものなのです。

空き家・空地も有効に活用せよ

 少子高齢化により、全国の空き家も増えています。5年に1度の総務省調査によれば、全国の空き家は過去最多の900万戸に上ると報告されています。
 空き家ということですから、有効に活用されていない、ということです。私のように貧乏で猫の額ほどの庭しか持てない人間にとって、本当にもったいない、と嘆息せざるを得ません。この空き家を取り壊し、更地にすれば、「敷地延長で野菜や果物がたくさんできるのにな~」なんて思ってしまいます。隣地の住人が活用してくれれば、日本の食料自給率も大幅に改善されるはずです。
 そのように有効活用されていないのには理由があります。更地より家が建っている方が税金が安いからです。固定資産税で最大6倍、都市計画税で最大3倍の違いがあります。これでは更地にする馬鹿はいません。空き家のまま放置される土地が多いのはもっともなのです。
 このことは国土の有効利用という観点からも、また税収確保という観点からも間違っています。空き家のままでは、有効活用されないばかりか税収も増えません。更地にして、近隣住民に分割譲渡するか畑地として有効活用してもらうよう、政策で誘導すべきです。国は一応空き家対策特別措置法を策定し、地元自治体の管理要請に従わない場合は、これら優遇措置が受けられないようにしましたが、余りにも手緩い。食糧自給率の向上や周辺住民の利便性や豊かさの実感に直結するんですから、もう少し即効性のある対策を講じることが必要です。

最後に

ボンボン議員

 日本の国民が年間に払う税金の割合、すなわち国民負担率は2022年度で47.5%です。何と所得の半分が税金でとられてしまうのです。江戸時代の五公五民で「民は生かさず、殺さず」と同じ状態に置かれているのです。
 ステルス増税により、生活の負担感は増すばかりなのに、政治の世界では裏金問題に代表されるように、自らの利を図る政治家ばかりが跋扈しています。政治を家業とし、代々政治家を家業とできるよう地盤、看板、カバンが幅を利かしているのです。有力な首相候補と言ったら小石河に代表されるように、小泉、石破、河野といった、どうひいき目に見ても崇高な国家観と信念を持っている政治家は一人もいません。
 そういった中で、私たち国民は、官僚に救いの手を求めます。が、前述したように、財政を預かる財務官僚たちは、「財政健全化」という美名に隠れ、国益よりも省益を優先する政策を推し進め、いかにしてより多くの税金を取るかに腐心しています。増税しないと日本は破綻する、と言い続けているのです。
 ですから、国民は今こそ目覚める必要があります。政治に関心を持ち、本当に日本を良くしてくれる政治家、政党はどこなのか。政治を家業にしない政党はどこなのか。安易に外国人を入れない政党はどこなのか。地球温暖化など地球規模の妄言に縛られ、中国製太陽光パネルなどを積極的に導入しようとしている政党はどこなのか。少子化も円安も、日本にとって僥倖だとして、むしろこれを梃子に日本の技術力を活かし、日本復活を実現しようとしている政党はどこなのか、といった観点から政治体制の転換を図っていくことが必要だと思います。
 だからこそ、私は、日本保守党に期待を寄せているのです。(R6・5・21記)

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