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2017/8/13 (日)

恒例のお盆休みを過ごしました

一族が揃いました

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 一族なんていうと、30人、40人を想像しますが、わが家の一族は、全部そろってもたったの8人です。繁殖力の弱い一族なのかもしれません。毎年、お盆の時には、娘と息子の家族一家が集合するんです。孫は、2人だけですから、ボヤボヤしてたら、子孫がなくなってしまうかもしれません。しかも息子の方に子供はいませんから、私の大事な「三島女郎衆はの~え」に出てくる「島田」や、「島田のブンブン」の名前もとだえることになります。でも寂しくはありません。名前なんて所詮「符丁」に過ぎないと思ってますから。
 最近は、こういう私のような小規模家族が多くなっているのではないでしょうか。先日、孫の小学校の授業参観を親代わりに見に行ったことがあるんです。そうしたら、男と女の比率が1対2くらいだったんです。ビックリして、思わずこれは他のクラスでも同じなのか、と聞いてしまいました。娘は、大体似たようなものだと言うんです。
 うへ~、これじゃ、将来女性は旦那を見つけるのが大変になるんじゃないかと、他人事ながら心配になったものです。でも、男にとっては、「選び放題」ですから、ハーレム暮らしのようないい時代になるのかも知れません。もっとも、アフリカのマサイ族の一夫多妻制の旦那って、ホントは結構大変なんだそうですね。私のように気がやさしいだけのような男だと、妻が3人も4人もいたら、それぞれに気遣いをし、それだけで疲れてしまうような気がします。
 でも、これほど男女の個体差がつくのには、何か特別の理由があるような気がしてなりません。国としても何らかの対策が必要かもしれませんね。

夕食は焼肉で

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 それはともかく、夕食は鉄板焼きです。家内が大奮発して分厚い焼肉をたくさん買い込んでいたんです。肉の厚さ、写真でも分かると思います。私だって、こんな厚い肉なんて食したことがありません。年金暮らしですから当然です。でも、年に数回のことですから、この程度の大盤振る舞いも、まあ、許されるのではないでしょうか。
 焼肉を食べ、ひとしきり酒も飲んだころ、孫が「花火をやりたい」というんです。今日は生憎、雨模様です。雨の中で花火もできないので、已む無く、ベランダで花火をすることになりました。
 花火は、「全品40%引き」という宣伝文句につられて、仕込んでおいたものです。でも、お盆休みが終わった後で見たら、「全品半額」になっていました。「クッソー」ってなもんです。

翌日はアリオでお買い物

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 毎年のことですが、みんなで遊びに行くところで悩みます。これといっていくところがないんです。近くの公園に行っても仕方がない。さればとて、権現堂公園に行っても今は桜もないし、紫陽花や曼殊沙華も咲いてない。広い公園はあるけれど、大の大人が公園で散歩と言ってもね~。
 結局、今回は久喜市にある大型ショッピングセンター「アリオ」に行くことにしました。1時間程度の時間つぶしなら、皆それぞれに好きなところに行って買い物などもできるし、ウインドウショッピングもできるというわけです。
 でも来年後期高齢者となる私にとって、買い物もウインドウショッピングもほとんど興味がありません。やむなく一日6,000歩の目標をここで達成しようと、歩数カウンターをつけて歩け歩けの散歩道です。ひとしきり歩いて目標達成したら、やることもなく、ソファーで大きなあくびをしながらひたすら休憩です。大型ショッピングセンターは、雨の日も風の日も歩ける、高齢者のためのやさしい散歩道だったんですね。若い頃は、大きな公園のそばに家を持つことを理想としてきましたが、今は大型ショッピングセンターのそばも加えてよさそうですね。
 その後、皆と合流して少し早めの昼食をとったのがこの写真です。「鎌倉パスタ」とかいう店でした。「生めん」を売りにしているようでした。会計を済ませて出ようとしたら、パンの袋詰めになったものを二つ頂きました。ラッキー!何だかちょっぴり得したような気分です。

平坦地で住む幸せ

 それにしても、こういう可もなく不可もない老後の過ごし方というのは、幸せですね。幸せというのは、何の変哲もない平々凡々な生活にこそある、ということが若いころには理解できませんでした。
 特に、独身の頃なんて、ひとりでポツンといることが死ぬほど嫌でした。ひとりでのんびりとしてりゃいいようなものですが、人恋しくなってすぐにあちこちフラフラと出歩いたものです。ステキな女性との出会いでもあるのではないか、という期待もありましたが、人生そんなに甘くはありません。もっとも出会いがあっても、お金がないから、多分、どうにもならなかったでしょうね。

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 でも、長いサラリーマン生活を終わって、年金生活に入ると、こうしたのんびりとした生活ができることがどれほど幸せなことか、というのがようやく実感できるようになりました。
 特に、最近のように、地震や台風、それに大雨による洪水被害や土砂崩れなど各地で起こる被災地の惨状を見るにつけ、平々凡々な生活こそが一番幸せなのだ、と実感されます。
 若い頃は、住むには横浜などがいいかな~なんて思った時期もありました。丘陵地の丘に広がる住宅地が理想的に見えたんですね。でも、今はここ幸手のような平坦地が正解だったと思えるようになりました。なぜなら、高齢になって坂道を登らなければ家にたどり着かない、というのは極めて不便です。尾道のような坂の多い街の高齢者は大変だろうな~なんて思ってしまいます。その点当地は、平坦地ですから、歩いてどこにでも行けます。歳をとってみてこそわかる利便性ですね。
 こういう便利でのんびりした生活は、いつまで続けられるのでしょうか。北朝鮮の黒電話のお兄ちゃんがミサイル実験を繰り返し、アメリカや日本を脅かすような時代になると、いつかこういう平穏な生活が破られる日が来るような不安もあります。
 作家で数学者の藤原正彦さんがこんなことを言っています。「民主主義が機能する大前提も、主権を持つ国民が、決める能力つまり教養を持っていることだ。ポピュリズムで未来が決まる世界では、戦争の抑止は難しい。」
 その通り、です。何の落ち度もないのに、毎日洪水のようにマスコミから非難され続ける安倍政権、何の政策を打ち出しているわけでもないのに大勝利を挙げた小池百合子都知事。ポピュリズムの横行とマスコミの横暴。私たち国民は、これらの理不尽な侵害に堪え、戦争を抑止するためにも、必要な教養をしっかり身につける必要があるのかもしれません。

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