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2017/9/16 (土)
102歳の義母が亡くなりました
義母死去の連絡
9月13日、義兄から妻のところに、義母がなくなったとの連絡がありました。義母は、高齢のため、高齢者施設で介護を受けていたんです。今年の6月に、顔を見に行ったときは、まだ義兄の家で過ごしており、すこぶる元気でした。その時の写真が右です。
その時は、会話も十分に可能でした。寝たきりでもなく、1人で外出もできるほど元気もよかったんです。耳もよく、補聴器なしで話ができました。ですから、施設に入所させたと聞いたときは「なぜ?」と思いましたが、その辺の判断は、直接、面倒を見ている人の判断に委ねるべきだろうと思います。
宗派の違いで変な葬式
私たち夫婦は、無宗教です。無宗教と言っても、神社に行けばお参りもするし、お寺に行っても手を合わせます。さすがにキリストの前でアーメンはしませんが、宗教には全く拘りがありません。
ところが、今度のお葬式、義兄夫婦がキリスト教系の○○教(本当は何教なのかはっきり聞いていないんです)に入っているとのことで、葬儀は、その方式で行うとのこと。従って、香典も不要。喪服も不要なので、平服でいいとのこと。義兄が長男なので喪主になるのかと思いきや、宗派が違うので、喪主にはならず、孫が喪主になるとのこと。
何が何やら分からないまま、とりあえず喪服ではなく、急ぎ黒っぽいシャツを着て参列することにしました。
お骨拾いは素手で
火葬場での経験も貴重でした。火葬がすんで、会葬者全員が、骨壺に納骨する行事がありますね。私も、来年、後期高齢者になる年齢ですから、全国のあちこちで葬儀に立ち会った経験があります。その経験豊富な私でも経験したことのない納骨の儀を経験しました。
ここ浜松では、火葬のすんだお骨を素手で納骨するんです。もちろん、浜松市内すべて同じかどうかは不明です。それはともかく、納骨のための箸(?)がないんです。どうするのか不思議に思っていたら、係りの人が、「それでは2人1組でお骨を掴んで納骨して下さい」って言うんです。私たち、「え?素手で?」って思いましたが、嫌がるのも不謹慎ですから、ご指示のまま、直接、素手で生暖かい骨を納骨しました。いくつか残っていたんですが、すべて納骨してください、との指示で、皆黙々と指示通り納骨しました。
そして、最後に、粉のようになった残り物をどうするのか見ていると、担当者、といっても若い男性です。彼が、素手で丁寧にかきよせ、骨壺に収めたんです。ほほう~、こういうやり方もあるんだ・・長生きはするもんだ、と思いましたね。火葬場での儀式がすべて終了した時に撮ったのが上の写真です。
精進おとしは自宅で
火葬場での儀式も無事終了し、自宅で精進おとしを行うというので、お邪魔しました。もっとも宗派が違うので、「精進おとし」という表現ではなく、「家で軽く食事を・・」というような表現でした。もちろん、宗派の関係で、近親者のみでした。葬儀といえば、「遺影、お坊さん、お経、お焼香」といったものがつきものですが、今回はそれが一切ありません。お坊さんの長いお経を聞かなくていいのは、楽といえば楽ですが、葬儀をしたのかしなかったのか、なんだか不思議な感覚でした。香典もなくていいというのも、有り難いと言えばありがたい。
もっとも、キリスト教の本場では、葬儀というのは、会葬者が直接、埋葬地に集合し、埋葬を終えたら、その場で散会。初七日も四十九日も○○回忌も一切なし、だそうです。そういう葬儀も楽といえば楽ですね。日本でもこういう簡素な葬儀がこれからは増えてくるのかもしれません。
生き方を学んだ
前述したように、義母は102歳で亡くなるまで、本当に元気でした。外出も一人でできました。生前、「これは子供の頃、育った島根の山を毎日上り下りしたせいだ」と、妻に語っていたそうです。また、義母は、私たちが結婚した頃も、義母の義母、つまり、寝たきりの夫の母を介護していたんです。
私のような第三者の目から見ても、「随分我儘な人だな~」と思うくらい手のかかる人でした。おしめを使えば楽なのに、亡くなるまで一度も使ったことがありませんでした。夜中も何度か起きて、直接、トイレに連れていけと言っていました。この時に、高齢者を介護するというのは、本当に大変なんだな~と実感しました。
でも、そういう苦労、つまり「人様に奉仕する」ということを長年続けてきたからこそ、神様が、義母には特別に健康な体を与えてくれたのではないかと思っているのです。亡くなった義母に感謝し、謹んで、合掌。
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