時事寸評 書評コーナー

welcome to shimada's homepage

財務省は国民の敵だ

財務省は国民の敵だ

基礎的財政収支黒字化に小躍りする財務省

 心ある多くの日本人が、「財務省を何とかしてしてほしい」と思っているのではないでしょうか。何とかしてほしい、という気持ちをもっと具体的に言うなら、「財務省を大幅に解体してほしい」、「凝り固まった財務省の石頭を改造してほしい」ということになるでしょう。更に言うなら、前者は、財務省から徴税部門を切り離して権力を分散してほしいという願いであり、後者は、財政健全化という美名に隠れた基礎的財政収支(プライマリーバランス、以下「PB」と言います)論に固執する考えから脱却してほしい、ということになるでしょう。
 徴税部門切り離し論は、当然でしょう。国家の組織として、財政部門と徴税部門が一体となった組織が最強であるのは、多くの説明を要しないでしょう。それは家計を例にすれば分かりやすい。旦那の給料を妻がすべて管理し、どのように使うかをすべて妻が決めるとすれば、その家の権力者は妻です。その使い道を夫婦で相談して決めるなら、円満な家庭ということになりますが、家計を握る妻がすべて使い道を独断で決めるとなれば、夫に大きな不満が残ります。今の日本は、正しくこのような状態にあるのです。妻の権限が余りにも大きすぎるのです。
 特に、「お金の使い方」について、今の財務省は、非常に大きな勘違いをしています。彼らは省をあげて、国の財政は、毎年度、収入と支出のバランスが取れていなければならない、ということを固く信じています。いや、本心はそうでないのかもしれませんが、少なくとも公式には、そう信じています。なぜなら日頃からそのように述べていますし、矢野康治財務事務次官がわざわざ月刊誌文芸春秋に投稿し、念押しまでしているからです。

PB黒字化が慶事なのか

 7月30日の新聞報道などによれば、内閣府が近く開かれる政府の経済財政諮問会議(以下「財政審」)で、PBが黒字化するとの試算を示す方針を固めたとのことです。好調な企業業績を背景とした税収の上振れが黒字の要因とされています。であれば、財務省は、小躍りして喜ぶべき慶事です。PB黒字化とは、国の財政を新たな借金(国債)に頼らず税収で賄えている、ということを意味するからです。
 当然、新聞やテレビなどマスコミも、これを慶事と喜んでいます。読売新聞など、7月30日の朝刊で、「財政規律のゆるみ警戒」「大型補正なら再び悪化」との見出しで、このPB黒字化を維持するべきとの論を展開しています。大型補正など組んだら、財政が悪化する、財政規律を緩めるな、というわけです。このような論調は、朝日新聞や毎日新聞もほぼ同じでした。経済の専門誌と称する日経新聞も同じ論調でした。大手マスコミは、完全に財務省の提灯持ちなのです。お目こぼしで軽減税率の適用を受けているマスコミは、正面から財務省を批判できないのです。

三橋各種資料

 しかし、本当にそれでいいのでしょうか。私は、PB黒字化は慶事どころか、弔事または凶事であるとさえ思っています。なぜなら、国の経済や財政の運営は、「国を守り民の生活を豊かにすること」が目的だからです。その目的を達成できないのなら、PB黒字化など全く無意味です。
 終戦後の日本は焼け野原で、ほぼすべての国民が貧乏のどん底にいました。私は80歳ですから、ある程度当時の状況を知っています。上野駅の構内には家を持たない人々が溢れ、取り締まりを恐れるヤミ米列車に多くの闇屋と称する人々が所狭しと溢れていました。
 国民は必死に働き、もがき苦しんでいたのです。その時期にPBが大事だなどと言っていたら、その後の経済復興などなかったはずです。当時、国債を発行したくても国民は、それを買う余裕はありませんでした。そのとき日本にとって幸運にも朝鮮戦争が勃発します。米国から武器や弾薬、関連装備品など大量の注文が殺到したのです。朝鮮特需です。日本はこれを契機にして経済が大きく立ち直りました。
 つまり、国民が貧乏の時は、このような海外特需が発生するか、自国で国債を発行するなどして、インフラ整備など「新たな需要」を作りだす必要があるのです。当時の国民生活の実情からすれば、大量の国債を発行してもそれを消化する余裕はなかったでしょう。だからこそ、外需である朝鮮特需は有効、干天の慈雨となったのです。
 然るに、今の日本はどうか。約30年にも及ぶデフレ状態からようやくにして脱却できるかという過渡期にあるというのに、財政健全化の美名のもと、税収増を図りPB黒字化を目指そうというのです。これでは、経済が腰折れするのは当然です。

国民は疲弊している

実質賃金指数

 今、多くの国民は疲弊しています。現役世代、例えばサラリーマンなど年収500万円(月収で大体40万円位)であれば税金などで20%を引かれ、手取りは400万くらい。もちろんこのほかに買い物をすれば10%の消費税、高速を使えば消費税込みの通行料、電気やガスもすべて電気税、ガス税がかかると言った具合で、国民全体で計算すると、国民負担率は2022年度で47.5%とされています。
 所得の約半分が税金や社会保障費負担として徴収されるのです。江戸時代なら、百姓一揆がおきるレベルです。もっとも当時は年貢として何の見返りもありませんでしたが、今は行政サービスという見返りがありますから、若干の救いはあります。いずれにしても、国民の大多数が生活苦に喘いでいる、ということに変わりはありません。
 このような国民の苦しみを救い、経済の成長を促すカギは、必要な国債を発行し、国民の所得を増やすのが一番です。財務省は、国債を増発すれば、PB黒字化が達成できないではないか、と強硬に反対するでしょう。また、国債の大量発行はハイパーインフレを招き財政破綻になる、とも主張するでしょう。
 しかし、この財務省の主張はおかしい。財務省は、対外的には全くこれと異なる反論をしているのです。
 すなわち、財務省は国債の格付け機関であるムーディーズとS&P(スタンダード&プアーズ)が日本国債の格付けを引き下げたことを不服として文書で明確に反論しているのです。2002年5月3日付けで財務省が行った反論の骨子は、次の通りです。

<財務省がS&Pに対して反論した内容の骨子>

①日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。
②近年自国通貨建て国債がデフォルトした新興市場国とは異なり、日本は変動相場制の下で、強固な対外バランスもあって国内金融政策の自由度ははるかに大きい。更に、ハイパー・インフレの懸念はゼロに等しい。

 このように、国内向けと国外向けでは、真逆の説明を行っているのです。自国通貨建ての国債発行で、ハイパーインフレの懸念はゼロに等しいなら、日本経済を浮揚させ、国民の懐を豊かにするために、もっと国債を発行すべきは当然です。

コロナ禍で財務省のウソがばれた

 このPB論のウソが、新型コロナウイルスの蔓延により、バレたことがあります。なぜか。コロナの蔓延により、度々の緊急事態宣言を発動し、全国規模で民間の産業・商業活動をストップせざるを得ない事態になりました。阿鼻叫喚の国民の声を無視できず、国は超大型の補正予算を組まざるを得なくなりました。令和2年度において、財務省は、公債発行額は112兆5,539億円を発行せざるを得ない事態に追い込まれたのです。
 例年、30兆円~40兆円ベースで発行してきた国債を、単年度で112兆円超も発行するというんです。従来の財務省の論理からすれば、間違いなく金利の急上昇とハイパーインフレは不可避ということになります。
 しかし、その当時、金利の急上昇は起きたでしょうか。ハイパーインフレは起きたでしょうか。いずれも起きませんでした。
 つまり、財務省の主張する国債の大量増発は金利の急上昇とハイパーインフレを招く、という論法が、ウソであったことが見事にバレてしまったのです。

財政法に縛られる財務省

バランスシートで

 基礎的な政策経費を借金(国債)に頼らず、すべて税収に頼らず賄えるなら、大変結構な話ではないか。確かにその通りです。どこの家計でも月給や個人事業の収入の範囲で生活しています。それが堅実な生活態度です。
 しかし、国の場合、そのやり方では国が発展することはあり得ません。同じボリュームのお金が国の中でぐるぐる回るだけで、絶対量は増えていかないからです。国の経済が発展していくためには、国全体で回すお金の絶対量が増えていくのでなければ、経済の発展はあり得ないのです。それは歴史が証明しています。
 経済の仕組みは、「誰かの黒字は誰かの赤字」という原則が貫かれています。つまり、国の中で回すお金の量が一定で、増えていかなければ、国全体で見れば富は増えて行きません。経済が発展していくためには、毎年、国全体で回すお金の総量を増やしていかなければ、経済が発展しないことは、ほぼ小学生レベルでも理解できるのではないでしょうか。
極端な表現をすれば、国が国内に出回るお金の総量を増やさないのだとすれば、今でも、江戸時代の大判・小判の生活を続けているはずです。
 しかし、財務省はこれを理解せず、あくまでも税収の範囲で財政を運営するのが当然と考えているのです。思うに、彼らの思考の原点は、財政法4条にその根拠があるようです。同条は、次のように定めています。

財政法4条(歳出財源の制限)
 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し、又は借入金をなすことができる。

国と家計は根本的に異なる

 多くの国民は、この規定を読んで、あまり違和感を持たないかもしれません。家計を連想するからです。しかし、この欄でもしばしば触れましたが、家計と国の財政は、全く異なります。
 何が違うのか。それは、次の3つの点で大きく異なっています。

家計と国の財政の異なる点

①国は、必要に応じてお金を印刷し、又は国債を発行する権限がある
②国が必要とするお金を税金という形で国民から強制的に徴収することができる
③国は国民を豊かにするという政治的経済的義務がある

 家計に、これら①②③の権限や義務があるでしょうか。ありません。①の、お金を発行する権限とは、紙幣や硬貨の発行権限です。家計がお札を印刷したら重罪です。国は、いつでも必要とされるだけのお金を印刷し、または国債という形で必要な資金を調達することができます。
 ②の、税の徴収権も絶大な権限です。社会保障や公共事業、教育、基礎研究、防衛など、必要となる費用を国民から徴収する権限も絶大なものといってよいでしょう。私が近所にお金が足りないから金をくれと強要したら、警察が来るか精神病院送りかのどちらかになります。
 ③は、言うまでもなく経済です。国は、国民を富ませ、生活を豊かにする義務を負っています。デフレ状態を約30年も続けている国など、本来、国民から「NO!」を突き付けられて当然なのです。縛り首にも相当する重罪といってもよいでしょう。国民を豊かにするという義務を全く果たしていないからです。財務省とマスコミ、御用経済学者などが、家計論を前提に世論洗脳工作を続けてきたため、多くの国民もそのことに疑問を持っていないのです。
 このように、家計と国の財政は、月とスッポンほども違うということは、多くの説明を要しないほどに自明なのです。
 政府が発行する国債という借金は、そのまま国民の懐に入るお金、という意味ですから、この国債発行額は毎年増加しなければ、国民はいつになっても所得が増えない、ということになります。
 この極めて常識的な経済原則を、財務省は毎年無視し続けているのです。これが、私が財務省は国民の敵と見做す所以です。(R6・8・10記)



<関連動画>

▶▶▶自民党総裁選】高市早苗さんと同じく保守派と言われる小林鷹之さん、髙橋洋一さんへ至急、連絡してください(須田慎一郎さんの虎ノ門ニュース切り抜き)

a:136 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional