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安倍・プーチンの北方領土交渉は成功だったのです

安倍・プーチンの北方領土交渉は成功だったのです

政府発表の内容

 平成28年12月15日と16日の両日に渡り、安倍総理大臣とロシアのプーチン大統領の首脳会談が、安倍総理の地元山口県長門市と東京の総理公邸で行われました。会談の後、日露両政府が発表した主な内容は次の通りです。

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▼北方4島で共同経済開発活動の協議を始めることが平和条約締結に向けた重要な一歩になり得ることを首脳同士で確認した
▼共同経済活動の協議では国際的な約束の締結を含む法的基盤の諸問題を検討する
▼共同経済活動は平和条約問題に関する両国の立場を害さないことを確認した
▼高齢化する元島民らの墓参について、出入域手続き地点の追加や手続き簡素化などの案を迅速に検討する

 このほかに、日露両国間で医療やエネルギー、都市開発など、8項目にわたる経済協力に合意し、日露政府間で12件、民間レベルでは68件、合計80件の合意文書や覚書を取り交わしています。
 マスコミの反応は、領土に関して具体的な進展がなかったことから、今回の交渉は失敗だったと位置付けているものが多いようです。しかし、私はこの会談は成功だったと考えています。それは現時点における国際政治の力学から見てこれが精いっぱいであり、エネルギー確保の観点からも日本の安全保障という観点からも極めて意義があると考えるているからです。反発を受けることを覚悟のうえで、私がそのように結論付ける理由について説明します。

4島に住む住民はいるのか

 現在、この4島には、歯舞諸島を除き、ロシアの住民が住んでいます。色丹島に3,006人、国後島に7,916人、択捉島に5,906人です(いずれも2015年1月現在)。
 仮に、この4島が日本に返還されたとして、日本人は本当に住むことになるでしょうか。私は住まないと思います。なぜならば、今は北海道でさえ、人口減少に苦しんでいるのです。

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 北海道全体の人口は、平成7年の569万人をピークに右肩下がりで減少し、平成27年には538万人に減少しています。日本最北端の稚内市など、昭和41年の58,223人から平成28年には36,184人まで、ほぼ40%近くも人口が減少しているのです。厳しい寒さの故だと思います。根室市も平成元年の37,944人から平成25年の28,325人と、1万人近くも人口が減少しています。旭川市は、比較的人口減少が比較的緩やかですが、それでも昭和60年の365千人から353千人まで一貫して人口が減少していることに変わりはありません。
 根室より更に北に位置し、島という環境やインフラ整備の現状を考えると、敢えて引っ越してまで住み着こうとする人は皆無に近いのではないでしょうか。確かに歯舞諸島を除く3島は人口が増えています。しかし、これは、ロシアが、国策としてインフラなど公共施設を整備し、且つ、移住する市民に無償で宅地を提供するなど、手厚い保護政策の結果によるものです。しかも、ロシア人にとって、北方4島は南に位置し、シベリアなどよりも気温は高い。すなわち住みやすいとも言えるわけです。
 ならば、移住しようかという気になるでしょうが、日本人から見れば、条件は全く逆になります。人間にとって、ハワイや沖縄など、温暖な地は住みやすいけれど、寒さや風雪のある地方は住みにくいというのが常識です。作物の栽培にも適しません。日本最北端の地稚内市や根室市などで大幅に人口が減少しているのは、そのためなのです。

多分元島民でさえ住まない

 今から15年前の2001年に読売新聞社が元島民に対して行ったアンケートの結果によれば、返還が実現したらすぐにでも故郷の島に帰りたいと答えた人は、100人中12人でした。帰る気なしが42人、日本政府が整備をした後であればという条件付きが23人、分からないが23人です。これは15年も前の調査です。今は15年分高齢化が進んでいますから、帰島希望者は10人を切っていることは間違いありません。また意欲としては「帰りたい」と思っても、実際に行動する人はさらに少ないはずです。

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 このように、元島民でさえ1割にも満たないというのに、元島民以外の人が厳寒の島、北方4島に住居を移転するなど考えられません。ロシア人が南を目指すのは分かるとしても、北海道以南に住んでいる日本人が最北の地に向うなど常識的にありえないのです。
 また、北方4島がロシアによって不法に占領されてから、既に70年を過ぎました。物心のつく年齢は5歳以上くらいからでしょうから、当時5歳の子供でも既に75歳を超しています。そのような高齢になってから、既に多くのロシア人が住み着いている地に戻るか、となれば二の足を踏むのは当然でしょう。多くの元島民は、先祖の墓参りさえ自由にできればそれでいい、と考えているのではないでしょうか。

日本の政権交代も悪影響

 ソ連は、終戦直前の昭和45年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦しました。日本がポツダム宣言を受諾した後の8月18日に、千島列島の北端、占守島(シュムシュ島)へ攻め込んできたのです。ポツダム宣言を受諾した後ですから、日本にとっては既に戦後です。占守島守備隊にも停戦命令は出ていましたが、ソ連軍の一方的な奇襲の報告を受け、第五方面軍司令部の樋口季一郎中将が自衛のための戦いを決断し、ソ連軍を撃破したのです。日本側の死傷者600名に対してソ連軍は3,000名以上の死者が出たとされています。

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 このようなソ連の火事場泥棒のような振る舞いは許されることではありませんが、これが厳しい現実の世界というものです。
 日本は、昭和51年9月にサンフランシスコ平和条約に調印した際、千島列島と南樺太の「放棄」を宣言します。この時に、千島列島の範囲が明確にされなかったのです。
 吉田茂総理は、総理受諾演説で「4島は開国以来一貫して日本固有の領土であった。北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島もソ連に占領されたままである」と訴えました。しかし、当時の西村熊雄外務省条約局長が「(サンフランシスコ平和)条約にある千島列島には南千島(択捉、国後)を含む」と答弁するなど、日本側の対応にも食い違いがあったのです。
 また、その後の折々の返還交渉においても、綻びがあります。元外務省欧州局長の東郷和彦氏が退官後に次のような事実を明らかにしています。

 平成4年3月にロシアのコズイレフ外相が渡辺美智雄外相に、平和条約締結前に歯舞、色丹を引き渡すとの提案を行ったが、4島一括返還に拘る日本側が拒否した。

 4島一括返還に拘らなければ、この時点で少なくとも2島は返還されていたのです。
 その後、橋本総理がエリツィン大統領に「北方4島の北側に国境線を引き、4島の施政は当面ロシアに委ねる」という提案(いわゆる川奈提案)をしたり、森総理がプーチン大統領に「日ソ共同宣言を出発点とし、歯舞、色丹の返還と国後、択捉の帰属を分離して話し合う」とする「並行協議」方式を提案しました。また、その後には、田中真紀子外相が森総理の提案を否定し、4島一括返還を目指すなどの発言をし、日本側の対応が迷走しました。当然、ロシア側も反発し、森総理の提案した並行協議を拒否し、問題解決の機運がしぼんでいったのです。
 このように、日本側では、次々と総理や外相が変わるなど短命政権が続き、発言内容も変わるといった状況ですから、腰を据えた交渉ができなかったのです。

ロシアにもロシアの立場がある

 翻ってロシア側の立場で北方領土問題を考えてみましょう。前述したように、当時のソ連は、占守島を攻撃した際に3,000人超の兵士を失っています。

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 ソ連にとって、占守島の戦いによる日本軍の抵抗の強さは想定外のものであったことは間違いないでしょう。当時のソ連政府機関紙イズベスチヤは「8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である」と述べ、自衛の戦いを決意した第五方面軍司令部の樋口季一郎中将について、スターリンは「戦犯であるのでソ連に引き渡してもらいたい」と連合軍司令部に申し入れてもいます。よほど、スターリンは樋口中将が憎かったのでしょう。
 しかも、戦後70年以上、ソ連時代からロシアの今日まで、ソ連国民は北方4島を含む千島列島全部をソ連が戦争の結果として取得したものと教育されて育っています。今更、あれはソ連が不当に占領したものだとは言えない筈です。
 国民の圧倒的な支持を誇るプーチン大統領と言えども、自国の領土を簡単に手放したり、領土を金で売ったと言われたのでは、国民の支持を失う恐れがあります。
 だとすれば、領土返還に慎重になるのは当然です。もし返還するとするならば、長い時間をかけ、ロシア国民が真実を理解するまで待つというのも現実的な解決法だと思います。今回の折衷案のように見える「共同経済活動」のための「特別の制度」こそが、正しくその解決法なのです。

安全保障面でも十分にメリットが

 日本の住民が住まないことを前提に考えると、歯舞、色丹島海域において、共同で経済活動できるだけでも、安全な操業という観点から大きなメリットになります。しかも、今回の合意内容には、「北方4島での共同経済活動」が盛り込まれ、共同活動をするための「特別な制度」を作る、とされています。2島ではなく、4島であればより一層メリットが生じます。
 今後、これらの経済活動や制度の具体的な内容について詰めの交渉がなされるでしょうが、この交渉の過程で、双方の意思疎通がかなり頻繁に行われることが期待されます。相互の信頼関係の元で実務的な作業が進められれば、両国の信頼関係も高まってきます。その結果どうなるか。日本とロシアの友好関係が強まれば、これまで日本に向けられていたミサイルが中国向けに変更されるという可能性も出てきます。
 また、一番重要なのは、膨張主義国家中国に対する抑止力となることです。情報通によれば、インドの核兵器はパキスタンを向いていることになっていますが、内実は中国に向けている、と言われます。中国の膨張主義政策は、すべての周辺国にとって大きな脅威なのです。
 中露が手を組んで日本を標的にしていたと思っていたのに、ロシアと日本が友好関係になってしまった。中国にとって、これが一番困るシナリオです。もちろん、無法な独裁国家北朝鮮に対しても、大きな抑止力になるのは当然です。
 つまり、北方4島における日ソ間の特別な制度の運用は、安全保障上の観点からも重要な役割を果たすのです。
 ロシアと中国は、4,380kmの国境線を有し、互いに争いを続けてきたという歴史があります。1960年代末には国境線の両側に、658,000人のソ連軍部隊と814,000人の中国人民解放軍部隊が対峙する事態になったなんていうこともありました。中露間は親密だというのは間違いで、本当はお互いに相手を信頼していません。一見仲良くしているように見えますが、双方が常に強い警戒心・猜疑心を抱いているというのが地政学の観点からも常識です。ロシアにとっても、日本との友好関係を強めることは、対中国という観点からもメリットがあるのです。

経済援助食い逃げ論は誤り

 大国の条件は、軍事力と経済力、それに自国だけで賄えるエネルギー資源を持っていることです。これに何かを付加するとすれば、国土面積と人口でしょうか。ロシアは一応大国としての要素を満たしていると言ってもよいでしょう。
 ただし、経済力をGDPという指数で測ると、ロシアは132百億ドルであり、日本の412百億ドルの約3分の1のレベルにすぎません。人口だって、日本の1億27百万人に対し、ロシアは1億43百万人とほぼ変わりません。しかし、核を含む軍事力とエネルギー資源という指標では間違いなく大国と言ってもよいでしょう。

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 前述したように、そのロシアが最も恐れているのが中国です。公称の人口13億人を超す中国人労働者は、既に国境を越え、シベリア方面に多数進出しているのです。両国関係が悪化すれば、中国お得意の「民族自決」、つまり進出した中国人をそそのかし、独立運動をさせる事態だって十分にあり得ます。中国の膨張主義政策は依然として健在だからです。
 したがって、ロシアは、中国資本による開発ではなく、日本の資本によって技術開発をして欲しいのです。これによって、ロシアが繁栄すれば、人口も増え経済力も増大します。当然、国の防御にもなる。為政者ならば、当然考えるべき筋道です。
 しかも、日本は中国とは違い、科学技術力が高く、契約もきちんと守る国柄です。国家の体制も民主主義国家で国民の民度も高い。その日本が開発後には、安定的にエネルギーも買ってくれる。貴方がプーチンの立場に立って考えてみれば一目瞭然でしょう。こんな素晴らしい国を敵に回す理由などないではありませんか。
 プーチン大統領の立場になって考えれば、先に2島を返還したら、経済協力、技術協力が得られなくなってしまうのではないか、と恐れているのです。つまり、日本に2島を食い逃げをされてしまうのではないか、という不安があるのです。食い逃げを恐れているのはプーチンの方なのです。
 彼が記者会見の場で言った次の言葉こそが、そのことを象徴しています。

プーチン大統領の言葉

相互協力の中で平和条約に近づくことが大事だ。経済的な関係を発展させ、平和条約を後回しにするわけではない。

 私は、この言葉に、プーチン大統領の思いがすべて集約されていると思っています。日露間の友好関係を確固たるものにするためは、長期安定政権を誇る両者だからこそ、なし得る偉業なのです。

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