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ノーベル賞の受賞を素直に喜べない

ノーベル賞の受賞を素直に喜べない

真鍋淑郎氏に物理学賞

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 スウェーデン王立科学アカデミーが10月5日、2021年のノーベル物理学賞を、コンピュータによる気候変動予測の道を開いた真鍋淑郎・アメリカプリンストン大学上席研究員ら3人に授与すると発表しました。
 この一報を聞いた時、驚きとともに、いつものように素直に喜べない違和感を覚えた人も多いのではないでしょうか。
 驚いたことは何か。それは年齢と現職に関するものです。90歳という高齢で、しかも今でも現役で「大学の上席研究員」をしている。日本人的感覚からすれば、これは大きな驚きです。
 もちろん、日本人の研究者で80歳を過ぎても「働いている人」はいます。しかし、それは、嘗てノーベル賞を受賞したというような功績のある研究者が、名誉職的に○○大学の学長や総長を務めているというようなもので、従来の研究を更に深堀りするため、大学に残り研究を続けているというものではありません。
 今回の真鍋氏は、文字通り現役の研究者として従来の研究を継続する傍ら、ヨガや水泳、ウオーキングなどに勤しんでいるというのです。特に水泳など、90歳の今でも毎日の日課だというんですから驚きです。現役のポジションが与えられ、研究費と給与が与えられているんですから、張り合いもあり、体力の維持に励むのは当然かもしれません。

日本の研究者の定年

 日本の国立大学の教員の定年は65歳と定められているようです。今回の真鍋淑郎氏の90歳から見ると、余りにも大きな開きがあります。日本ではかなり古くから「頭脳流出」が問題視されてきました。つまり、日本の優秀な頭脳が海外、特にアメリカに流出してしまうということが言われてきたのです。アメリカの方が、研究費が多く、定年も遅い。つまり研究環境が日本よりはるかに調っている、というわけです。
 この間の事情を、内藤豊元筑波大学教授が、次のように述べています。
 

内藤豊元筑波大学教授の発言

内藤豊

 私は筑波大学定年退職後、全米科学財団(NSF)からささやかな研究費の補助を受け、ハワイ大学マノア校の客員教授として生物学の研究を続けさせてもらっている。30年程前、若気の至りで東大の助手を辞め、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の準教授として研究を続けていたことがある。その時大変印象強かったのは、日本ではとっ くに定年退職しているはずの年齢の多くのアメリカの科学者が、科学の第一線で活躍していることであった。ハワイにいる今も同じ印象を持っている。
 アメリカの大学では、原則として定年退職はない。退職時期を決めるのは科学者本人である。テキサス州などの富裕な州を除けば、州からの科学研究費の補助は殆どないので、大学・研究機関に属する科学者は、科学財団から研究助成金を貰わない限り研究は続けられない。アメリカの研究助成金申請の審査は厳しく、公平である。研究のアイディアが枯渇すれば忽ち研究費は貰えなくなる。研究費がなければもはや研究は進まない。そこで極自然に退職を考えるようになる。研究のアイディアや意欲が湧かなくなくなる年齢は人によって大きな差がある。したがって60歳台で退職する人もいるし,80歳ながらかくしゃくとして研究を続ける人もいることになる。言い換えると、 アメリカの科学界には年齢差別がないのである。

 なるほど、これなら意欲と能力がある研究者なら、日本の地を飛び出し、アメリカで研究を続けようという気持ちになるのは無理からぬことです。
 私は、すべての研究者の定年を一律に延長すべし、と言っているのではありません。定年延長に反対する人には、次のような意見もあるからです。
 「就労年数として40年間、効率よく活用できず、さしたる功績も上げなかった人に、さらにもっと長い時間を与えなければならないのか。」
という意見です。確かに能力もなく、意欲もない研究者を一律に定年延長するのは、国家的な損失でもあるでしょう。
 しかし、米国の例で見るように、研究費を助成する科学財団のような審査機関が研究者のアイディアと研究意欲などを公平に審査し、判定するようにするシステムがあってもよいのではないでしょうか。もっとも、日本でこのような審査機関を作ると、必ずといってよいほど、東大を筆頭に学閥が支配する可能性があり、如何に公平な機関を作れるのかがポイントになるでしょう。
 いずれにしろ、更なる頭脳流出を防ぐためにも、一流の研究者が80歳になっても90歳になっても能力を活かせるポジションを得られるような、組織体制の整備が必要なのではないでしょうか。

外国籍でも日本人なのか

石平

 次に、既に米国籍を取得している研究者を「日本人の受賞」としてカウントしてよいのか、という問題があります。
 私は、真鍋氏がすでに米国籍を取得していると聞いた時、この受賞実績を日本人の受賞実績としてカウントすることに違和感を覚えました。なぜなら、真鍋氏は「元日本人」ではあるが「日本人ではない」からです。
 嘗てこのような人は何人かいました。物理学部門の南部陽一郎氏と中村修二氏です。このように、「元日本人」を含めると、日本人のノーベル賞受賞者は28人となりますが、これらを除外すると25人ということになります。ノーベル文学賞を受賞した石黒一雄(カズオ・イシグロ)氏も生まれは長崎で、小学校入学まではそこで住んでいましたが、父の転勤のため渡英しそのまま英国に居住しています。このイシグロ氏を日本人とカウントすることはないでしょう。
 つまり、現在の国籍を基準にするのか、大学卒業程度までを基準にするのかなど、明確な判断基準はないようです。一応、大学卒業位までを基準にして判定しているのが現状のように思われます。
 この基準に即して言うなら、仮に、ケントギルバート氏や石平氏が何らかのノーベル賞を受賞したとするなら、それぞれ米国人、中国人の受賞ということになります。それぞれ外国で大学を卒業しているからです。

日本の科学研究力は相対的に低下中

 日本の科学研究力は年々低下していると言われています。国の科学研究力を測るにはいくつかの指標があるようです。その力は「量的な視点」と「質的な視点」があるとされています。量的な視点から見るのは論文数が多いか少ないかというものであり、質的な視点から見るのは他の論文からどれほど引用されたか、というものです。
 日本は、下表に見るように、さまざまな視点からみても、年々評価を下げつつあります。

						

国際比較

外国から研究者を呼べる環境づくりを

 国籍論争はともかく、天然資源に乏しい日本は、人的資源の育成・陶冶に努めるべきは当然です。今のように、ノーベル賞級の人材がどんどん流出するような体制は改める必要があります。つまり、日本に行けば年齢の制限なく研究に没頭できる環境を作り、海外の優秀な研究者が研究の場として「日本を目指す」というような環境を作ることこそ、日本の目指すべき道なのではないでしょうか。
 文学賞は別として、科学技術分野で米国への留学や研究機関に所属するなど、米国との関りをもたない研究者は島津製作所の田中耕一氏くらいしかいないようです。日本人としてノーベル賞を初めて受賞した湯川秀樹氏でさえ、受賞時にはコロンビア大学客員教授在職中でした。ノーベル賞を受賞した研究者は全員、米国との関りがあったと言ってもよいのです。
 今回受賞した真鍋氏も、東大大学院を終了後米国の国立気象局の研究員に転じています。同氏は、記者から米国籍を取得した理由を問われ「日本では周囲との同調が求められる。アメリカでは周りを気にせずやりたいことができるから」と答えています。つまり、日本の大学においては、上下関係がうるさく、教授の意向に逆らえないなど、研究環境に閉鎖的硬直性があるのかもしれません。
 嘗て、田宮二郎が演ずる「白い巨塔」というテレビドラマが有名になりました。主任教授が回診する際、先導役が「財前教授の御成り~」と叫ぶような世界がそこにはありました。大学医学界における権威主義、閉鎖性を象徴するようなドラマだったのです。真鍋氏が言うように、「周囲に同調しなければ生きていけない」ような環境だったと言うこともできます。こんな世界では、研究者たちが大きく羽ばたくことは困難でしょう。
 日本の科学研究の分野においては、このような実情がまだ存在しているのかもしれません。そのような環境下においてもなお、「日本人」のノーベル賞受賞者25人というのは、誇るべき実績といってもよいでしょう。
 しかし、東南アジアにみられるように、世界の生活水準は急速に向上しています。それとともに、各国とも研究開発の必要性、重要性に目覚めています。中国の「千人計画」に代表されるように、金の力を使って外国の頭脳を強引に奪い取ろうとする国もあります。
 日本も、「頭脳流出」から脱却し、外国の研究者が吸い寄せられるように集まってくる研究環境を作っていくことが求められているのではないでしょうか。(R3・10・8記)

▶▶▶受賞の報を受け記者会見する真鍋淑郎氏
▶▶▶温暖化予測の先駆者 ノーベル物理学賞に真鍋淑郎氏
▶▶▶90歳でもヨガに水泳 エネルギッシュさ「妖怪のよう」

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