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世界120位、女性がひどく差別される国日本、は本当か?

世界120位、女性がひどく差別される国日本、は本当か?

日本は女性差別の国?

 世界経済フォーラムが7月13日、ジェンダー・ギャップ指数なるものを発表しました。日本は先進7か国(G7)のうち最下位、世界146か国中でも116位だったというわけです。このような発表がなされると必ずマスコミが大きく取り上げ、「日本の男女平等は進んでいない」「日本は遅れている」といった非難がなされます。
 私は、このような発表を聴くたびに「またか」とうんざりした気分になります。日本は本当に男女平等が進んでいない国なのでしょうか。世界146か国中116位というようなレベルまで、日本は男女平等の遅れた国なのでしょうか。

画像の説明

 ならばここで別のデータを示しましょう。国連の専門機関である国連開発計画(UNDP)が公表した「ジェンダー不平等指数」です。この報告によると、右表に見るように、不平等指数は、162か国中日本は24位となっています。つまり上位15%以内に入っているのです。民主主義先進国と言われるイギリスやアメリカよりも、日本の方が男女平等のレベルが高いということも分かります。
 この二つの報告書のうち、世界経済フォーラムはスイスの民間シンクタンクが作成したものです。対するジェンダー不平等指数は、れっきとした国連の機関である国連開発計画が作成したものです。マスコミや一部の女性団体などは、特定の国の民間団体である世界経済フォーラムが作成した指数は華々しく取り上げ、「日本は男女平等が進んでいない」と非難しますが、なぜより高い立場で作成している国連の機関が作成した指数は無視するのでしょうか。
 この二つの公表数値を比べてみると、採用する調査項目に違いがあるようです。世界経済フォーラムの調査は「経済、政治、教育、健康の4分野で男女の格差を数値化したもの」とされています。その指数も大臣の男女比率や管理職比率など、政治・経済の分野のウエートが高いとされています。
 対する国連開発計画の方は、女性がどれだけ安全に出産できる環境かを重視しており、「妊産婦死亡率」や「未成年出生率」などの指標も入っています。つまり、世界経済フォーラムの方は、働く職場の方を重視しているのに対し、国連開発計画の方は、生活環境全般を重視していると言ってよいでしょう。
 いずれにせよ、マスコミや一部左翼勢力は、極力日本を貶めることを目的とするため、専ら生活全般よりも「政治や職場」における環境を重視する世界経済フォーラムのデータをフル活用している、ということになるのです。

女性の幸福度も世界トップクラス

女性幸福度

 日本の女性は差別をされているというなら、日本女性の幸福度は低いのでしょうか。いいえ、日本の女性の幸福度は常に世界のトップクラスなのです。幸福度というのは、個人の実感ですから指標化するのはかなり難しいと思います。本人の所得や生活環境、医療・介護、格差、自然環境など、幸せを実感できる項目には多くの要素が含まれます。お金はなくとも優しい子や孫に恵まれ幸せを実感できる人もいれば、巨万の富や名誉を得ても幸せを実感できない人もいます。幸福度とは、かように指標化することが極めて難しい性質のものです。
 それでもその困難を乗り越え、敢えて調査した機関があります。オランダのティルブルグ大学に拠点を置く世界価値観調査(WVS、World Values Survey)です。世界の異なる国の人々の社会や文化、道徳、宗教、政治的価値観などを調査するため、社会科学者によって行われている国際プロジェクトです。
 このプロジェクトの調査によれば、右図に見るように、幸福度については、女性から男性を引いた値(これを「幸福度女性優位」と言います)のランキングは、日本はフィンランドに次ぎ、堂々の世界第2位です。しかも、前回調査時点では世界第1位だったのです。更によく見れば、2007年当時から、2012年の一度の例外を除き、常に1位から3位を維持しています。世界の中で「幸福度NO1国家」を維持している、と言っても過言ではないレベルなのです。
 しかし、このようなニュースは、朝日新聞などマスコミや左翼勢力などからは一切無視され、殆ど報じられることはありません。マスコミ報道の現状は、日本の女性が幸福であったら困る、と言わんばかりの扱いなのです。

日本女性の幸福度調査

幸福度最終版

 では、この調査結果に基づき、日本人女性が自身の幸福度について、どのような認識を持っているのかを見てみましょう。その結果は、右のグラフに見るとおり、91.5%と極めて高い水準にあります。日本人女性の幸福度は常に男性より高く、しかも幸福度91.5%という極めて高い水準を維持しています。しかも、この数値は、1981年の調査開始以来、下がることはなく上昇を続けているのです。幸福度90%以上というのは、女性の大部分が自分は幸福だと思っているということです。
 対する男性は、84.2%と女性よりは下回りますが、これまたかなりの高水準です。しかも調査開始以来、女性も男性もほぼ10%程度、幸福度が増加していることが読み取れます。

幸福だと思うか

 このデータをよく見ると、バブル期(1986~1991年頃)までより、その後の失われた10年、20年と呼ばれる時期の方がより幸福度指数が高くなっている、ということに気づきます。バブル期よりも、その後の失われた20年の方が幸福度が高い、というのは不思議な感じがします。これは何を意味しているのか。これは賃金や物価がどんどん上がる生活より、むしろ賃金や物価が安定している生活の方がいい、という生活実感を反映していると見ることができます。お金さえあれば幸せになれるのではない、お金だけが幸福の尺度ではない、といった成熟した生活実感の反映と見ることもできるかもしれませんね。
 いずれにしろ、冷静にこの調査結果をみれば、日本において、男性よりも女性の方がより幸福度が高く、しかもその幸福度レベルも極めて高い、ということが言えそうです。

生まれ変われるなら男か女か

 女性の幸福度が高いことを裏付けるデータは、もう一つ別の調査結果にも表れています。統計数理研究所の調査結果です。もう一度生まれ変われるとしたら、どちらの性がいいかを尋ねたものです。

男と女生まれ変わるなら

 この調査によれば、男性はほぼ一貫して生まれ変わっても男の方がよい、と答えたのに対して、女性は、1958年当時、僅か30%程度だったものが、年々その比率が増加し、2013年頃には70%を超える女性が、生まれ変わっても女性の方がいい、と答えています。
 このデータでは、2013年までのデータしかありませんが、今、改めて調査すれば、80%近くに達している可能性があります。趨勢からそう見えるからです。このように、女性自身が、生まれ変わっても女性の方がいい、と答えるのは、それだけ女性として居心地がいい、ということにほかなりません。マスコミは男女が不平等だというと、注目されるから「日本は男女不平等国家だ」と喧伝しますが、これらのデータから見る限り、決して日本は男女不平等国家などではない、と断言できます。
 このことは私の個人的な生活実感とも合致します。男はサラリーマンとして会社に行き、給料は振り込みで、専業主婦の妻が家計の管理をする。男は妻から毎月3万程度の小遣いをもらい、その中から昼食や飲み代を払う。つまり、男は妻に命じられた派遣労働者的な位置づけなのです。財務省が偉そうにえばっているのも、金を握っているからです。どこの世界でも財布の紐を握っている者が一番力が強いのです。
 こういった日本のサラリーマンは山ほどいます。サラリーマンは、職場の中で嫌なことがあっても、家族のためにやめることもできず必死に働く。専業主婦は、ママ友など近しい友達とレストランで優雅なランチ。こういった環境は、決して珍しいものではなく、ありふれた日本の光景でもあります。これを女性が差別されている社会と言うのでしょうか。

政治家に女性が少ないのはいけないのか

 マスコミや一部の女性団体などは、政治家に女性が少ないのは問題だ、と大騒ぎします。しかし、本当にそれは問題なのでしょうか。政治家は、国の安寧と国民生活の向上を目指すべきもので、その目的実現のためには、政治家が男であれ女であれ、どちらでも構わないと考えるべきです。朝日新聞など一部左翼勢力や女性団体などは、政界にもクオータ制を導入し、男女の割合を平等にすべきだ、などと声高に主張します。
 私に言わせればとんでもない暴論です。政治家の役割は、前述したように、国の安全を守り国民生活を豊かにすることです。もちろん、個別にはほかにさまざまな論点はありますが、基本はこの二つです。
 この目的を達成するのに、男女平等などという論理は全く不要です。いや、有害でさえあります。これまでの野党の立ち居振る舞いをみていれば分かるように、何でも反対、日本の平和は平和憲法さえあれば守れる、といった能天気、平和ボケをしたような政党やマスコミが幅を利かしています。週刊誌レベルのモリカケ桜で約3年大騒ぎをしたように、政治家の質こそが重要なのです。そのためには性別など一切関係がありません。
 私はこの欄で、モリカケ桜がいかに国家の盛衰に関係のない週刊誌レベルの問題であるか、何度も指摘してきました。しかし、マスコミも左翼勢力も、飽くことなく連日、文字通り朝から晩まで政府を追及していました。日本の国会議員のレベルがいかに低いかの証左でもあります。
 女性にも、鉄の女サーッチャーに見られるように、肝の据わった立派な政治家もいますが、日本の野党の女性政治家たちを見ていると、辻元清美、蓮舫、福島瑞穂、森ゆう子など、やたらに声ばかりが大きく、吐き気を催すような女性政治家が跋扈しています。これらの政治家に日本の運命を託すわけにはいかないのです。これらの女性政治家から、日本の安全保障、経済への取り組みについて、揺るぎなき信念というものを聴いたことがありません。
 クオータ制を言うなら、「いかにしたら有為な人材を政界に引き込むことができるか」を徹底的に論じるべきです。そのためには「二世議員の排除」こそ、主題になるはずです。政治家には余りにも二世議員が多すぎます。二世議員のすべてが悪いわけではありませんが、地盤・看板・カバンの壁に阻まれ、真に意欲と能力のある人材が政界に入ることができないのです。
 民間企業や公務員、市中の人々の中にも、有為な人材は沢山います。しかし、立候補するためには地盤・看板・カバンがないのに、高額な供託金の壁もあります。仮に有為な人材であったとしても、企業の中から立候補しようとすれば、現在のポストを捨て、供託金を積まなければなりません。そのうえ、落選したら、一定の得票数がなければ供託金は没収され、元の職場に戻ることもできません。こんな状況では、一体家族のだれが立候補に賛成するというのでしょうか。
 クオータ制などとねぼけたことを言う暇があったら、二世議員が抜港する現状を変えるため、個人の所得に合わせて供託金をサラリーマンでも払える程度に減額するとか、仮に落選しても、元の職場に戻り、給与など待遇面で一切不利にならないようにする必要があります。そのためには、きちんとした法的裏付けのある制度設計をする必要があります。その制度設計をすることこそが、政治家の役割なのです。
 マスコミもクオータ制に賛意を示すのではなく、有為な人材の登用とそれを裏付ける仕組みづくりにこそ、熱意を示すべきなのではありませんか。単に女性議員の数を増やせばよい、などという低レベルの話ではありません。日本は決して女性差別の国ではないのです。(R4・7・18記)

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