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コロナ関連費92兆円はドブに捨てたも同然

コロナ関連費92兆円はドブに捨てたも同然

コロナ騒動による思考停止

 中国武漢発の新型コロナは世界を席巻しました。広域でまん延する深刻な感染病の大流行、すなわちパンデミックが起きたのです。当時、武漢における生々しい状況は大きく報じられました。大勢の患者が病院に押しかけるも、病院は患者が多すぎて対応できない。重症の患者が病院の待合室や廊下にまで溢れ、あちこちに倒れている。文字通り、阿鼻叫喚の状況を呈していたのです。路上に立っている人が、まるで丸太でも倒すように、突然、バタッと倒れる映像なども流されました。国民が恐怖におののくのは当然です。当時(2020年2月3日)、私は、自分のブログで、次のように書きました。
 「今、武漢の状況は、いわば死の街です。どこの病院も、待合室どころか廊下にまで患者が溢れており、診てもらえない。病院内に重症患者があちこち横になったり、まるで野戦病院の雰囲気です。医師も看護婦も皆、防護服に身を包み、満足にトイレにも行けない。已む無く紙おむつをしながら対応している、とも述べていました。」
 折しも日本では、東京湾の屋形船で宴会を開いていた乗客の中から初の感染者が出たとか、感染者を乗せたダイヤモンド・プリンセス号が東京湾に停留し、その対応に世情は騒然としていました。
 これらはすべて、2020年1月から2月にかけて起きた出来事でした。当然、マスコミの報道は、このコロナ騒動一色になりました。文字通り朝から晩まで、コロナに関する報道で溢れたのです。
ところが、このようなコロナ騒動一色の中、冷静に事態の推移をみている専門家もいました。2020年2月24日に放送された松田政策研究所の対談も、その一つでした。番組のゲストとして登場した元東大医科学研究所特任教授で、現在、医療ガバナンス研究所の理事長で医師でもある上昌広氏が次のように述べたのです。

上昌広医師の発言要旨

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◆日本では毎年インフルエンザで1万人から2万人が亡くなっている。
◆このコロナウイルスは感染力は強いが、致死率はそれほど高くない。つまり、ほぼ通常のインフルエンザレベルと同等の致死率である。
◆よって、感染した場合には、インフルエンザと同様、自宅で安静にして療養に努めるべきである。(以下略)

 同氏の説明を聞いているうちに、この問題の本質が次第に理解できるようになり、この感染症に対する恐怖心が薄らいでいくのが分かりました。以来、この新型コロナは、日本人にとって真に恐れるべき病なのか、という視点から冷静に考えるようになりました。
 その結果、この新型コロナ問題は、「重症者数と死亡者数」という視点から見るなら、決して恐れるに足らない「普通の風邪と同じ」と考えることができるようになったのです。

重要性は死亡者数で判断すべき

 感染者は、PCR検査件数を増やせば増やすほど増加します。しかもこの検査、専用の装置でウイルス遺伝子(の断片)を複製し、数を増やす方法で行います。ウイルス遺伝子が一定数以上に増えれば「陽性」です。1本のウイルス遺伝子を倍にする操作を一度した場合が「1サイクル」。2度すると「2サイクル」です。このサイクル数は、WHOが推奨したように、世界的には33~34サイクルが標準値とされていました。
 ところが、当時、日本では40サイクルもまわしている検査所がほとんどだったのです。つまり、陽性者数を増やすため、過大なサイクル数を採用していたのです。
 このような検査法では信用できません。そこで私は、重症者数と死亡者数、特に「死亡者数」に絞って、この問題を評価することにしました。
この観点から、人口10万人当たりの死亡者の数を国際比較してみると、下表のようになっていました。この表は令和2年4月16日の読売新聞に掲載された数字を基に、致死率、人口、10万当たりの死亡者数を加え、作成したものです。

画像の説明

 この表を見れば分かるように、世界レベルで見たときに、日本の死亡者数は圧倒的に少ない、一桁も二桁も違っていたのです。
 また、死亡者数の推移も、主要各国に比べ極めて低かったことが分かっていました。国際比較で見れば、あまりに少ないため、この状態を高橋洋一教授が、日本の死亡者数の推移は「さざ波程度」だと表現しました。厚労省OBである木村盛世氏の表現を使っただけなのですが、マスコミに叩かれ、内閣官房参与の辞任に追い込まれた、なんてこともありました。いずれにしろ、これが日本におけるコロナの実態だったのです。
 当時、インフルエンザとの対比から見ても、インフルエンザの方が致死率は高い。インフルエンザでは、感染者本人が休暇を取るだけで、学校が休校になるなどの影響はない。それなのに、新型コロナでは、極端な自粛措置により、事実上経済活動を麻痺させてしまうような強硬措置がとられる。どう考えてもバランスが取れない。不合理だということを繰り返し述べてきました。

多くの識者も指摘していた

 このように、死亡者数との対比から、新型コロナは決して恐れるような病でなく、「普通の風邪と同じ」と捉えてよい、との指摘は当時から多くの良心的な医学者や識者も指摘していました。
 良心的な医学者としては、井上正康、大木隆夫、奥村康、上久保靖彦、近藤誠、宮沢孝幸氏などです。また現場の医療関係者として吉野敏明医師、石原結實医師などを上げることができます。また、医療の専門家ではないが、統計学など独自の視点から、「普通の風邪」説を唱えていたのは、高橋洋一、藤井厳喜、松田学氏などです。
 特に私が注目したのは近藤誠医師です。近藤医師は、「患者よガンと闘うな」を出版したことで有名です。私も48歳の時、この本を読み、感銘を受けました。日米両国で医学を修め、その結果を実践的なデータに基づき発表したのです。近藤医師のガンに関する見解は、端的に表現するなら、次のようなものです。
 「ガンには転移しない良性のガンと、転移する悪性なものとのふたつがある。前者は転移しないのだから放置しておいてよい。後者は、目視できるレベルのものとして発見された場合には、手術しても無駄。既に転移しているから。」というものでした。この論の行き着く先は、「よって人間ドッグや健康診断も不要」というものでした。
 近藤医師の説明は極めて論理的で説得力がありました。以来私は、30年間、近藤医師の主張を実践してきました。つまり、「人間ドッグや健康診断は一切受けない」です。30年間、これを実践してきて来年80歳になりますが、健康上、何の不都合も生じていません。蛇足ながら、老妻も全く同じですが、いたって健康です。
 さらに、近藤医師は、このコロナ騒動に関しても、新たに「副作用死ゼロの真実」という書籍を出版されました。この内容がまた実に面白い。その主なポイントをいくつか紹介しましょう。

近藤誠医師の「副作用死ゼロの真実」より抜粋

近藤誠

◆新型コロナウイルス、特にオミクロン株のように感染力の強いものでは、各種の対策は無意味です。各種の対策が無益なら発想を転換すべきでしょう。むしろ、さっさと感染してしまおう、と。元気な時に病原体に感染し、免疫システムを鍛えるのは、人にとって自然かつ必要なことなのです。
◆旧型のウイルスを利用して作られた「コロナワクチン」は、仮に旧型に対して効果があったとしても、オミクロン株に対する効果はないはずです。にもかかわらず政府は、3回目の接種にこれまでのワクチンを打ち続けていますし、4回目にも同じものを打とうとしている。
◆英国安全保安庁が2022年3月に発表したデータで、10万人当たりの感染者数を年齢別に示しました。その結果によれば、3回接種した人たちでは感染数が未接種者の数倍にもなっているのです。
◆自然免疫システムは、各人にとって未知の病原体をも殺します。新しい病原体であっても体内に入ったら、すぐに始動できるのです。感染防御の最前線で働いている細胞たちです。
◆自然免疫が十分働いている若くて健康な人は、新型コロナを恐れる必要はない。従ってワクチンの必要もない。新型コロナはただの風邪ウイルスとなります。

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◆コロナ騒ぎを終わらせるため、1人1人にできることは自発的にマスクをはずすことです。そして風邪かなと思ったときに、PCR検査を受けないことです。
◆医者として慶応病院で働きだしてからも、感染対策は一切しませんでした。どんどんウイルスをもらって免疫システムを刺激・強化していれば、もし未経験のウイルスがやってきたときにも、抵抗力が発揮できる。だから大勢の患者たちを診る外来でもマスクをしたことはなく、患者さんがマスクをしていれば取ってもらいました。「あなたのウイルスをもらって、免疫を強化したいので、マスクを外してください、と。ぼくはこの方式にしてから、寝込んだことはありません。

 このような近藤医師の見解に、医学界は反発するでしょう。儲からなくなるからです。ですが、真実を語っていることは間違いありません。前述したように、私自身、近藤医師の言うとおり、80歳になるこの歳まで30年間、一切の健康診断、人間ドッグを受けずに来ました。それなのに一切、病気らしい病気をしたことがありません。
 勿論、コロナワクチンなど一度も打っていません。それどころか、毎月2回、高齢者仲間で集まり酒を飲み、2次会でカラオケに行っています。(ただし、約2年ほど、近くのカラオケ店が閉まり、事実上通えませんでしたが)このような生き方の方が、ワクチンを打って後遺症で悩んだり、家に閉じこもったりするよりも、はるかに健康的だと思うのですが、皆さんはどう思いますか。

マスコミや医者は疑ってかかれ

 マスコミは視聴率を稼いだり、購読者を増やすため、世論を煽ったり怖がらせることを常としています。批判精神もなく、唯々諾々とこれらの情報に晒されていると、無批判にこれを受け入れるようになってしまいます。私は、常に「テレビや新聞など、マスコミは嘘を言うもの」「政治家も人気商売のようなもの、集票という呪縛から逃れることができない」。よって、常に疑ってかかる必要がある、と考えています。

 大阪大学名誉教授の加地信行氏は、このような思考態度を、「事の裏を見る、いや事の中心を見る。事の裏を見る、というのは、つまりは、なぜか、なぜかという立場だ」と述べています。すなわち、今の時代、マスコミや政治の動向に左右されていると、自分の立場を見失い、真に重要なことは何か、今国民が行っていることは正しいことなのかなど、物事の本質を見失ってしまいます。
 嘗ての森友加計学園問題、桜を見る会など、いかに虚偽捏造に満ちた報道が多かったか、いかに野党やマスコミがいい加減なものであったか、ということに気づくはずです。安倍元総理の国葬問題でも、同様の現象が見られます。暗殺当初こそ国葬に賛同する国民が過半を占めていたのに、マスコミ報道によって、過半数の国民が国葬反対に変わっていった。その過程を見ていると、この国の国民は賢くなっていないな~、とつくづく感じます。
 現在進行中の新型コロナに対する対策も、すでに2年以上前から「普通の風邪程度」であることが分かっていたのに、パンデミックだと騒ぎ立て、手洗いだ、マスクだ、ソーシャル・ディスタンスだ、ワクチンだと騒ぎ、患者の隔離、学校の閉鎖、外出禁止令の発出、出入国規制などで、国内経済は大きく停滞しました。結果、多くの自営業者が撤退を余儀なくされ、非正規職員や芸術芸能活動に従事する人たちの職を奪いました。
 その一方、国内メーカーのワクチンは承認せず、外国からの高価なワクチンは、治験段階であるにかかわらず即「緊急承認」と称して大量輸入。老いも若きも、多くの国民も唯々諾々とこれを受け入れました。3回目、4回目のワクチンを打った人も少なくありません。その結果、ワクチン後遺症で悩む人も大量生産しました。それどころか、国は認めていませんが、ワクチンにより死に至ったケースも少なくないのです。その実態は、いずれ明らかにされるでしょう。

ワクチン後遺症には手厚い保護と言ったのは誰か

田村厚労大臣

 ワクチンの大量輸入時、当時の田村厚労大臣は何と言ったか。
「医療機関側の過失の有無にかかわらず、接種によって死亡した場合は遺族に対し、4420万円が支払われる。その他、葬祭料として20万9千円も給付される。また、常に介護が必要になるような1級の障害が生じた場合は、18歳以上は本人に対して障害年金505万6800円(年額)。入院せずに在宅の場合は、年額84万4300円の介護加算がされる」。だから安心してワクチンを打ってほしい、と述べたのです。この発言は2021年2月19日になされたものです。
 しかし、実際にワクチン死が認められたのは、2022年7月になって1件のみです。91歳の老女に初めて死亡一時金が認められたのです。これ以外にも、ワクチン接種との因果関係が疑われるケースは多々ありますが、「ワクチン接種との因果関係が証明できない」との理由で、大半は認定を拒否されています。ほぼ寿命ともいえる年齢の人に高額の支給をするくらいなら、子を抱える若い後遺症患者たちを優先的に救ってあげたらいいのに、と思うのは身勝手でしょうか。

余りにも空しい結果

 今振り返って、これらコロナをめぐる騒動の多くが、いかに空しいものであったか、理解できるはずです。
 そして、冷静に自分の身の回りを見回わしてください。あの人も、この人も、多くの友人・知人が亡くなっているのではありませんか。抵抗力を失った多くの人々が、帯状疱疹などで悩んでいるのではありませんか。
それもこれも皆、マスコミや医学界、そしてこれらに追随した政治によって引き起こされた結果、副産物なのです。
 病気だけではありません。3年近くに及んだコロナ騒動により、小中学生は部活動はおろか、楽しかるべき遠足や修学旅行の機会を失いました。大学生も、入学以来、大半がリモート授業となり、仲間ができない、サークル活動ができない。それなのにもう就職活動が始まった、なんて悲喜劇に溢れています。精神を病んでしまった人も少なくないはずです。

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 私達老人を含め、社会活動も大きく制限されました。楽しかるべきお花見や花火大会はもちろん、オリンピックでさえ無観客で実施されました。身近な飲食店やカラオケ店など、近くの商店街は火が消えたようになり、多くの中小店舗が姿を消しました。
 国も、このコロナ対策のため、巨額の税金を投入しました。2020年度だけでも77兆円、2021年度10兆円、2022年度5兆円です。しかし、これらの支出は、コロナが「普通の風邪」と考えたなら、すべて不要なものだったのです。
 そしてその実態は、正しく「普通の風邪」に過ぎなかったのです。マスコミも、医者も、政治家も、これを認めなかっただけです。それは、これらの人たちにとって益にこそなれ、害にはならなかったからです。マスコミは不安を煽ることにより視聴率を稼ぎ、医者はワクチン注射やコロナベッドによりしこたま補助金を手に入れ、政治家は国民に寄り添った振りができたのです。
 特に一部の医者は、このコロナ騒動により、巨額の補助金を得ました。その一方、「熱のある患者は診ない」という信じがたい蛮行により、医者は市民から信用という大事な資産を失いました。多くの病気は発熱を伴います。その発熱に向き合おうともしない医者を「かかりつけ医」などと呼べるのでしょうか。文字通り「蛮行」という言葉こそ、この場合に相応しいと言うべきです。
 このような狂騒とも言うべきコロナ騒動に費やしたお金を、無駄金と言わずして何と言うのでしょうか。正しく、私たちは「見るべきものを正視しなかった」ゆえに、多くの人が職を失い、店を失い、健康を損ない、そして巨額の税金をドブに捨てたのです。(R4・9・24記)

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