一刻も早く2類から5類に引き下げよ
一刻も早く2類から5類に引き下げよ
既にコロナは終了している
本当にイライラするとはこのことです。そう、新型コロナの感染症法に基づく位置づけを2類から5類に引き下げる件です。どうしていつまでも2類に据え置いたままでいるのでしょうか。
世界を見渡せばわかるように、すでにコロナは完全に終了しています。終了と言ったのは、「収束」してはいないかもしれないが、少なくとも現状を見れば、コロナは終了しているとみてもよいからです。なぜなら、主要な先進国では、コロナ患者はいても、どこの国も自粛をしていないし、検査もしていません。アメリカのバイデン大統領などすでに、すでにコロナの「終了宣言」さえしています。
今、佳境に入っているワールドカップの会場を見てください。各国から自国の選手の応援に来ている応援団、会場の内外で大声で声援を送っていますが、誰一人マスクなどしていません。日本の応援団でさえ、海外では誰ひとりマスクなどしていません。
確かにまだ感染者の数は多いですが、これは当たり前のことです。風邪は寒くなれば流行するものだからです。年中行事です。「コロナ前の状態」と同じなのです。
新型コロナで怖いのは、致死率が高い場合です。致死率が高くなければ何も怖がる必要はありません。
では、新型コロナの致死率はどうなっているのでしょうか。比較しやすいように、新型コロナ発生以前の、季節性インフルエンザの致死率と対比させてみましょう。
インフルエンザの致死率と新型コロナ致死率の対比
*通常の季節性インフルエンザ・・・・・平均0.1%
*新型コロナ(従来型=発生当初)・・・・・0.47%
* 同 (デルタ型)・・・・・・・・・0.33%
* 同 (オミクロン型)・・・・・・・0.06%
(注:インフルエンザの致死率は、阪大病院ICT報告書より)
この数字から分かるように、新型コロナは、発生当初こそ致死率は高いですが、変異するたびに致死率が低下していることが分かります。これは、このコロナ発生当時から言われていたように「一般的に新型のコロナは、発生当初は感染率が低いが致死率は高い。しかし、変異を重ねるたびに感染力は増すが致死率は低下する」(以下、「コロナ基本原則」と称する。)というコロナの基本原則通りに、推移してきていることを示しています。
私達が恐れるべきは致死率であって、感染者数ではありません。このコロナ基本原則に照らせば、今現在、新型コロナは変異を重ね、オミクロン株に到達しました。そして現在のオミクロン株の致死率は0.06%です。この数値は、すでに季節性インフルエンザの致死率さえ下回っています。バイデン大統領が言うように、既にコロナはオミクロン株への変異によって「終了」したのです。だからこそ先進各国は、マスクをせず検査もしていないのです。
それにも拘らず日本は、12月に入った今でも、テレビなどマスコミの報道を見ていると、感染者数を中心に報道し、危機感を煽っています。マスコミは死亡者の数字は言いますが、「致死率」と「致死率の推移」は言いません。テレビを見ている視聴者の立場からすれば、死亡者数を言われても、これと対比すべき数字がないので、大局判断ができないのです。
上に挙げたように、従来の季節性インフルエンザの致死率と新型コロナの致死率の推移を対比し、グラフで示せば「なんだ、こんなものか。インフルエンザよりも軽いのか」という判断ができるのです。
感染者数と死亡者数のみを言い、厚労省や医師、マスコミから「4回目、5回目のワクチンを早く打て」と言われれば、そうなのか、と判断してしまう人が多いのもやむを得ません。私に言わせれば、このような情報の出し方は、単に恐怖を煽るだけの「有害情報」とさえ言えるのです。
岸田首相の優柔不断
こういう客観的状況の中で、岸田首相はこれまで何と言ってきたか。彼は、今年7月、「5類への引き下げは、感染状況を見て判断する」と言っていました。それからすでに5カ月余、既に12月に入りました。そして致死率の推移は、上に述べたとおりです。それなのに今度は「新たな大きな変異が生じる可能性があるから」という理由で、感染症法に基づく分類を2類から5類に引き下げる決断をしないのです。
岸田首相は、「将来変異する可能性がある」言いますが、そんなこと当たり前じゃないですか。前述したように、コロナ基本原則に従えば、コロナは常に変異を繰り返し、そのたびに弱毒化していくんです。この基礎知識さえあれば、「将来変異する可能性がある」などと言えるはずがありません。「ノー天気」という以外に言葉がありません。いや、ノー天気なのではなく「無責任」なのです。国民民主党の玉木代表が言うとおり、岸田首相は、まさしく「検討使」と呼ぶに相応しい人物です。検討ばかりしていて何も決断しない、多分医学界とのつながりなど、さまざまなしがらみがあり、決断できないのかもしれません。
一国のリーダーが、3年近くも続き、国民が疲弊しているなか、更に「将来変異する可能性がある」などと怯えていたら、いつになってもコロナが「終了」できるはずがありません。飛行機に乗ったら落ちる可能性がある。外に出たら交通事故に遭う可能性がある。こういう「可能性病」に取り付かれた首相が、日本丸の舵取りをしているということです。
元々日本は無風地帯だった
そもそもこのコロナ旋風、世界の中における日本は、ほぼ無風状態に置かれていた、と言ってもよいでしょう。欧米各国ではコロナ旋風が吹き荒れていましたが、日本における感染状況、死亡者数はダントツに少なかったのです。文字通り、一桁も二桁も少なかった。その要因について、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授は、「日本には何らかのファクターXが作用している」と述べていました。それほどに日本における感染者数、死亡者数は低かったのです。
この現象を称して嘉悦大学教授の高橋洋一氏がツイッターで「この程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」とツイートして批判を浴び、内閣官房参与を辞任させられた、などという出来事もありました。
私は、昨年5月にこの欄で、日本における超過死亡者は極めて少ない、ということを述べました。それはウオールストリート・ジャーナルが公表したデータに基づくものでした。超過死亡者数とは、例年の死亡数をもとに推定される死亡数(予測死亡数)と実際の死亡数(観測死亡数)の差を示すものです。これがプラスなら予測した死亡者数よりも多い、マイナスなら予測よりも少ない。ですから「マイナスの数値が多ければ大きいほどよい」、ということになります。その観点でこのグラフを見ると、日本は、予想された死亡者数より、現実の死亡者数ははるかに少なかった。それもダントツに少なかったのです。
要するに、元々日本におけるコロナ死亡者数は対人口比で見ても、圧倒的に少なかったのです。それなのに、マスコミや医師会が煽り、それに乗せられた自治体の首長が同調しました。東京都の小池知事など、ここが出番とばかりにとっかえひっかえフリップをかざし、ステイホームなどと叫んでいました。あげく厚労省までもがこの風潮を押しとどめるのでなく、逆に便乗し危機感を煽ったのです。大幅予算獲得の好機ととらえたのでしょう。
こうして日本はコロナといえば、「そこのけそこのけコロナが通る」という雰囲気が蔓延し、mRNAの危険性について十分な検討をすることもなく、ワクチン獲得競争に邁進することになったのです。
凄まじい弊害
上に述べたように、この新型コロナは、データに基づき冷静に事実を見ていれば、日本人にとって決して恐れるものではなかったのです。そしてそのことを、井上正康大阪市立大学名誉教授(分子病態学)、上久保靖彦京都大学大学院医学研究科特定教授、宮沢孝幸京都大学医生物学研究所附属感染症モデル研究センター准教授(ウイルス学、ゲノム生物学)などの専門家をはじめ、大木隆生、近藤誠、吉野孝明各氏など多くの良心的な医師たちも強調していました。
しかし、多勢に無勢でこれら良心的発言は封じられるか、無視されてきました。これら良心的な研究者や医学者の意見は有害情報として、発信を禁じられたのです。ワクチンを「お注射」と言い、コロナを「コ○○」と表現するなど、本来自由な発言が許されるYoutubeでさえ、隠語のオンパレードとなりました。いつから日本は「中国」になったのだ、というほどに自由な言論が規制されたのです。
その結果、日本国中、コロナコロナで明け暮れ、小中学生はもちろんのこと、大学生までリモートで授業を受けるという異常事態を生じたのです。赤ん坊はマスクのため母親の顔を読み取ることができない、小中学生は楽しかるべき給食も黙食を強いられ、運動会はもちろん遠足や修学旅行さえも自粛させられました。大学生は登校を禁じられ、リモートでの授業の毎日。せっかく入学したのに、友達もできないうちに早や就職活動の時期到来、などという悲劇が生じています。一般の国民も、花見や花火大会などはもちろん、飲食店へ行くのもはばかられる雰囲気となりました。私達高齢者も、酒席やカラオケから遠ざけられました。このため、日本国中、精神を病んでいる人も少なくはずで、今後、それがさまざまな形で顕在化することになるでしょう。
ワクチンは今後大問題に
このコロナ協奏曲に、追い打ちをかけたのがワクチン注射です。mRNAなる洋物ワクチンを有難がり、大量輸入した結果、日本人の多くがこれを接種することになりました。2回、3回は当たり前、多い人は5回接種した人も少なくありません。そのうえ、インフルエンザとの同時発生が予想されるとかで、右腕にコロナを左腕にインフルエンザのワクチンを、なんてことも言われています。最近は両方のワクチンを混合したので「一回の接種でも大丈夫」なんてこともPRされています。
こういう状態を見て、私は、これからの日本はどうなってしまうのだろう、と恐怖さえ感じています。なぜなら、このワクチン、従来のワクチンと異なり、直接遺伝子に作用する手法により開発されたものです。これを接種することはその因子が生涯、体内に留まることを意味します。その結果どうなるのか、ということは誰にも分かりません。長期にわたって観察しなければ、誰にも分からないからです。
しかし、ファイザー社やモデルナ社などワクチンの開発企業は、その長期観察を行っていません。そのための時間的余裕がないからです。それにも関わらずワクチン接種が強行されているのは、単純に「打たない不利益より打つ利益の方が大きい」という利益衡量の結果にすぎません。
日本人全体がこのコロナによって、大きな精神的・経済的負担を強いられ、そのうえ将来のワクチン接種の影響に目をつぶった行政やマスコミ、医学界の責任は極めて大きいものがあります。私は近い将来、このワクチン問題は、薬害エイズ以上に大きな問題になると確信しています。
今、冷静に自分の周りを眺めてください。少なくない人たちが亡くなったり苦しんだりしているのではありませんか。私の弟は73歳ですが、ワクチンを2回打ち、心臓の動脈が詰まったというので緊急入院し、2回のカテーテル手術を受けました。退院後も到底健康とは言えない状態にあります。また、私の親しい知人は毎年健康診断、人間ドッグを欠かさず受け、虫歯さえ一本もないというのが自慢でした。ワクチンも欠かさず打っていましたが、心臓に病変があると悩んでいたと思ったら、あっという間に亡くなってしまいました。皆さんの周辺にも、同様の事象があるのではありませんか。
その一方で、このワクチン、打つ人が少なくなったため、大量に余り、大量廃棄の現象さえ生じています。それなのにモデルナ社は日本に進出し、テレビコマーシャルまで始めましたね。負けじとファイザー社もコマーシャルを始めました。ワクチンの会社、それも外国の製薬企業がTVコマーシャルまで流すって、異常なのではありませんか。日本市場はそれほど美味しい市場であることの証拠ですね。
日本だけが「怖い怖い」と叫び、真面目にワクチンを打ってくれる。しかも「是非、日本に工場を作ってほしい」と三拝九拝して頼みに来てくれる。素晴らしい国日本、というわけです。大局を観ず、タコ壺発想の政治勢力とマスコミ、そしてコロナ関連費92兆円の多くを分捕った医学界。そしてそこに鎮座する優柔不断の総理大臣。
岸田首相は、せめてもの贖罪のためにも、今すぐ2類から5類への引き下げを決断すべきです。もっと言えば、感染症法に基づく位置づけなどせず、「完全収束宣言」をすることこそ、今の日本にとって国の安全保障と経済に次ぐ重要な政治決断であると思います。(2022・12・8記)
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