時事寸評 書評コーナー

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横綱としての品格ない白鵬

横綱としての品格ない白鵬

乱発する張り手

 夏場所も横綱白鵬が優勝しました。全勝です。でも、さっぱり嬉しくありません。また、一緒に喜んであげようという気にもなりません。嘗ての白鵬には、応援してあげようという気持ちもありましたが、最近は全くその気が起きないんです。

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 なぜなのか、考えてみると、最近の白鵬は、余りにも「張り手」が多いからです。この張り手、相撲の技の一つですから、決してルール違反というわけではありません。
 でも、技の一つだから何を使ってもよい、というものでもありません。特に、張り手なんていう手は、張られる方の気持ちになると嫌なものだと思います。嘗て、誰と誰の取り組みだったか忘れましたが、張り手に怒った相手が、張り手で返し、土俵上で双方張り手の応酬、なんて取り組みを見た記憶があります。
 つまり、張り手はルール違反ではないけれども、日本人の感覚からすれば、喧嘩を連想させる戦いの手段であって、多くの国民が見ている相撲の世界で多用すべきものではないと思います。
 ところが、白鵬の場合、ここ数場所、滅茶苦茶張り手が多いという印象を受けるのです。立ち合いでまた張り手を使うな~と思って見ていると、案の定、張っています。ここ数場所、そういう場面を見続けると、応援するというより、反感の方が先に立ち、応援などしようという気が全く起こらなくなってしまうんです。むしろ、白鵬が負けると、思わず小躍りしてしまう。それが最近の白鵬戦の実態なのです。

かち上げも横綱の技ではない

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 13日目くらいだったでしょうか、勢(いきおい)との一戦がありました。立ち合いに、左手で張り手をくらわし、更に右肘で勢の顔面にかち上げをくらわせました。その瞬間、勢は、脳震盪でも起こしたのでしょうか、腰から崩れ落ちました。
 張り手もかち上げも、技の一つだと言われればそれまでですが、そんな技、天下の横綱の技として見たくもありません。これじゃまるで、プロレスではありませんか。

飛ぶのも控えるべき

 白鵬が使う技に、立ち合いで「飛ぶ」という技があります。いわゆる体をかわす、という手法ですね。体をかわすことまで文句を言うのは申し訳ありませんが、横綱の相撲としては、あまり、いや極力見たくありません。

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 立ち合いで、格下の相手が突っ込んでくるのを横綱がひらりと体をかわして勝つ。多くの観客はがっくり肩を落とします。横綱なら、正々堂々と受けて立ち、そのうえでマワシを取り合うなり、投げるなりすればいいではありませんか。
 しかも、白鵬の場合、「猫だまし」なんていう手も使ったことがありますね。これも横綱になってからだと思います。
 意地悪ばあさんのように、あれこれとケチをつけたくはありませんが、過去に私たちが見てきた大横綱というのは、すべてこのような狡猾な手は使わなかったものです。それが日本の「相撲道」だと思うからです。相撲の「美意識」と言ってもよいかもしれません。
 もちろん、下位の力士が様々な珍技を使うのはありだと思います。舞の海など、小柄な力士の場合、がっぷり4つに組んでは不利なのは分かりきっているからです。

横綱相撲とは

 日本人には、「横綱というのはこういうもの」という固定観念、先入観念があるのかもしれません。
 嘗ての栃錦、若乃花は古すぎるとしても、大鵬や千代の富士、北の湖、貴乃花など、歴代の横綱から受けるイメージは、単に強いというだけでなく、品格・風格というものが感じられたものです。北の湖の場合、余りに強すぎて「憎々しい」なんて言われたこともありましたけどね。

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 つまり、横綱に相応しい堂々とした振る舞い、取り口といったものがあったのです。むちゃくちゃ張り手をかますとか、顔面をかち上げるなんて手を使った横綱の記憶はありません。また、結びの大一番で体をひらりとかわしたという記憶もありません。
 日本人は横綱にそういった堂々たる相撲の形、取り口を求めているんです。なぜならば、横綱は一番強いから横綱なんです。その一番強い横綱が、張り手だのかち上げだの、ダメ押しだの、恰好よくないじゃありませんか。
 日本人横綱は、このような日本人の心に応えてくれていたんです。ところが、モンゴル勢が台頭し、朝青龍が横綱になったあたりから、何となく、「勝てばいいんだろ」みたいな風潮が強くなってきたように感じられるんです。
 古来より相撲は、「心技体」の完成の極致として、国民のだれもが愛する国技だったのです。つまり、相撲には、スポーツや興行という要素もありますが、一番大切にされているのは、「神事」なのではないでしょうか。

土俵は毎場所作り直し

 先日、テレビを見ていたら、「呼び出し」の人たちの日常を撮影していました。そこで初めて見たんですが、あの土俵、毎場所、必ずすべて掘り返し、平らにして、そのうえで改めて盛り土をし、足で踏み固め、俵を埋め込んでいくんですね。

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 これは神事だから、毎場所、行うしきたりなんだそうです。裃を着て軍配を持つのも正に神事ですね。赤房、青房なんていうのも、土俵には神様がいるということが前提になっていると聞いたことがあります。すなわち、時計回りに、正面は黒。東は青、向(むこう)正面は赤、西は白と決まっているそうです。
 受け売りですが、この4色の房がそれぞれ象徴しているのは、黒は玄武、青は青龍、赤は朱雀、白は白虎だそうです。また、この4色は方角も表しているそうです。すなわち、黒は北、青は東、赤は南、白は西というわけです。
 このように日本人は、生けとし生けるものすべてに神様が宿っているという前提で考えます。ですから、相撲の形も大事にするんです。小結には小結の、大関には大関の品格、風格を求めてしまうんです。横綱は、それらの頂点に立つ人物ですから、とりわけ品格、風格を求めるのは当然なんです。
 そうでなければ明治神宮で行われる横綱の土俵入りなんて必要ありません。ただ勝てばいいんだというなら、太刀持ちも露払いもいらないんです。神事だからこそ必要なんです。
 白鵬関、厳しいことを言いましたが、決して悪口を言っているのではありません。「相撲とはこういうもの」という、日本人の心を知ってほしいだけなんです。

 

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