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コオロギ食という欺瞞

コオロギ食という欺瞞

人口増加への対応

 最近、コオロギ食なるものが話題になっています。話題になっているどころか、ネットで調べてみると、すでにアマゾンや楽天市場などではれっきとした商品として販売もされています。

明るい未来

 数ある昆虫食のなかでも、特にコオロギが食用として注目されているのは、栄養価の高さ、原料が調達しやすい等の点が挙げられます。数年前から少しずつ注目されてきましたが、2020年5月に無印良品で「コオロギせんべい」が発売され、一気に関心が集まりました。オンラインショップ限定で発売されたものの、発売初日に完売。多くの人にインパクトを与えました。
 なぜこんなトンデモ食品が大真面目に取り上げられるようになったのか。基本的には「世界的な食糧危機」ということが前提にあります。世界の人口は、「世界人口推計2022年版」によると、2022年11月15日現在で80億人とされています。1950年以降最も低い増加率で推移し、2020年には増加率は1%を下回りました。しかし国連の最新の予測によると、世界人口は今後2030年に約85億人、2050年には97億人に増えるとしています。そして2080年代中に約104億人でピークに達し、2100年までそのレベルに留まると予測しているのです。現在の80億人が104億人に達するというんですから、約30%の増加ということになります。
 これは大変だ。食糧危機が来る。今から対策を考えなければならない、と考えた結果、コオロギ食にたどり着いた、ということなんでしょう。
 しかし、このコオロギ食、本当にそこまでして食べる必要があるのでしょうか。私は、絶対に食べたくありません。多くの日本人もそのように考えているはずです。なぜなら古より、日本文化の中にコオロギを食べるという食文化はないからです。他方、外国ではコオロギを食べる国もあるようです。FAO(世界食糧農業機関)の報告によると、世界で食べられている昆虫は1,900種類以上あるとのことです。その中でも、コオロギは中国や台湾、ベトナムやラオスなど東南アジアや、アフリカの中南部で食べられていると報告されています。

グローバリズムの台頭

 この奇妙なコオロギ食が喧伝されるようになった理由は、人口増加という原因のほか、たんぱく質クライシスや地球温暖化の問題も関連しているようです。つまり世界を覆うグローバリズムの影響です。
 グローバリズムとは、経済や貿易における規制を排除し、世界の一体化を目指す思想のことです。国境という物理的な垣根を越え、経済、政治、文化など地球規模で均質化させるという考え方です。ソビエト連邦が崩壊し、アメリカを中心とする資本主義や自由主義が広がり、世界を一つの市場とする動きが加速していったのです。
 グローバリズムの行きつく先にはどのような世界が待っているのでしょうか。一般的に言われているのは、次のようなことです。
・共通通貨でお金の動きが自由になる
・パスポートなしで国境を行き来できる
・多国籍企業が増え、生産拠点や販売ルートの制限がなくなる
・SNSなどの通信技術の発達により、世界とのやりとりが簡易的になる
・関税や輸入制限などの規制が緩和され、自由貿易が拡大する
 これらの項目を一瞥すると、グローバリズムは、自由で民主的な世界の到来を予見させます。しかし、私は、このようなグローバリズムの行きつく先には、社会的な混乱と無秩序、奔放な自由主義が横溢し、収拾がつかない世界が広がるようにしか見えません。このような世界は、それぞれの国が持っている歴史や伝統、文化が否定され、その上に成り立つ社会だからです。
 その具体例は、すでにヨーロッパに見ることができます。ヨーロッパは、自由と民主主義の先進国とされていますが、ユーロ圏として共通通貨を使用し、人の往来も自由化しました。シェンゲン協定の結果です。EU加盟国のどこかに潜り込めば、域内のどこの国にも国境検査なしに自由に行くことができる。その結果、ヨーロッパは、アフリカなど旧植民地国から多くの難民など貧困層が入り込みました。人種のるつぼと化したのです。その結果どうなったか。歴史と伝統は破壊され、社会的混乱がもたらされました。そのような状態に耐え兼ね、イギリスはユーロから離脱しました。ブレグジットです。
 このコオロギ食についても同様のことが言えます。それぞれの国には長い歴史に育まれた伝統的な食文化があります。エスカルゴを好むイタリア人、肉や魚など動物性食品を食べない菜食主義者、戒律により厳しい食文化のあるイスラム人など多種多様です。
 つまり、食文化は極めて多様なのです。その多様性は、長い歴史に培われたものですから、急激に変えることはできません。体が受付けないのです。例えば、日本人は海洋民族ですから魚や昆布など海産物を好みます。しかし、その昆布もヨーロッパ人は食べないと言います。食べると胃腸に変調をきたすのだそうです。腸の長さでさえ、食文化の違いによって日本人の腸は長く、西洋人のそれは短いと言われます。そのような食文化や体の基本構造の違いを無視し、グローバリズムの名のもとに、同じ食文化に統合しようという試みに大きな抵抗を感じます。

食料不足は日本の喫緊の課題ではない

 前述したように、このコオロギ食なるものが出てきた背景には、グローバリズムのほかに、世界的な食糧危機という背景があります。国連食糧農業機関(FAO)の報告によると、地球の人口増加により、2050年には肉の全体消費量が現在の1.8倍に増加する見込みだといいます。この世界的なタンパク質不足を救う存在として、近年注目を浴びているのがコオロギなどの食用昆虫だというわけです。グローバリズムの行きつく先は昆虫食だというわけです。何とも暗い、希望の持てない未来ではありませんか。

新商品

 翻って、日本の現状を考えてみましょう。昆虫食が人口増加への処方箋だというなら、日本にはほぼ無関係の問題、ということになります。なぜなら、日本は少子化に頭を悩ます人口減少国だからです。人口の減少=消費する食料の減少となりますから、わざわざ昆虫まで食べる必然性は全くない、ということになります。
 それにも関わらず昆虫食が取りざたされ、すでに食品業界の一部ではコオロギを食材とする食べ物が販売されています。それも無印食品など、日本を代表するような食品メーカーがコオロギ食を売り出しているのです。なぜか。昆虫食の普及により、「世界の食糧危機に対処し、世界のグローバリズムの流れに貢献している」という姿勢を見せるためです。
私は、このグローバリズムという思想そのものに共感しません。くどいようですが、国家はそれぞれ独自の長い歴史と伝統の上に成り立っています。食文化もその一環にすぎません。
 また、世界的な人口増加と言いますが、その実情は国によって全く異なります。人口急増の国もあれば人口減少の国もある。くどいようですが日本は長く続く少子化に悩まされているのです。日本の人口は、大幅に移民を受け入れる以外に、将来ともに増加する見通しはありません。人口減少により、食料の需要が減る国なのです。日本の食糧自給率は農水省の統計でカロリーベースで38%(生産額ベースで63%)とされていますから、食料の輸入量が減少し、その分相対的に自給率は高まるということになるでしょう。

フードロスの活用が先

 日本はフードロスの多い国と言われています。令和4年6月農水省発表の資料によると、廃棄物処理法における食品廃棄物は事業系で275万トン、家庭系で247万トン、合計で522万トンとされています。522万トンと言われてもピンときませんが、10kgのお米が5億7千2百万袋分の計算です。しかもそのフードロスを廃棄物として処理する金額は年間に2兆円にも達するというのです。
 コオロギを食べることを考えることよりも、こういったフードロスを見直すことがより優先されるべきなのではありませんか。

耕作放棄地などの活用も

 日本には耕作放棄地など、有効に活用されていない農地がたくさんあります。農水省の統計によれば、農地面積は、主に宅地等への転用や荒廃農地の発生等により年々減少し、平成27年には449万6千haとされています。
 また、荒廃農地も平成26年には27万6千haあるとされています。このうち再生利用可能なものが約半分の13万2 千ha。また、農地でありながら耕作されていない耕作放棄地は年々増加し、平成27年には42万3千haあるとされています。つまり荒廃農地のうちの再生利用可能な農地と耕作放棄地の合計は55.5万haもあるということです。この面積は愛知県の5,165㎢よりも大きな面積ということです。コオロギを食べることを考える前に、なぜこのような広大な農地を有効に活用することを考えないのでしょうか。

住宅地にも耕作可能な土地がある

 日本では人口減少が続いている、と述べました。ということは、人の住まない宅地も増えているということです。人間の習性、特に日本人の習性として、花を愛で、野菜を育てることを生きがいにする人は多いと思います。私自身、幼い頃から畑をいじることが好きでした。今は、農地を持たないので、農作業ができないことを非常に口惜しく思っています。隣家が空き地になりそこで農作業ができれば、なんて不埒なことを思ったりもします。
 日本全国で、宅地の一角が空き地になり、そこを農地として耕作できるようになれば、日本人の食の自給率は大いに改善できるはずです。住宅地の一画を畑として使えれば、高齢者の生き甲斐にもなります。宅地として整備された区画を家庭菜園として利用するのでは余りに非効率であることは十分に承知しています。しかし、コオロギなどの昆虫食を考えるくらいなら、虫食い状に減少していく住宅地のなかの空きスペースを有効活用する方策も、十分検討に値するのではありませんか。

最後に

 グローバリズムの台頭により、世界は、おかしな方向に突き進んでいます。前述したように、グローバリズムとは、世界を国境という物理的な垣根を越えて、政治、経済、文化などを地球規模で拡大均一化させる考え方のことです。一見、正当な考えのようですが、大きな矛盾を抱えています。
 その典型例は地球温暖化問題です。地球が温暖化している。それはよくない。温暖化はCO2に原因がある。このCO2を減少させることこそ最善の策だ。よってCO2を減少させるため、化石燃料の使用を減らし、太陽光など自然エネルギーを活用せよ。化石燃料は悪だ。レジ袋や使い捨てスプーンは有料にせよ。新築の住宅には太陽光パネルの設置を義務化せよなど、奇妙な政策のオンパレードになっています。その結果、世界に誇る日本の自動車産業まで窮地に陥っています。
 これらは地球は温暖化している、それは悪だ、という前提に立っています。しかし、その温暖化は本当に人間活動の結果によるものなのか、人間が許容できないレベルのものなのか、地球規模での自然現象なのか、と言った点についてデータに基づいた冷静な分析がなされた結果とは言い難いのです。
 今回のコオロギ騒動も同じです。世界の人口爆発→食料の不足→昆虫食で代替、という短絡指向で世界中が動いているように見えます。そして世界各国が歴史や伝統、食文化の相違など一切無視し、いい子ぶりっ子し、昆虫食に走る姿はグローバル時代の申し子の所作と言ってよいでしょう。
昆虫食などを考える前に、もっと現実を直視し、地に足の着いた政策を考えるべきなのではありませんか。私は、コオロギ食など絶対に食べません。(R5・4・10記)

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