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ブログ/2012-05-28

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雷鳴の中での葬儀に参列しました

 那須に帰って農作業をしようと準備をしていたところ、父が生前、親戚同様に親しくしていた大森さんという方が亡くなったとの知らせ。急遽、喪服を持参することになったんです。この大森さんという人は、農業専業で、生前、父は何から何まで頼りにしていた昵懇の間柄でした。父は獣医として、牛や馬の病気治療やら人工授精などを行っていました。一方、大森さんは、私の家の「木の葉さらい」やら、薪の確保、雑木の切り出しなど、生活全般についてお世話になっていました。

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 今の人には「木の葉さらい」なんて言っても、何のことやらさっぱり分からないかも知れませんね。私の子供の頃は、畑の肥料にするために、山の木の葉を集め堆肥として使っていたんです。私の家は約700坪の畑がありましたから、かなりの堆肥を必要としていました。ですから、馬車で山に木の葉をさらいに行ったんです。当時、このような木の葉さらいは、那須地方の晩秋の風物詩になっていました。家の前の道路は、馬車が延々と続き、あたかも馬車街道のような光景を呈していたものです。
 木の葉さらいは、熊手で木の葉を掻き集め、大きなネットで丸く巻き上げるんです。大きな巻き寿司のような形と言ったら分かりやすいでしょうか。それをいくつも作って、最後に馬車の荷台に積み上げるんです。確か、4段位の高さまで積み上げていたと思います。ですから、子供の目線から見たら、建物の屋根を見上げるような感じがしましたね。
 何より嬉しかったのは、帰りに一番上に載せてくれることでした。揺られながら最上位から見る景色は、壮観でしたね~。天下人になったような感じでした。家に辿り着くと、納屋の前にそれを積み上げるんです。すると今度は、梯子で屋根に登り、そこから木の葉の山めがけて飛び降りるんです。体中木の葉だらけにして、子供達が順に何度も何度も飛び降りていました。もちろん、青っ洟を垂らし、袖で鼻を拭きふきです。
 我が家のために、この木の葉さらいをしてくれたのが大森さんだったんです。亡くなるまで我が家とのつながりが途絶えることはありませんでした。ただ、晩年、認知症を患い、会話もできない状態になってしまわれたことは本当に残念なことでした。

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 その方の葬儀が、通夜も告別式も雷鳴とどしゃ降りの中で行われたんです。通夜の始まる前までは、雨も降っていなかったんですが、通夜が終わり、帰る頃には雷鳴が轟き、どしゃ降り。しかも夜ですから、道もよく見えない。私は、出されたお酒を飲んでいたので、運転ができず、妻に運転を代わってもらったんですが、田舎での運転は初めて。暗い夜道で雷鳴轟く中での運転と相成ってしまいました。
 翌日の告別式もまた雷のおまけがついていました。私の前に座っていたご婦人が雷の音で飛び上がるのを見たときには、不謹慎ながら吹き出してしまいました。
 幼い頃から雷に慣れている私にとって、家の中にいる限り雷の音は、怖くも何ともないんです。それにしても、2日とも雷と豪雨に祟られたお葬式って、どのように理解したらよいんでしょうか。「天も悲しみの余りつい行儀作法を忘れてしまった」とでも理解しておくことにしましょう。



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