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ブログ/2012-10-06

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孫の幼稚園の運動会に行ってきました

 

昔懐かしい場所取り

 秋本番、初めて孫の運動会に行ってきました。何処の幼稚園もそうなのか分かりませんが、昔懐かしい「場所とり」、「席取り」が必要なんですね。要するに、園児と家族が一緒に座るための場所取りです。
 最近の幼稚園というのは、園庭がそれほど広くないから、運動会をするといっても場所がないのではないかと思っていたんですが、孫の幼稚園は違っていました。園の近くに空き地を所有(借地?)しており、十分に場所取りに耐えられる面積を持っているんです。
 思えば小学校の頃、運動会の前日、蓆(むしろ)を抱えて場所取りに行った記憶が懐かしく思い出されました。昔の小学校は敷地に余裕がありましたから、グランドも広大でした。それでも前日の場所取りは、早い者勝ちですから、我れ先にと蓆をひろげるので、あっという間に満席になってしまったものでした。

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 当時、私の父は獣医をしていましたが、朝から晩まで本当に忙しい日々を過ごしていました。昔の獣医は、今と違ってほとんどの農家が農耕のために牛や馬、家畜を飼っていました。家畜は生計を維持する大事な財産であり、決して愛玩用の動物ではありません。大事な財産ですから、その家畜が病気にでもなれば一大事です。農業もできなくなるし、大事な財産も失われる。ですから父は、深夜でも「先生、難産です」などと呼ばれれば、直ちに往診に出かけていったものでした。貧しい中、5人の子供を育てる苦労には並々ならぬものがあったんだと思います。
 父は、子供たちの運動会や学芸会、入学式や卒業式、授業参観など、一切学校の行事に出たことはありませんでした。弟の父兄役は兄が代わって参列するなんてこともありました。もちろん、父と一緒に観光地に遊びに行ったことなど一度もありません。誕生日のお祝いなどもしたことがありません。でも、昔はそんな家は珍しくなかったと思います。みんな貧しかったですからね。そのことで親を恨んだことなど、一度もありませんでした。
 一度だけ嬉しいことがありました。小学6年位の時でした。私の誕生日に、他の兄弟がいないときに、母が無造作に「お前の誕生日のお祝いだ」と50円をくれたことがありました。不思議なことに、母の思い出とともにその50円のことを、時々思い出すんですね。子供時代のたった一度の「お祝い」が新鮮な印象だったからでしょうか。
 でも、今は時代も変わりました。家畜は農機具に変わり、そしてペットに変わりました。獣医の仕事は家畜の医院ではなく、犬猫の病院に変わりました。私の人生の中で、これほど大きな変化を体感できたことは感慨深いものがありますが、同時に一抹の寂しさも漂います。

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孫は鼓笛隊の奏者

 あ、そうそう、運動会の話でしたね。孫は、鼓笛隊の一員としてタンバリンを受け持っていました。あの「バーン、バーン」と鳴らす役です。いまは、幼稚園でも鼓笛隊演奏なんてするんですね。すぐ昔の話に戻ってしまいますが、私の時代、幼稚園なんてありませんでしたから、小学校に入って、3年か4年頃に初めて楽器を持たされたのがカスタネットでした。そう、中指にゴムで引っ掛けて鳴らすあの楽器です。手の中に納まってしまいそうなチンケな楽器です。あれを「カタカタ」鳴らすだけの役回りでした。私の音楽音痴はここに原因がある(^.^; のではないか、と今でも思っています。
 
 私の今日の役回りは、孫のお守りでした。ゼロ歳児の孫は、抱いていればいい子にしているんですが、座らせたり寝かせたりすると、すぐに泣くので、常に抱いていなければいけないんです。いわゆる抱き癖というやつです。でも今の世の中、お守りという自分の役回りがあるだけでも有難いことなのかもしれません。新聞の人生相談欄など見ていると、「孫を抱かせてもらえない」どころか、「嫁が孫を連れてこない」とかいろんな悩みを抱えている中、嫌というほど孫の世話をさせられているんですから、有難いことだと思うようにしています。

娘婿のその後

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 ところで、このブログの中で紹介しました私の娘婿、先月2日自治医大病院にに緊急入院しましたが、先月28日、約1月ぶりに退院しました。退院と言っても、全快したわけではなく、今でも肝臓から出てくる膿を除去する装置を腰にぶら下げたままです。毎日膿は出続けているようで、勤務先の保険医の診断を受け、当分は勤務に耐えないということで、今は自宅療養中です。
 ですから、今日の運動会も、皆が見るだけにしておいた方がいいと言ったんですが、本人は、「子供の幼稚園最後の運動会なので、是が非でも出たい」ということで、「親子競技」に参加しました。その時の写真が右上(右側の親子)です。見た目には元気そうに見えますが、体力は随分落ちています。本格的な回復までには数ヶ月を要するようです。こういう姿を見ると、70歳近くまで医者いらず、手術の経験もないこの丈夫な体を与えてくれた両親に、この点だけは、深く感謝をしています。



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