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ブログ/2014-09-14

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ポッポの家に行ってきました

 快晴の青空の下、栃木県小山市にあるポッポの家なるところに行ってきました。娘から、「昼食のおにぎりが美味しい」「美味しいお米が買える」「遊べる」というような触れ込みがあり、日曜日の気楽さもあり、老夫婦でついていくことにしました。

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 美味しいおにぎりなんて、コンビニでいくらでも買えるし、おいしい米だって、お金さえ出せばいくらでも買えるし、何も小山まで遊びに行かなくても、近場でいくらでも遊べる。
 否定的に考えたら、何もプラスがない。でも、折角誘ってくれたのに無視するのも大人気がない。騙されたふりをするのも、高齢者の役目かもしれないと思い、ついていくことにしました。一番の目的は、孫と遊ぶこと、と割り切ることにしたんです。

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 国道4号線のバイパスを走ること約30分。目的のポッポの家に到着しました。いきなり田舎の風景と山林の風景。12時前に到着しましたが、林間に設えられたベンチに向かい合わせに座り、早速に昼食です。

昼食はお1人様200円

 勝手が分からないので、すべて娘夫婦にお任せです。いつもはなかなか財布の紐を緩めない娘がさっさと食券を購入し、ご馳走してくれるというのです。おお、気前のいいこと、と感心して見ていました。あとでこっそり値段表を見たら、おひとり様200円でした。5人で1,000円です。気前よくご馳走してくれるはずです。(^^!
 ベンチに座って待っていたら、先ず、おにぎりが2個ずつ配分されました。続いて、豚汁が一杯ずつ。そのうえ、ジャガイモを油で揚げ、スティック状にしたおつまみのようなものが配られました。これが今日の昼食のすべてとのことです。食後に、かき氷をもらいに行くそうです。

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 それほどの期待はしていませんでしたが、なんだかチトさみしい昼食です。いえ、決してまずいというわけではないんですよ。孫たちと一緒に森の中で食事ができるなんて、それだけで幸せというものです。ときには、こういう食事も変わっていて楽しいですよね。これが「非日常の楽しみ」というものでしょう。

食後に付近を散歩

 ボリュームたっぷり(?)の食事をした後は、付近の散策です。孫をつれて、田圃道を歩き、林の中に入ってみました。そしたら、そこにちょっとしゃれたレストラン風の建物が建っていました。板張りのデッキでコーヒーなんて飲んだら、どんなにまずいコーヒーでも一味違ってきそうな雰囲気です。

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 ここの運営は、農業法人が行っているんでしょうか。かなり多角経営のようです。今はやりの6次産業を地で行っているのかもしれません。
 農産物の生産(1次)から、加工(2次)、販売(3次)まで一手に行っているようです。結構従業員の数も多いですね。それも若い人ばかりです。高齢の従業員の姿はどこにもありません。高齢者目線で見ると、もう少し高齢者も活用して欲しい、なんて思ってしまいました。
 多分、若い経営者が、農業を志向する若者を集めて運営しているんでしょう。これからの農業は、こういう方向に進んでいくのかもしれません。
 ここには榊原郁恵ちゃん夫婦も時々顔を見せるそうです。田植えの時には、一緒に田植えを楽しむらしいですよ。
 

どぶろくも売ってました

 6次産業ですから、最後は「販売」が必要です。別棟にお土産コーナーのようなところがあり、お米やお酒なども販売していました。濡れピーナッツなども販売していましたが、味はいまいちでしたね。右の写真は、ジャガイモの詰め放題のサービスです。お米を購入した人にビニール袋1つが渡され、ここのジャガイモを入るだけ詰め込んで持って帰ってよいというんです。
 ジャガイモはすべて、小粒ですから、商品として販売できないものを集めてサービス品として提供しているようです。

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 珍しかったのは、「どぶろく」を売っていたことです。どぶろくというのは、昔、農家が自分の家で自家製造し飲んでいたお酒です。

昔どぶろく事件というのがありました

 どぶろくと言えば、皆さん、どぶろく事件というのがあったのを覚えていますか?千葉県の気骨のあるオヤジさんが自宅でどぶろくを作って飲んでいたら、酒税法違反だというので逮捕された事件です。そのオヤジさん、「自分の家でどぶろくを作って自分だけが飲んでいる。誰に迷惑をかけているわけじゃない。ささやかな楽しみを罰するなんて、法律の方が間違っている。」と言って争ったんですね。国民には、自分の幸福を追求する「幸福追求権」があると主張して争ったんですね。

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 この事件では、このオヤジさん、最高裁まで争って、結局、敗訴しました。私は、内心、このオヤジサンを必死で応援していました。だって、個人が家の中でだれにも迷惑をかけず、自分のためにお酒(どぶろく)を作り、自分だけの楽しみにする。それを国家権力が罰するなんて、余りにも理不尽ではありませんか。
 私が高校生の頃、新潟の親戚の家に行った時、村の青年団の集まりがあり、そこの家の人と一緒に参加したことがあります。そしたら、村の青年団の男女が、稲刈りの済んだ田んぼで車座になっていたんです。20人位はいたと思います。そこで振るまわれたのが、どぶろくです。
 今はうるさいですが、昔は、未成年者が酒を飲むことにそれほど神経質ではありませんでした。私も、勧められるままに飲んで酩酊したことを覚えています。
 どぶろくは、炊いた米に、米こうじや酒粕に残る酵母などを加えて発酵させれば出来てしまいます。簡単にできるので、昔から、多くの農家で作られていたんですね。貧しい農民のささやかな楽しみでした。

最高裁判決の方がおかしい

 この最高裁判決、結局、裁判官の全員一致で、このオヤジさんの敗訴となったんです。裁判官の中に、一人くらい国民の心情に理解を示し、反対意見を述べる人がいても良かったんじゃないでしょうか。だって、「個人が自宅で飲む分だけ作り、それを誰にも迷惑をかけずに1人静かに飲む」、その行為が違法だなんて、おかしいと思いませんか。カラスの勝手じゃありませんが、大きなお世話、国家権力の関与する分野じゃありません。
 確かに、CDなんかを自分の楽しみのため、自宅でダビングする行為も、「法律で罰せられます」なんて表示がしてあります。こちらの場合は、第三者の作った著作物のコピーですから、著作権者の権利との関係で、少しは理解できます。でも、これだって、「自分の家で、自分だけのためにダビングして、自分が楽しむだけ」だったら、許されて然るべきだと思います。「家の中のこと」ですから、法律がドカドカと「家の中に踏み込んできて」干渉する話ではないんです。

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 これを麻薬に置き換えたらどうなるでしょう。麻薬は、吸えばもちろんですが、所持、つまり持っているだけでも犯罪になります。いくら自宅の中でひっそりと吸っても、或いは吸わずにひっそり持っていても、犯罪になります。これは、麻薬そのものが社会を害する害毒として、認識されているからです。ピストルなどの銃器も同じ位置づけです。
 ではどぶろくも同じなのでしょうか。決して同じではありません。どぶろくは、決してそのもの自体が社会を害するものではなく、他人に危害を加えるものでもありません。酒税法に基づく「国の徴税権」が侵害されるという、法理論に基づくだけです。要するに、酒を作って勝手に飲まれたら税収が減る、ただそれだけの理由です。それならば、健康のための節酒や禁酒も税収減になるからけしからん、という理屈が成り立つのでしょうか。
 随分勝手な理屈だと思いませんか。税金が少なくなるから、ドカドカと家の中まで踏み込んで刑を科するなんて、真っ当な国家のやることではありません。要するに、ある特定のものを徴税の対象と決めれば、犯罪にできるというわけです。
 この理屈が通るなら、家の中で味噌を作ったり、キムチや沢庵を漬けたり、糠味噌を漬けて食べることでも、「税収が減る」という理屈をつければ、違法行為とみなすことができるということです。だってそうでしょう。酒税法ができるなら、味噌税法やキムチ税法、沢庵税法もできるということです。
 銃や麻薬のように、社会から追放すべきものと、家庭内でささやかな楽しみにしているものとを同列に扱う、権力主義的やり方に義憤を覚えるのは私だけでしょうか。

本当は大麻だって認めるべき

 大麻を麻薬と思っている人が多いのではないでしょうか。決してそうではありません。麻薬なら、「麻薬取締法」による取り締まりの対象になります。麻薬ではないから、別に「大麻取締法」なんていう法律を作って規制しているんです。

たいま

 麻薬というのは、みなさんもご存じのように、身体的依存、つまりそれをやめると体に禁断症状が起こったり、その他、体に異常な反応が出るものをいいます。大麻には、そのような禁断症状はないんです。大麻自体を原因として狂暴な行動に走ったり、何か犯罪に関係のある行動をするということもないとされています。
 要するに、タバコと同じなんです。常習性という観点からは、タバコの方が害がある、とされています。この大麻、第二次対戦前は、国家によってその栽培が奨励されていたほどです。タバコの方がより害が大きいというのに、なぜ規制されることになったのでしょうか。
 理由は簡単です。太平洋戦争に敗れ、アメリカから進駐軍がやってくることになりました。その際、米軍から、大麻によって、進駐する軍人たちの規律が乱れることになってはいけないから、法律で規制せよと言われ、仕方なく「大麻取締法」を作ったから。それだけの理由です。理屈も何もないんです。勝者の論理が全てに優先するんです。今次の太平洋戦争は、「日本の侵略戦争だった」という論理も、勝者の論理です。勝者が、日本の教育界を含め、すべてを支配していたんですから、「アメリカが全て正しく、日本が全て誤りだった」という思想も簡単に植え付けることができたんです。ここで詳しく述べることはできませんが、日本がなぜ太平洋戦争に入っていかざるを得なかったのか、その理由を突き詰めていけば、「アメリカが正しくて日本が悪かった」なんて、単純な結論にはならないのです。

アサ2

 小さな島国に原爆を2発も落とし、そのうえ全国の主要都市を無差別に絨毯爆撃し、非戦闘員を皆殺しにする。一般住民を皆殺しにするために、先ず、退路を断つため、四角形の延辺部に焼夷弾の雨を降らせ、火災を発生させる。その後にその内部に絨毯爆撃を加える。住民は逃げまどい、焼け死ぬしかない。これが東京大空襲の真実の姿です。これを「悪魔の所業」と言わずして何と表現するのでしょう。しかし、戦後、これらの悪業が罪に問われることは一切ありませんでした。日本が勝っていたら、原爆投下に関与した人物はすべて処刑の対象になったはずです。非戦闘員を皆殺しにするような、悪魔の所業は糾弾されて然るべきだからです。しかし、戦後、原爆を投下したB29、エノラゲイは、スミソニアン博物館に展示されています。スミソニアン博物館というのは、アメリカを代表する現代科学の遺産を展示する場所です。その場所に、この呪われるべき飛行機が誇らしく展示されているのです。
 そうです。勝者の論理とはこういうものです。大麻=悪ではないのに、大麻取締法を作らせることなんてこと、その当時は、文字通りお茶の子さいさいだったんです。
 そもそも麻というのは、古来から日本人と深くかかわりをもち続けてきた大切な植物です。神聖なものとして扱われるべきもので、そもそも、汚染などという言葉を使ってはいけないものです。麻はただの繊維ではなく、天照大神の御印とされ、邪気を払い除けるおはらいの用具としても使われてきたんです。
 私は、タバコを吸いませんし、大麻が解禁されても吸うつもりもありません。しかし、進駐軍によって強制されて作った大麻取締法を、後生大事に守るべきいわれは全くありません。もうそろそろ日本本来の姿に戻すべき時期なのではないでしょうか。
 ぽっぽの家から、話が変な方向に走ってしまいました。ゴメンナサイ。
【上の2枚の写真は、鳥取県智頭町で、町おこしのために、特別の許可を得て大麻を栽培する青年の姿(上)と、室町時代から続く伝統的な大麻の製法を60年ぶりに復活した時の写真(下)です。】 

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